『罰』は『愛情』の裏返し。全てを言葉で語らない大人の流儀に『いや、命かかってる場面で背中で語るなよ!』と呆れながらも、その不器用さに救われたことを感謝しながらなまえは靴の下で藻掻く呪霊を踏み潰した。

「みょうじなんか雰囲気変わった?」

被害者との因果関係を調べるため車に乗りこみ吉野順平の元へ移動していた。初任務、緊張しないわけが無い。七海さんから受け取った書類に目を通し詳細を頭に詰め込んでいる最中、虎杖くんからの急カーブを曲がり損ねたような質問をくらい詰め込んだ情報が全部飛んだ。えっ、それどういう意図含んでる質問なの?先に言っておくが髪は1ミリも切ってないし日焼け止めを化粧だと思っているよ私。これからターゲットに接触する重要な場面が差し掛かっているにも関わらずその緊張感を崩す一言に私も伊地知さんも目を丸くした。虎杖君はちっともこちらの表情など気にしてない様子で「んー、どこが変わったとかはうまく言えねぇけど、ちょっと見ないうちに逞しくなったって感じ?」といまいち喜びにくい褒め言葉を送ってきた。こういう時どんな反応をとったら正解なんだろう。女子に向かって“逞しくなった”って。2週間のスパルタ教育の成果を気づいて貰えたのは嬉しいけど、逞しいって。釘崎さんなら間違いなく平手打ちしているところだ。
「俺も武器欲しいなー」と虎杖君は手持ち無沙汰にセルフ銃声を上げ拳銃を模した手を上下させ乱発している。もしそれが私の真似というのなら恥ずかしすぎて死にたい。虎杖君はカッコイイ!強そう!と小さい子ならキャッキャと喜びそうな言葉を並べているけど、かっこよさだけで呪霊が祓えるなら私は既に特級呪術師だ。
そもそも、拳銃を渡されたった1日で素人がプロ顔負けの射撃などできるわけが無い。屋台の射的ですら的に当てた事もない人間など余計無理に決まってる。夜蛾学長の“集中すれば当たる”の言葉を信じ先程の先頭で何発か発泡してみたが、装填した呪力の塊は尽く明日の方向へ飛び、結局打撃で仕留めていく私に1級呪術師七海さんから鍛練を積みなさいと何重にもオブラートに包まれた優しい言葉を掛けられた時は己の不甲斐なさにちょっと凹んだ。1発ぐらい当たると思ったんだけどなぁ。
過度に浴びたら健康に支障をきたしそうな生きとし生けるもの全てを全肯定する陽の純粋さから逃げるようになまえは窓ガラスに映る自分を見つめた。
車を走らせ続けること数分後、報告通り吉野順平の徘徊ルートから本人を見つけ物陰に車を停車させ物陰を伝って吉野順平を尾行した。気配を消しながら北に向かって歩く。北の方角には吉野順平の家がある。一定の距離を保ちながら虎杖君を先頭に尾行していると吉野順平が暮らす集合住宅の前で彼は急にピタリと立ち止まった。どうして中に入らないのだろう。まさか尾行がバレた?
虎杖君と共に曲がり角から顔を出し吉野順平が足を止めた理由に気づいた時だ。何故今がチャンスだと思ったのか、蠅頭が入った籠を開けてしまったた伊地知さんに虎杖くんが「ちょっと待った!」と慌てて籠を閉めようとするも時既に遅し。余裕ですり抜けられる隙間をケタケタと笑いながら籠から逃げ出してしまった2体の打ちの1体がこちらの目論見通り吉野順平に向かって飛んでいく。なんの問題もなく計画が進んでいるかのように見えるかもしれないが、吉野順平の背中からチラチラと脂身を包む白いシャツが覗いていれば話は別だ。一歩前に足を踏み出す頃、既に虎杖君は3歩先の地面を蹴っている。
体を前に投げ出すことも恐れず、「ストップ!」と虎杖君は大声を上げ逃げ出した蠅頭に手を伸ばしていた。あの1体は虎杖君に任せて大丈夫だろうから、逃げたもう1体(予備)の蠅頭は私が。踏みこんだ足を直角に方向転換し、宙を泳ぐ蠅頭目掛けて足の裏に力を入れたその時「待ってください!」と跳びかかる寸前で伊地知さんに止められた。声がかかった方向へと振り返れば珍しく頼もしい顔をした伊地知さんと目が合ったが、草臥れたスーツと肩に背負った古びた虫取り網でせっかくの顔も台無しだ。

