ーー何だか、変な感じですね。

今日、私は呉に視察に向かうことになる。昨日の夜は頑張れ会?みたいな感じで凄く豪華なご飯だった。殿!?とびっくりしながら聞けば、殿は茶目っ気たっぷりにこれは魏だけの秘密だと笑いながら言っていた。その後ろで夏侯惇殿が鬼の様な形相で帳簿を見ていたのは……気にしない方が良いのかな、うん。…お金が厳しい状態だったら夏侯淵殿から渡して貰おうかな…私への贈り物だから少しくらいは貯金を切り崩しても良いよね?因みにお酒は一切なかった。郭嘉殿や賈詡殿はちょっと寂しそうではあったけど、夏侯惇殿や荀ケ殿、于禁殿が目を光らせていたから一滴も飲めなかったんだろうなあ…私はお酒好きだし合っても良かったんだけど…偶々気分じゃなかったのかな?
私は殿と夏侯惇殿と一緒に呉の総大将である孫堅殿達の部屋へと向かって居る。本当なら夏侯淵殿が来るはずだったんだけど、急に用事が出来たそうだ。どうしてよりによって夏侯惇殿に声を掛けたのかな……嗚呼、色んな意味で胃が痛い。霞月ちゃんに早く会いたい…


「…翠青」
「!は、はい。どうかしました?」
「…その、何だ……無理はするなよ」
「え、は、はい。勿論です!」
「…お前は魏の優秀な人材であることを忘れるんじゃないぞ」
「あ、有り難うございます…勿論、肝に命じています!」
「…夏侯惇は相変わらず素直ではないな。翠青、夏侯惇はお前を心配しているだけだ、何かあれば頼ってやってくれ」
「っ、孟徳!!」
「事実であろう」
「それはそうだが…!!くそっ…」
「…えっと、私は殿にちゃんと忠誠誓ってますから、大丈夫です。信用して貰えないかも知れませんけど、私は魏から離れるつもりはないですよ」
「…信用なんて最初からしてる。お前が孟徳の為に頑張っていたのも知ってる。……辛くなったらすぐに帰って来い」


返り討ちくらいはしてやる。
そう呟いてから、夏侯惇殿はそっぽを向いてしまい、私が反応する前にどんどん先に歩いて行く。…まだ怖くて仕方ないけど、悪い人ではないのは分かってる。不器用だけど優しい人、なんだと思う。…少しだけ、苦手意識がなくなった気がする。ちらりと殿に視線を向ければ、まるで微笑ましいものを愛でているような優しい眼で夏侯惇殿を見つめていて、私の視線に気付いた殿はフッと優しく笑った後、ポンポンと頭を撫でてくれた。…夏侯惇殿が殿を敬愛しているのと同じように、殿もまた夏侯惇殿が大切なんだと分かって思わずほっこりする。


(…そんな関係に、私もなりたいなあ)


まあ、すぐになれるとは思っていないけど。いつかは、とそんな淡い考えを抱きながら後を追い掛ければ、夏侯惇殿に遅い!と叱られて思わず肩が跳ねる。や、やっぱり怖いぃ〜…ひくりと頬を引き攣らせた後、静かに視線を逸らした私は気付いていなかった。その言葉は私ではなく殿に向かって言った言葉であり、私の反応にやってしまったと言わんばかりに肩を落とす夏侯惇殿と、そんな夏侯惇殿に呆れたような視線を向ける殿の姿なんて、私は想像すらしていなかったーー…
そんな気まずい雰囲気の中ひたすら進んでいれば、こちらに向かって来る軽快な足音に気付き顔を上げて、


「ーー霞月ちゃん!」
「翠青ちゃん!!やっっと会えたべ!待ちきれなくて来ちまっただ」
「…え、大喬殿とかには迎えに行くって言ったの?」
「大喬様には言ったから大丈夫だべ!」
「…大喬殿にしか言ってないんだね」


