執念を思い知る
嫌な予感がした。博多と話していたのを止め、俺は主の元へと急ぐ。後ろから博多が俺を呼ぶ声がするが、今は相手してやれる余裕がない。ぐらり、主の華奢な身体が傾いたのを見て、俺は強めに足を踏み込む。もっと、もっと速く…!!ぽす、と俺の腕の中に収まる主を見て、ホッと一息付いたと同時にーー…沸々と、怒りが湧いて来る。
「…貴様、主に何をした」
俺の声に、さっきまで喚いていた不動がピタリと口を閉ざす。未だに青江と石切丸に刀を向けられているのにも関わらず、主に危害を与えた奴は飄々としている。…憎たらしい。ミンチのように、切り刻んでやりたい所だが、主に何をしたのか聞き出さなければならない。
物吉と神楽が慌てて近寄って来る。主の顔を覗き込んで来た神楽から遠避けるようにすれば、物吉は俺の態度に顔を顰め、そんな物吉を宥めてから神楽は深い溜息を吐いた後、口を開く。
「ーーどういうつもりだ、神無。アンタは薺に何をした?あたしには薺に返すものがあるとしか言ってないよな?」
「それは私達も聞いていることだけど…何を返したのか教えて貰おうか」
「…薺は深い眠りについてるだけ。目覚めるかは彼女次第…」
「な!!何を返したんだって聞いてんだよ!!目覚めるか分からないってどういうことだよ!?」
「…時間がなかった」
「意味分かんねえよ!ダメ刀だからってナメてんのか!!」
「落ち着きなさい、不動。…詳しく話して頂けますよね?」
「…宗三」
「貴方には感謝しますよ、長谷部。可愛い薺の頭を地面にぶつけたくないですからね。…お願いしますね?」
「ーー…ああ、任せておけ」
つまり、俺は何も言うな、ということだろう。確かにそうだ、殺気で主を怖がらせる訳にはいかない。フラフラと近寄って来た江雪に主を引き渡せば、江雪は元々の白い顔を更に白くして主を抱き締める。本来なら渡したくはなかったがー…まあ、主もその方が落ち着くだろう。兄だと慕っているし。はらはらと涙を流している江雪の服の裾を掴む小夜の顔は憎悪に満ちている。俺は溜息を付き、軽く小夜の頭を叩き、落ち着けと言ってから宗三の隣に移動する。神楽と宗三に色々言われながらも未だに口割ろうとしない奴に苦言を言おうとしてーー…異変に、気付いた。
「…おい」
「っ、何ですか!!貴方は黙っていなさいと言ったでしょう!?」
「主は江雪にちゃんと引き渡した。…鏡、動いてないか?」
「何言ってんだ、長谷部。鏡が動く訳ーー…動いて、る?って、石切丸も青江も怖い顔してどうしたんだよ!?」
「…良くない気がするね。斬ろうか」
「…待ってくれ、この気配はー…聞いていいかい、神無」
「…何?」
「これは、薺に入っていた魂だよね?つまり、…薺の魂は奈落の瘴気に侵されていた訳かな」
「ー…は?」
「い、石切丸?それは、どういうことですか?」
「つまり、薺の元々の魂と何らかの奈落の細工が入った魂を入れ替えていて、このままだと奈落に侵食されてしまうから元に戻した、って解釈で合ってるかい?」
「はあ!?彼奴、そんなことまで…!!くっそ、道理でことごとく薺に会う機会を潰される筈だ!そりゃあそうだよな、薺の心臓を握ってるようなもんだ、監視してたんだな…」
「落ち着け、神楽。…あの男、やはり斬り捨てるべきだったか」
「…私にはもう、奈落に従う意思はないから。ただ、魂を入れ替えてから時間が経ち過ぎているからー…どうなるかは、分からない…」
「……全ては主の意思次第という訳か」
俺の言葉に、神無は重々しく頷く。魂の入れ替えなんて、そんなの考えてすらいなかった。冒涜だろう、そんなことは。カタカタと忌々しげに揺れている鏡を見て、神無は辺りを見渡し、石切丸の前にそっと掲げる。壊して、彼女の口がそう動いたのを俺が確認したと同時に、石切丸もそう理解したのか本体を振りかぶる。パリン、と割れた音がしたと思えば、身体中を縛り付けられるような深い深い瘴気が辺りを充満する。…これほどの瘴気を、今まで浴びていたのか?
