「片付きましたか」

ズカンッと鼓膜を突き破る音が生活音の一部として溶け込んでから恐れも躊躇いも忘れてしまった。弾丸を模した呪力が腐った肉体を貫く。すると反作用でピクリと動く死に絶えた体がまるで人を撃ち抜いたような反応をするものだから、錯覚を覚える前に脳幹に向けもう一度引き金を引いた。
成功とも失敗とも取れない任務を終え何も手につかない私を見兼ねた五条先生は新調した呪具と階級と沢山の任務を与えてくれた。『座って黒板眺めているよりも動いた方が余計なことを考えずに済むでしょ?』なんて教育者としてグレーゾーンな発言だ。1週間分の公欠届けを書き七海さんと共に任務漬けの日々を送っている。先生の言う通りだ。命を晒して動いていると余計なことを考えない。だから息をするのがとても楽だ。動けば雑念が消える。祓えばお金が貰える。真希先輩から借りた呪具の弁償代、破れた制服を買い直すお金、生きるためには稼がなければならない。不純な動機と思われるかもしれないが、今の私の原動力はお金だ。
倦怠感は取れるどころか積み重なっていくばかり。しかし今くらい頭が疲れてないと人から作られた呪霊を相手に正気を保つことなんてできそうにない。呪具についた血液を振り払って顔についた汚れを拭こうとするも制服に染み付いた煙草の匂いが汚れた顔を拭う行為を躊躇わせる。そうだった、家入先生からの借り物だった。早く自分の制服が欲しい。
捲りあがっていたタイトスカートの端を下ろし、部屋の隅で見守っていた七海さんに声をかける。終わりました。また改造された呪霊でした。見えない敵を睨みつけ重たい口で報告した私に七海さんは眉ひとつ動かさず『お疲れ様でした』と淡々と労いの言葉を述べるとポケットから車の鍵を取り出した。

「今日の任務はこれで終わりです。報告書は補助監督の方へ提出を」

今日も昨日と変わらない。場所が変わるだけ。やっていることは同じ。乗り込む車の色も、座る席も、視線を逸らす先も。モノクロの景色は黒が白を喰っている。何処に目を向けても世界は憂鬱が延々と続いてる。
何かをしていないとすぐに終わったことを振り返ってしまうから真新しい呪具を磨きながら車窓に映る頼りない顔にため息を吐いた。七海さんには寛いで構わないと言われたがこんな重苦しい気持ちで足を伸ばせる人は虎杖くんくらいだろう。することも無くなって暇潰しに素数を数え、明日の任務に向け手を組み瞼を下ろした。高専に着くまでの間少しでも疲労を回復しておこうと背もたれに体を預けウトウトと船を漕ぐ。体感的に5分くらいだろうか。エンジン音が止まり、もう高専に着いたのかと寝ぼけ眼を擦っているとなまえは車が地下駐車場に停まっていることに気づき瞬きを繰り返す。高専に地下駐車場はないし、停まっている車の数からしてもここは一般的な地下駐車場だ。意外、七海さんも寄り道するんだ。絶対帰るまでが遠足だとクソ真面目なことを言いそうなタイプだと思ってた。

「私用ですか」
「いえ、公用です。みょうじさんにも関わる事ですので同行してください」

そう言ってシートベルトを外し車を降りる七海さんに私は慌ててシワひとつないスーツの後を追いかける。追加任務?でも今日の任務は終わりだと七海さんが言ってたはずだが。
薄明かり。乾いた空気。呪霊が発生しそうな条件はそこそこに揃っているが、七海さんの足が止まる気配はない。何処に行くのだろう。颯爽と歩く七海さんに違和感を抱きながらも黙って後を着いた先にはなんとまぁ手強そうな呪霊…ではなく携帯ショップだった。まさか途中で知らない背中を追ってしまったのかと、潜ったばかりの自動ドアを抜け頭一つ抜けたスーツ姿を探した。しかし周囲を見回しても七海さんらしき人物は見当たらず彼に良く似た長身の男性が早く来なさいと呼びかけるものだから、私はいつでも呪具を取り出せるよう危機感を募らせながら再度自動ドアをくぐった。