「みょうじさんは虎杖くんの傍で待機を。あの蠅頭は私が捕まえてきます」
「いや、私が捕まえてきた方が早いかと」

そんな網目の大きいボロの網じゃ蠅頭どころか虫も捕まえられないだろう。伊地知さんこそ虎杖くんの傍に着いていた方が、蠅頭とはいえあれも呪霊だし。どんどん離れていく点を目で追いかけながらもなまえはやんわりと伊地知の説得を試みた。しかし急に大人の矜恃を守らせて欲しいと切な訴えを始めるものだから、たまには華を持たせてあげようとなまえは逃げた蠅頭から狙いを外し額を抑えた。

「あれ、伊地知さんは?」
「逃げた蠅頭を捕まえに行ったよ」

あの足の速さでは少なくとも2、3時間は帰ってこないだろう。それに虫網の調子も悪そうだし。「ん、」と虎杖君から渡された蠅頭を籠の中に戻すと鍵をかけスナップをきかせて籠を振り回す。残酷だが適度に弱らせないと蠅頭と言えど籠を破って逃げる恐れがあるから仕方がない。奇声をあげる蠅頭から体力を削っているとふと感じる視線の多さに気づきなまえは手を止めた。すっかり蠅頭に気を取られ何のために車を降りて蠅頭を放ったのか目的が頭から抜けていたのだ。虎杖の背後からその鬼畜の所業を見たと顔を青くした人物になまえは「やばっ」と声を漏らす。うわぁ、第一印象最悪だ。しかも視線の方向からして恐らくこの人視えている。初めましてと軽く頭を下げれば、吉野順平は片目を隠すように伸ばした長い髪を揺らし会釈を返した。なるほど、最低限の社交性はあるが本心を語るかどうかは相手次第ということか。地下で歌っていそうなバンドマン風の髪型から吉野順平の心理状態を探っていると、ここじゃ順平が話しにくいだろうからと虎杖君が場所移動を提案した。なんでもさっき見えた白シャツの人物は吉野順平の関係者らしく家の前で張り込んでいたんだとか。刑事かよ。世の大人って奴は案外暇しているのだろうか。
チラと吉野順平に視線をやれば彼はまるで社会から弾き飛ばされたかのような居心地の悪そうな顔を浮かべている。どこかで見覚えのある顔だ、最近は久しく見てないけど。
大事な話をしている最中に部外者に乱入されては何かと面倒臭い。それにこういう堅苦しい話は本人が話しやすいと感じる環境で話し合わないと情報も引きませまい。虎杖くんの提案に賛成し、吉野順平も首を縦に振ったので、私たちは人気のない河川敷へと移動した。今何時だろう。身支度に慌てうっかり机に腕時計を置いてきてしまったなぁ。でもまぁ夕日が綺麗ってことは4時か5時くらいだろうか。非スマホ勢の私に代わり虎杖くんが伊地知さんへ連絡している間、震度2程度の地震に驚きつつも吉野順平が座る段差から5段上の段差に腰を下ろし丸い後頭部をじっと眺めていた。開いた足に肘を乗せ頬杖をつく吉野順平はボーッと夕日ではなく自分の足元ばかり見つめている。何を考えているのだろう。私が吉野順平ならただ名前だけを名乗り特別指示もなく誰かと連絡を図っている人間の行動を見張るなり隙を見て逃げ出そうと画策するなりするだろうが、彼は比較的落ち着いた様子で頭を下げている。
伊地知さんと連絡が着いたのだろうか。スマホをポケットにしまった虎杖くんは吉野順平の視線が外れている隙に私に向かって両腕を斜めにクロスさせた。そっか、でも連絡ついたところで既に吉野順平と接触しちゃったし、怪しい行動をとる素振りもないから話し合いを始めてもいいと思う。いいんじゃない?と指の先を合わせ丸を作る。すると虎杖くんは私には到底真似出来ないスピードと度胸で吉野順平の真隣に腰掛け、少々雑ではあるが端的な質問を幾つか投げる。そして吉野順平から返ってくる『よく分からない』の言葉に話し合いは割と早めに脱線し、気づけば映画トークで2人は盛り上がっていた。すごいよね、ほんと。出会って1時間も経たず‘ズッ友’の域へ到達するなんて彼は人心掌握に長けたといえよりも、もはや達人だ。入り込む隙もない楽しげな雰囲気をぼんやりと蚊帳の外から眺める。すると虎杖君は会話を続けたまま脈絡もなく振り返ると「みょうじは最近なんの映画見た?」と急に話を振ってきた。