私に飛び付いて来た霞月ちゃんは満面の笑みで大喬殿の名前を口にしては幸せそうな顔をしている。幼馴染みが幸せそうで私も嬉しいなあ。まあ、だからと言って勝手に飛び出して来たことは怒らなきゃいけないけどね。多分大喬殿から了承得てないだろうし、孫権殿がハラハラしてそうな気がする。そんなことを思いつつも殿と夏侯惇殿に視線を向ければ、殿は愉しそうに笑いながら、夏侯惇殿は溜息を付きながらやれやれと言わんばかりに首を振っていた。…幼馴染みがすみません。


「はっ!…こほん。曹操様、夏侯惇様。孫権様が入口でお待ちです」
「うむ。…入口、とな?」
「おい、殿が入口に来て良いのか。それは他の連中の仕事ではないのか」
「…練師様はそう言ってたんですけど、孫権様が迎えに行くと言って聞かなくて…孫堅様と孫策様は行きたければ行けば良いって感じですし…多分まだ入口で揉めてるんじゃないですかねぇ…」
「えーっと、それは大丈夫なのかな…?」
「さあ…?」


私の言葉に、霞月ちゃんは首を傾げる。大喬殿が関わっていればもう少し興奮してるんだろうけど、関わってないからか興味なさそうな表情を浮かべている。ちらりと殿と夏侯惇殿の方を見れば困惑顔をしていてそりゃそうですよね、なんて頷いてしまう。霞月ちゃんの大喬殿への想いの強さは私達の想像を遥かに超えるくらい大きい。彼女と仲が良い私や珠華ちゃんだってまだまだ理解出来ない部分もあるのに、あまり関わってない殿と夏侯惇殿が理解出来る筈もないよね。…まあ、たまに珠華ちゃんは理解出来てるみたいだけど。やっぱり敬愛してる人が居れば変わるのかな…


「ーー曹操殿、夏侯惇殿、翠青殿!お待ちしておりました!霞月、出迎えご苦労」
「これくらい大丈夫です、孫権様。あの、練師様がかなり怒ってるみたいなんですけど…」
「あー…まあ、気にしないでくれ。私は大丈夫だと言っているのだが、彼女が心配性でな…」
「お言葉ですが孫権様。出迎えは一番立場が偉い者がすることではありません。大人しく執務室に居て欲しかっただけなのですよ」
「私はまだまだ若輩者だぞ?」
「そんなの関係ありません!!何処かに間者が潜んで居たらどうするのですか!」
「それについては全く心配してないが…頼りになる仲間が居るからな。お前達だからこそ私は安心して無茶が出来る」
「〜〜っ」
「勿論、霞月に対しても信頼を置いている。義姉上のことは霞月に一任しておけば問題ないからな。頼りにしているぞ」
「ひぇっ、あ、有り難う、ございます…」
「…人誑しは相変わらずか。孟徳も引き抜きたいならあれくらいの話術を身に付けたらどうだ?」
「うむ、儂も翠青と共に視察する時間を作っても良いかも知れんな」
「…練師殿も霞月ちゃんも顔真っ赤…凄いなあ…」


まるでトマトのように耳まで真っ赤にしている二人とは対照的に、孫権殿はそんな二人の態度にきょとりと首を傾げながらも、殿と夏侯惇殿に笑顔で話しかけて行く。…天然人誑し、と言うやつなのかな。過去に珠華ちゃんがそれぞれの長のことを褒めていた時のことを思い出す。劉備殿や殿、孫堅殿の時は饒舌に褒めていたのに、孫権殿の時になると珍しく曖昧な感じになっていたっけ。いつも分かりやすいように噛み砕いてくれる珠華ちゃんにしては珍しいね、なんて霞月ちゃんと言い合っていたことを思い出す。