「お好きなものを選んでください」
「…あの、状況が全く理解できていないんですが、これのどこが公用なんでしょうか?」

そもそも貴方は本当に七海さんですか。恐らく、否、彼が紛うことなき七海さん本人であることは今日もピッチリ固められた七三を見れば明白ではあるけれども。‘公用’の定義が私の中で激しく揺らいでる。突然携帯ショップに入店し、説明も手短にさぁ欲しいスマホを選べと言われても困るといいますか。スマホは一種類しかないと思っていた人間にスマホ選びはハードルが高すぎる。どの商品も同じような形で値段と名前を変え並べられているようにしか見えない。どれを選べばいいのか当惑する私に七海さんはこれはどうかとcmでも宣伝しているらしいスマホを指さし慣れた手つきで画面を人差し指で軽く滑らせた。落としたが最後硝子のように容易く割れてしまいそうだが、これ一つで検索や写真、電話、メールも使える上にポケットで持ち運び可能な点はとても便利だ。

「任務を遂行する上で最も重要なことは仲間との連携。その手段として持っておくに越したことはないでしょう。任務の他にも連絡事項の伝達や送迎時の連絡、情報収集など使い勝手はいいと思いますよ。初心者向けの機種もありますが、釘崎さんや伏黒君と同じ機種にしておいた方がいいかと。使い方に困ったら聞けますから」

使い方に困ったら友達に聞けと言われたこと以外は機械というよりもスマホ初心者な私の頭にはいまいち情報が残らなかった。契約書に名前を書いたり高専の住所を書いたりとスマホを手に入れるだけでも役所並みに面倒な手続きばかり。その上想定外な高額出費に貧乏人は薄い懐を押さえるしかない。だが嬉しいことに必要経費は高専から全て落ちるから心配する必要は無いと、初期費用は全て七海さんが一時的に肩代わりし、みょうじなまえ、この度スマホデビューすることが出来ました。凄い…軽いし、薄いし、制服のポケットに収まってる。電話もメールもこれ1台でできるなんて、もう公衆電話を探す必要も10円玉を数枚ストックする必要も無いのか。ありがとうスマホ。

「七海さん。あの、ありがとうござい」
「お礼は結構。仕事ですので。5分時間が押しています。次の場所に向かいますよ」
「は、はい…」

次も公用なんだろうか。車に乗って移動する必要が無い距離に用事が控えているようで、無理せず追いつけるスピードで前を歩く七海さんの後を袋を揺らしてついて行く。ブティック街を素通りし、大きな液晶を壁にかけた建物内へ吸い込まれるようにして入っていった七海さんに私は立ち止まり頬を抓った。七海さん…今日は相当疲れてるのかな。でないと迷わず映画館になんて入らないよね。謎に人も多いし、いつの間にかネクタイも緩んでるし。
見る映画は事前に七海さんが決めていたようで、発券機から2人分のチケットを取ると流れるように次はフードショップへと並ぶ。何を買うんだろう。ごちゃごちゃとしたメニュー表を隣で眺めながら、映画館はポップコーン以外も売っていたんだと心の中でへぇ〜と感嘆していると上から向けられる視線に気づき私は斜め横へと顔を上げた。

「何か食べますか」
「い、いえ。お気遣いなく」
「そうですか。ではポップコーンSサイズを1つ塩味で。それとチュリトスも1つ。飲み物は?」
「ジンジャエールのMサイズ。おねがいします」
「それとカフェラテのホットを1つ」

高専に帰ったら払いますと一文無しのポケットを押え約束を取り付けると七海さんは『ここは素直に奢られておきなさい』と長財布の口を開けた。ごゆっくりどうぞと店員から食べ物を受け取って上映時間の15分前にシアター内へ入場する。チケットも七海さんが買ってくれた。歯に挟まるから得意じゃない、甘い物はそこまで好きじゃない、とポップコーンもチュリトスも受け取って、結局コーヒーを除いて全て私が貰ってしまった。遠慮することを分かっていて全部私のために買ってくれた。なんだか申し訳ないな。