「えいが?」

話題を振られるなんて想定外だ。カタコトなオウム返しでその場を凌ぎはしたが、それでも言葉も情報も少しも準備が追いつかない。映画、映画…駄目だ。2人のように映画に関する話のネタが少ないから何答えても2人の空気に水を差す未来しか見えない。

「ごめん、私映画はあまり見なくて。最後に見たのはオカ研で見たホラー映画だったと思うなぁ」

タイトルはもう忘れたけど、とある家族が引き取った養子の女の子が実は小人症を患う成人済みの女性で、肉体関係を求めて邪魔な人々を冷酷に殺していく内容だったような。主役の女優が魅せた大人顔負けの演技としっかり描かれた少女のラストがとても印象的だったのを覚えてる。あと虎杖君が途中で帰ったから、怖いけど最後が気になるからとオカ研の先輩方に捕まり、エンドロールまで盾替わりにされた後レンタル屋まで一緒に返却しに行ったなぁ。懐かしい。

「それ僕見た事あるかも」

私が見た映画に心当たりがあるのか。語るほど数は見てないから映画の事はあまり詳しくないよと虎杖君宛に受け取った言葉のボールを返そうとした矢先、吉野順平は初めて私と視線を合わせた。人は苦手、だが映画が絡めば苦手意識が薄れるのかもしれない。あのシーンは良かった、少女の猟奇的な目付き振る舞いから目が離せなかった、でも続編は蛇足だ。饒舌に批評家じみた辛口な感想を述べる吉野順平にそういう見方もあるのかぁと映画のワンシーンを思い出しながら見落としていた伏線の謎に私はああ、そういうことだったのかと手を打った。
現在ミミズ人間3と同様にリバイバル上映されているそうで、ラストシーンが映画とDVDで変わるから是非映画館版を見て欲しいと押され視聴意欲がちょっと疼いた。さすが映画好き。人の鑑賞欲を上手く掻き立てるような説明をしておきながら続きは劇場で!とは、なかなか上手いやり口だ。映画館か…小さい頃1度だけ連れて行ってもらって、それからは任務で館内をチョロっと歩いた程度しか利用したことがないかも。

「みょうじも連絡先交換しとく?」
「私スマホ持ってないから虎杖くん越しから連絡もらうことにするよ」

せっかくだから今度3人で映画見に行こうよ!と吉野順平から誘われて私達はいいねと面白そうな誘いに乗った。任務外の外出となると私の場合は準一級以上の呪術師且つ人格が破綻していない同行者を探す必要があるのだが、暗転した直後に大声でネタバレかましそうな五条先生は無いとして、とにかく日取りが決まるまで一般常識を備えた同行者を探しておかなければならない。狭い人間関係から一般常識を備えた大人を連想する。そして第一候補に挙がった堅物な顔に『いや、無理だな。あの人土日は一人の時間大事にしてそうだもの』と頭を振り、次に浮かんだ夜蛾学長の顔に頭を抱えていると「アレ?順平」煙草をふかす黒髪の女性の登場に三者三様の反応をとりながらも私たちは声をかけられた方向へと一斉に振り返った。呪霊関係の人かと思って身構えたがどう見ても彼女は一般人。買い物帰りだろうか、手に持った袋から長いネギが飛び出している。