「…あの人は、何か掴めないよね。これといって秀でてる一面がある訳じゃない。経験が圧倒的に足りない。でも、支えたくなるような魅力を持ってる、不思議な人」


ーー立場が違えば、違う未来があったのかも知れないね。
そんなことを言ってからは何を言ってもうんともすんとも言ってくれなくなったけれど、改めて顔を合わせて何となく分かったような気がする。…孫権殿は、不思議だ。どうしてかこの人なら大丈夫だっていう気分になる。孫堅殿が隠居を選んだのも、孫策殿が裏方に回っているのも分かる気がする。上手くは言えないけれど、ね。そんな思いを抱いていれば、こちらに向かって歩いて来る音が聞こえ、その音の方に目を向けた孫権殿は嬉しそうに笑いながら口を開く。


「おお、陸遜に朱然!紹介しよう、彼女が視察として暫く呉に滞在する翠青殿だ。翠青殿、こちらは呉の優秀な軍師である陸遜と朱然だ。私は火計に対してはあまり知識はないからな、この二人に任せようと思っている。何かあれば何度でも聞いてくれて構わないぞ」
「…殿、お言葉ですがそれは殿自らではなく私達から言わせて欲しかったのですが…改めまして、陸遜と申します。翠青殿の火計の腕前は噂で聞いていますので、実際にお会い出来て嬉しく思います。宜しくお願いしますね」
「…殿は本当に何でも自分でしたがるよなあ…俺は朱然だ。俺は頭は良くはないから難しいことは陸遜に聞いてくれ」
「…朱然殿?」
「何だよ、小難しいことは陸遜の方が得意だろ?あ、火計のことなら任せてくれ」
「朱然殿!」
「あ、えっと、大丈夫ですよ。私は翠青です。不束者ですが宜しくお願いします!」
「翠青ちゃん、翠青ちゃん。それはちょっとばかし違う気がするべ」
「え」
「…儂達は翠青を嫁に出すつもりはないのだがなあ」
「…言葉の選び方を間違えるな。孟徳が面倒なことになる」
「は、はあ…すみません…?」


何かおかしかっただろうか。夏侯惇殿の言葉に返事を返してから首を傾げるが、何がおかしかったのか全く分からない。まあ、殿はどことなく落ち込んでいる気はするのだけど…お世話になる訳だし、この挨拶は間違ってはないよね?何で陸遜殿と朱然殿が困ったように笑ってるのかな…孫権殿はにこにこと笑ってくれているのになあ…霞月ちゃんなら分かるかな、後で聞いてみようかな。


「翠青殿は愉快な人だな!曹操殿、夏侯惇殿。来たばかりで疲れたのではないのですか?お茶でもいかがですか?」
「ほう、良いのか?馳走になると…「孟徳」…少しくらい良いではないか、夏侯惇」
「ダメだ。すまないがこいつは翠青が無事に呉でやっていけるかと不安がっていてな、仕事が山積みなのだ。それには4日後に控えている会議に出すものもあるのでな」
「まあ、それは大変ですね…確かゼウス殿と太公望殿も参加するのでしたね。孫権様、準備は出来ていますか?」
「無論だ、練師。翠青殿を案内しなければならないからな」
「ちょ、孫権様自らやるつもりですか!?私がやりますだ!こういうのは上がやっちゃダメです!」
「むう…」
「拗ねたって私達は許可しませんよ」
「翠青だって気心知れた霞月の方が良いだろ?」
「え、あ、はい。えっと、嫌な訳じゃないですから安心して下さいね!ただその、お手を煩わせるのは…気が引けると言いますか…」
「…そういうものなら仕方ない。霞月、頼んだぞ」
「お任せ下さい!」


少々納得いかないという表情を浮かべているけれど、どうやら諦めてくれたらしい孫権殿にほっと安堵の溜め息を零す。…上らしくない上なんだなあ、と改めて思っていれば孫権殿とかちりと目が合い、ふんわりと微笑まれた。この人、笑顔の安売りしすぎじゃない?まあ、何はともあれ…上手くやっていけそうで良かった。

ーーその日の夜は宴会で、お酒を頂いたのだけれど…全く記憶がないんだよねえ。何か孫権殿と朱然殿に面白いって言われたんだけど、何かあったのかな…?

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