「あの、七海さん。ありがとうござ」
「映画が始まります。お静かに」
「あっ、はい」

誰かに言われた?それにしても七海さんにここまでさせる人なんて五条先生か家入先生くらいだろうけど、任務が絡まない案件を快く引き受ける人とは思えない。伊地知さんの線も疑ったがあの人は思っていても立場上口に出さないだろうし、仮に虎杖君に頼まれたからと言って行動に移すようなことはしない気がする。
単調な冒頭部分が終わりスクリーンに大きく映し出されるタイトルは順平君が面白いと絶賛し今度見ようと約束した続編物。たしかスプラッター系の胸糞映画だと言ってたような。呪術師ならこれくらいのグロは平気だと思うが、七海さんこういう系統の映像物は最後まで席に座っていられる人なんだろうか。生々しい交尾シーンを親と眺めていような気まずさになまえはチラチラと硬い表情筋の反応を伺いながらスクリーンに目を向ける。そういえばこの映画R18+指定だったなぁ。開始早々ズボンを脱ぎ爛々と自慰を始める主人公を眺めながらなまえは七海の反応に構わず呑気にジュースを啜った。

「面白かったですね!映画とはいえ解体の荒らさは目につきましたが、その後の改造に関してはとても興味深かったです。身近なもので代用して麻酔なしで手術を成功させるなんて反転術式ありきでもあれは難しいですね。家入先生ならできるかもしれませんが…」
「あれを見て肯定的な感想を述べるのは貴方くらいじゃないでしょうか」
「…そういう七海さんはどうでしたか?」
「そうですね。やはり、労働はクソだということを改めて再認識しました」
「あの…私たち同じ映画見てましたよね??」

高専関係者ってつくづく変わった人ばかりだ。同じ色を見ていながら口にする色の名はみんな絶妙に違う、みたいな。ひねくれてるというよりも変わってる。あと素っ気ない。転んでもまず『大丈夫?』なんて言わないし、手を貸してもくれない。けれど離れた距離からさりげなく施される優しさが時に言葉や行動よりも強く心の支えになってくれる時だってあると思う。
思い悩んで、俯いて、大丈夫か?と聞かれても大丈夫としか返せない私だから、間接的で不器用な優しさがじんっと胸に染み渡る。
車に乗った時自身の変化に気づき目を擦った。ごちゃついた頭の中が整理されモノクロだった世界に色が戻ってる。少しだけ世界が眩しく思えた。まだ地下駐車場の中だというのにだ。窓からルームミラーへ視線を移すと一瞬運転手と目が合って、直ぐに逸らされた。なぁんだ、ガッツリ私用じゃないですか。どうして嘘なんてついたんですか。

「七海さんって見かけによらず優しい人ですよね」
「おや、苦手の間違いでは?」
「うっ…まぁ、それは…否定はしませんけど。でも、今日一日の事もそうですし特級呪霊のことも合わせて、言葉や態度は厳しいけれど、呪術師の中では誰よりも私の事を気にかけてくれてたんだなぁって」

違いましたか?その問いかけに七海さんはため息で返し、一言、『帰りますよ』とはぐらかした。素直じゃないなぁ。今度虎杖君に今日のことを自慢しよーっと。

「高専に帰りますが、やり残したことは?」
「今日はもうないです。それにあまり欲を出しすぎるとバチが当たりますから」

ラジオの音量を+に回し高専に向けタイヤがゆっくりと回り出す。都会の喧騒に手を振って、少し開けた窓から世界に顔を出す。煙草のような煙の匂い。ちょっとだけ、嫌いじゃないかも。

「七海さん、今日はありがとうございました。またお願いしますね」
「…考えておきます」

今度は虎杖くんも誘って七海さんが見たい映画を見に行きましょう。私も七海さんも映画鑑賞が下手くそだから、今度は虎杖くんを連れて。彼も彼の友人も映画が好きだったから、きっと2人分の感想と見所を鼻を膨らませて教えてくれると思います。


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