「友達?」
「さっき会ったばかりだよ」
「さっき会ったばっかりだけど友達になれそーでーす」

母さんと吉野順平が呼んだその女性は目の輪郭が吉野順平とよく似ている。話し方から察するに性格は真反対のようだけど。
颯爽と相手の懐へと入り込み軽口を交わす虎杖君の見事な人心掌握術に間の抜けた顔で感嘆していると虎杖くんに向いた興味が紅一点の私へと向けられる。

「順平の彼女?」
「違います」
「じゃあ悠仁君の方か」
「それも違います」

虎杖君の友達ですとしっかり訂正を入れると女性は『順平にも春が来たと思ったのに、残念』と肩を落とした割にはケラケラと笑っている。揶揄われ顔を赤くしながらも母親が加えた煙草を苛立ち混じりに奪った吉野順平は渋々と差し出された簡易的な灰皿にまだ半分も吸っていない煙草をぐにゃりとすり潰した。煙草がいかに体へ害を与えるか、人差し指を振って真剣に健康の重要性を説く吉野順平だが女性の顔にはちっとも反省の色が見えない。子供が親を説教している、これじゃどっちが子か親か分からない。こんな親子関係もあるんだなぁと愛のある喧嘩を俯瞰しているとたった数分前にであった関係にも関わらず、どういう訳か私達は吉野家の晩御飯に誘われた。普通の高校生でもこの誘いは断るんじゃないだろうか。頭の中に『断る』一択しか選択肢が存在しない私と違って虎杖君はノリノリに吉野母の誘いに乗っかった。当然私は虎杖君に辞めた方がいいと諭したのだが、虎杖君が豪快な空腹音を鳴らし、伊地知さんの連絡が来たら直ぐに合流すればいいと説き伏せられ、気づいた頃には食卓に並ぶ湯気がたつ美味しそうな料理に箸を伸ばしていた。
自炊せずにご飯を食べたのは何時ぶりだろう。実家を追い出されてからは久しく誰かと夕飯を共にすることが無かったから、大人数で食卓を囲んで食べる空間は少し落ち着かない。沢山並んだ小鉢。大皿に乗った料理を摘む箸を握る自分以外の手。静寂を埋める雑音を必要とせず、途切れることがない気持ちのいい笑い声は良い意味でいつもより箸の運びが遅くする。

「へぇ〜それ伊達眼鏡なんだぁ。せっかく可愛い顔してんだから取ったらいいのに。目も大きいし、睫毛も長いし、下睫毛もばっしばし。こりゃあ世の男も黙っちゃおかないでしょうねぇ〜。ぶっちゃけ、今まで何人の男を引っ掛けてきたのかな?ん?ん??」
「母さん飲みすぎだって。みょうじさん困ってる」

こんにゃくでしっかりオチをつけた虎杖くんの笑い話に吉…順平くんのお母さんが爆笑して、無茶振りを振られた分かる人には分かるモノマネで順平くんが腹を捩って、場の雰囲気に乗っかって笑っているとさぁ次はお前の番だと酔っ払いの標的にされる。どうしよう、私は虎杖くんのように面白い話もモノマネもできないのだが。そっと目を逸らし標的がズレるのを待っていると女性はニヤニヤと笑いながら恋愛関係の話題を振ってくる。モノマネしろと無茶振りされるよりかは何十倍にもマシな話だけど、睫毛の善し悪しで異性を引っ掛けられるほど人の心はそう単純ではない。残念ながらそういう機会も相手もこれまで一度もなかったと正直に答えれば女性は大袈裟に驚いて「えぇ!?ほんとに〜?じゃあ好きなタイプは?うちの息子はどう??勝算ある??」と別角度から切り出した質問に流れ弾をくらった順平くんは激しく咳き込んでいる。

「母さん!!」
「いいじゃん。せっかくフリーで可愛い子がいるのに狙わないなんてもったいないでしょ」

食卓に組んだ腕を乗せ前のめりな姿勢で女性は息子の羞恥など気にせず答えを求める。どうなの?と尋ねられ、私もどうなの?と自分自身に問いかける。小さい頃の私なら‘イケメンで優しい人’と即答していただろうが、ほろ苦い人生に嗚咽し高専に入学してからというもの長く付き合っていくためには相手に最低限何を求めなければ幸せになれないか何度も考えさせられた。理想の人、導き出した答えは私にとってはとてもしっくりくるものだ。

