「主、ちょっといいかい?」
部屋の外から聞き慣れた声が聞こえる。燭台切光忠だ。入室を許可すると彼は襖を静かに開けて足を踏み入れた。
「主、格好は常に整えておくべきだよ。いつ誰が見ているかわからないからね」
部屋に入るなり此方の様子を見て何やら忠告してくる。いつも右目に眼帯をつけている彼は伊達政宗の刀でもあり何かと格好に煩い。
「僕がいないからって、適当な服を着てたら駄目だよ。カッコよくしていないと」
この本丸は自分の家みたいなものだし、自分の刀剣しかいないのだから気楽な格好で過ごしたいのだが燭台切光忠はそれを許してくれそうもない。
「だめだめ、主。身だしなみは大事なんだから」
そう言って部屋の奥の戸棚にしまってあった服を取り出す。光忠が取り出しているのは余所行き用の服だ。わざわざ本丸で着なくても。
「ほら、整えるからじっとして」
「光忠!それ今着なくてもいいやつ!」
「主なんだから身綺麗にしておかないと。それに髪も寝癖がついてるよ」
そう言ってテキパキと服を着替えさせ、髪を丁寧に梳かしてセットする。さながら美容師のようだ。本当に刀剣なのだろうか。
「うん!カッコよく決まった!」
ひと通り光忠にいじくりまわされた後、どうやら納得出来る仕上がりになったらしい。光忠は部屋に来る度にこれだ。
「それで、今日はなんの用事?」
「用事は済んだよ」
わざわざ主の身なりを整える為に部屋にきたということなのだろうか。彼だって自分の用事があるだろうし、そんな面倒なことしなくてもいいんだけど。
「僕が君に触れたかっただけ」
「え?」
触れたかった?光忠が?
「いつも君の隣には長谷部くんがいるからね。君から僕に触れてくれることは少ないだろう?」
そういえば、普段は長谷部がつきっきりでいることが多く光忠と過ごすことはほとんどない。出陣の時にやり取りすることはあったが、彼と二人きりになる時間は少なかった。
「だから、こうやって君の身だしなみを整える名目で会いに来てたんだけど、気付いてなかった?」
ゆっくりと彼が近づいて来る。光忠の左目が寂しげに揺れ、ソッと光忠の手が私の顔にそえられた。
「主は僕には興味がないの?」
「そういうわけじゃ」
じわじわと此方へ詰め寄ってくる光忠。決して彼を蔑ろにしているわけではないが、近侍の仕事は長谷部に任せている。光忠は長谷部に比べると出陣や遠征が多く、触れ合える時間は少ない。
こうして会いにくるのは彼なりの理由があったのだ。
「ただの刀である僕が、主にこんな感情を抱くなんておかしいよね」
「…光忠」
彼になんと言葉をかければいいのだろうか。
私達の間に気まずい沈黙が流れる。
「……ごめん、君を困らせてしまったかな」
戸惑ってしまった此方の様子を察してか彼は名残惜しそうに私の顔から手を離す。
「主、格好は常に整えておかないとね」
しばらくすると気を取り直した様子で彼は少し微笑んで言った。
「また来るよ、主」
後片付けを済ませた光忠はヒラリと手を振ると踵を返して部屋を去っていった。本丸で顔を合わせても彼は何事もなかったかの様に振る舞うだろう。
先程まで光忠がいたこの場所。音もなくシンと静まりかえる部屋の中で、私は心を落ち着けることは出来ずにいたのだった。
Please find
18/03/23
自分に気付いてほしい光忠。