(ーー…何て、惨いことをする)
最初からではなく、徐々に増やしていったのだとは分かっているが、…主の側は本当に心地良かった。瘴気に蝕まれているなんて、考えすらしていなかったくらいだ。それはきっと、主が無意識の内に反発していたからだろう。…浄化に長けているとも言っていたからな。江雪に大切そうに抱えられている主の方を見ていれば、カタカタと揺れているのが視界の端に映り込む。素直じゃないな、相変わらず。
「宗三、行って来い」
「は、な、何を言っているんですか?」
「お世話役のこの俺が譲ってやると言っているんだ、心配なんだろう?」
「っ、…貸し1つ、ですからね」
「ああ」
宗三はそう吐き捨ててから、走って行く。普段からその機動を出せないのか?無理か、そうか。江雪の隣に座り、江雪の手を握りながら不安そうな表情を浮かべる宗三を見て、俺は深い溜息を付く。主なら、きっと大丈夫だと信じたい。…俺はまだ、あの人に何も返せて居ない。ぎゅ、と自分の拳を握れば、ぽん、と背中を叩かれる。振り向きながら俺は口を開く。
「…何だ、薬研。今の俺に余裕なんてないぞ」
「…だよなぁ…俺も正直、奈落に対して怒りしか湧いて来ないぜ。秋田を閉じ込めた挙句、小夜を悲しませ、アンタも悲しませてたし、大将すらも狙ってたとはなあ…柄まで通す、どころじゃ済ませられないな」
「珍しいな、お前がそこまで昂ぶってるのは。普段のナリはどうした?弟達が泣くぞ」
「茶化さないでくれよ、長谷部の旦那。こんな姿、弟達には見せられないだろ?五虎退なんてあんなに顔を真っ青にしてるんだ、いち兄達総出で宥めてるけど、あれは時間が掛かるな」
「…不動は、自分のせいだと責めているな。動けなかったのは俺も同じだというのに。…薬研、お前なら、間に合っていたか?」
「…無理だろうな。石切丸の旦那や青江の旦那、更には数珠丸の旦那すらも気付かなかったんだ、俺が気付ける筈がない。…けど、今の大将は本調子じゃないんだ。…ただの、人間なんだよな」
「…それに加えて、主は身体があまり丈夫ではない。石切丸の加護があるから今は大丈夫だそうだが、…負担は凄い、だろうな」
「…いやあ、血の毛が引くってのはこんな感じなんだな。二度と味わいたくねぇや」
「…同感だ。帰ったら堀川に頼んで血液に良さそうなものを作って貰おう。きっと疲れているだろうからな」
「…長谷部」
「大丈夫だ、薬研。あのお方は必ず帰って来て下さる。あの方が約束を違えるなど、有り得ない」
だから、お前も信じろ。ポン、と頭を撫でながら言えば、下から鼻を啜る音が微かに聞こえて来る。強がらず、短刀なんだから短刀らしくしていれば良いものを。全く、この本丸には素直じゃないのが多過ぎる。…まあ、俺を含めて、だがな…薬研を一期に無理矢理引き渡し、弟達に揉みくちゃにされている薬研に親の仇のような目で睨まれたが、今は甘えておけ。知らぬ存ぜぬで通そうとして視線を逸らしーー…気付いてしまった。
「…青江」
「何だい?君から話し掛けてくるなんて珍しいじゃないか」
「お前、…妖の類は斬れるか?」
「!…穏やかじゃないね。斬れるよ」
「どうやら奈落は俺達が思っている以上に執念深いらしい。…割れた鏡の破片から変な影が伸びている」
「!これはこれは…喧嘩売られてるよね?ふふ、…馬鹿にするのも大概にして欲しいよね」
「…いけるか?」
「勿論。…お帰り頂かないとね」
「ああ。…俺達の主に手出しは無用だ」
俺の言葉に、青江はにっこりと満面の笑みを浮かべながら、周りに気付かれないように気配を殺し、影が伸びている鏡の破片に本体を刺し粉々にした後、ブンッ!!と脇差を振るう。ナニかが居たんだな、そこに。俺の視線に気付いたのか、青江は力強く頷く。石切丸、太郎太刀、数珠丸は主の為に祈祷をしている。青江は嫌な予感がするから見廻りの方に回るね、と言ったことには驚いたが…正解だったな。俺では払えないからな。…少しくらい、教わってみるか。使えるかも知れんしな。まあ、“次”は絶対に有り得ないが。
(ーー…貴様の側になぞ連れて逝かせて堪るか)
貴様に主は、薺様は指1本すら勿体無いし、不釣り合いだ。桔梗とやらに惹かれながらも主に想いも寄せていた?魂ごと自分の手中に収めようとしていた?ハッ、そんな都合の良いことを許せる筈がないだろう?貴様は地獄で閻魔様と逢い引きでもしていろ。此方側に関わるな、退場した分際で主をモノになぞ出来る筈がないだろう。
目が覚めたら、主に手入れして貰おう。前の主のことを忘れた訳ではない、がーー…薺様の為にこの刀、振るいたいと思うのです。だからーー…
「早く、…迎えに来て下さいね」
待てと言うのならいつまでも。ああ、でも…そんなに気が長い方ではないので、なるべく早く迎えに来て下さいね、俺の、俺だけの大切なーー…主。
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