「経済力と一般常識を持ち合わせた誠実な人」
「大人びてるねぇ〜悠仁君は?」
「尻と身長がデカい女の子」
「あっははは!正直に言うねぇ〜嫌いじゃないよ」

曲げた片足を椅子にあげ豪快に口を開けて笑う女性は薄らと目尻に涙を溜めまた酒を煽る。質問されて、それを返して、返した言葉が順平君へと飛び火して、それを虎杖君がフォローしたかと思えば母親に茶化された順平くんがまた顔を赤くして。食事は液晶を見つめながら空腹を満たす為に黙々と箸を動かす作業時間と捉えていた私には目の前の光景が新鮮で、まるで映画のワンシーンに入り込んだ気分だった。

「遠慮せずに沢山食べな。どうせ順平くらいしか食べ手がいないから」

こういうの、なんかいいなぁ。お腹が空いたからと5時のサイレンが鳴る前に走って帰っていく子達の気持ちが今になって漸く理解出来た気がする。ありがとうございますと感謝し卵焼きを口に運ぶ。見映えは捨てたと女性はケラケラとまた笑っていたが、私が作る卵焼きよりもほんのり甘い味付けは見映えなんて気にならないくらい美味しくて自然と頬が緩んだ。
そうして会話を続けながら一口、また一口とアルコールを取り込んでいるうちに雪崩るように食卓に伏せた女性を順平くんはいつもの事だからと慣れた様子で火照った体に毛布をかけた。空になった皿を洗い終え「来たついでに映画でも見ていく?」と誘われたが、タイミング悪くかかった伊地知さんからの連絡に私たちは肩を落として渋々誘いを断わった。

「みょうじさんはなんで呪術師になろうと思ったの」

虎杖君が席を外している間、映画の話を突然プツンっと切った順平くんは脈絡もなく現実の話を口にした。視えるだけかと思っていた。だから彼の口から飛び出た‘呪術師’の単語に私は背中に背負っていた呪具の重さを思い出し体が強ばった。黒い瞳が心の内側を覗き込むよう見つめてくる。「どこで呪術師なんて言葉を知ったの」そう問いかければ、返ってくる順平くんからの無言の返事。残穢のような亀裂が2人の足元を静かに裂いていく。

「偉い大人に保護されて強制的に。でも高専の制服に袖を通したのは自分の意思だよ」

順平くんも高専に入りたいの?また無言。話しにくいなぁ。顔が半分隠れているから表情も読みにくい。

「逃げたくならない?」

苦い思い出でも蘇ったのだろうか。垂らした長い髪の内側を掌で抑え悲しげに目を伏せる順平くんに私は当たり障りない綺麗事を並べかけて、やめた。思い詰めた顔した人間にかけるのは思いやりであるべきだ。心ない言葉を吐く相手は呪霊と腐った人間だけで十分。

「いつも逃げたいって思ってる。誰だって嫌なことや辛いこと、痛いことから逃げたいって考えるのは普通でしょ。でも、今いる場所は今までいた場所よりもずっと居心地がいいし、なにより私の話を聞いてくれる人がいる。だから逃げ出したくてももう少しだけここにいてもいいかなって」

また無言。でも少し腫れ物が落ちたような顔をした彼に私は少しだけ制服を着た自分が誇らしかった。戻ってきた虎杖君と共にお邪魔しましたと手を振って吉野家を後にする。順平くんにさよならと手を振り『順平から何系の映画が観たい?って』と車に乗り込んだ直後早速順平くんから送られてきたメッセージに私達はスマホを囲んで花を咲かせていた。どの映画を見るか、席はどこを取ろうか、3人が都合の着く日取りはいつか。具体的な計画まで既に立っていたというのに、じゃあ来週見に行こう!と約束を交わしチケットを取った僅か数日後、友人だった呪霊の顔面に向け発砲したあの手の痺れを、私はこの先も決して忘れることはないだろう。


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