それから3日後。
「先輩、また千切豹馬来るんですか?」
「うん。追加で送った物件、何件か見たいって」
「うわー、こだわり強いですねえ」
「そうなの。だから探し甲斐があって楽しい」
「先輩、ほんっとそういうお客さん好きですよね」
「だって『ここだ』って思える家を一緒に探せるんだよ? 楽しいじゃん」
「……変態」
「なんで!?」
佐藤ちゃんに呆れられながら、私は資料をまとめた。
結局、千切様が日本に滞在している間に、さらに四件の物件を案内することになった。
しかし、ここでも千切様が首を縦に振ることはなかった。一件目、二件目、三件目、そうしてとうとう最後の四件目の物件。
本日最後の物件、千切様のお眼鏡にかなうのか!とドキドキしながら部屋に向かう。
一足踏み入れた瞬間、千切様の表情が今までと違う色を浮かべていたのがすぐにわかった。
あ、これかなり感触がいいかも。
「ここ、いいじゃん」
千切様は窓辺に立って、外を眺めていた。その横顔は秘密基地を見つけた少年のような表情で、見ているこちらまで高揚感を抱いてしまう。
「どのあたりが気に入りました?」
「……まず、静か」
それから、少し考えるように部屋を見回す。
今までより明らかに反応がいい。千切様は案外思ってることが表情に出やすいので、非常に助かる。
「朝、ここに光が入るのもいい」
「はい。東向きなので」
「収納も十分」
「そうですね!ただ、ちょっと駅からは離れてしまうんですが」
「いいよ、許容範囲」
「……でも」
「でも?」
「キッチン、ちょっと狭いな」
「……」
「あと、洗面台ももう少し高いほうがいい」
「…………」
私は思わず天井を仰いだ。破裂しそうなほど膨らんだ風船の空気が、びゅうっと一気に抜けていくような感覚だった。まだ風船を飛ばすには早かったらしい。
「で、ですよねーッ!」
「ふはっ」
私の顔を見るなり、千切様は盛大に吹き出した。
差し込む陽光を纏ったような、どこまでも眩しい笑顔。長い紅色の髪が肩口で揺れるたび、その美貌との落差が可笑しいほどだった。
「……っ、はは、ははは!」
普段の涼やかな声からは想像もつかないほど、朗らかな笑い声が部屋いっぱいに響く。
どうやら余程私の顔が面白かったらしい。千切様はしばらくの間、目尻に涙まで浮かべながら笑い続けていた。
「『悔しい』って顔してた」
「……してました」
「『またかー』って顔もしてた?」
「そ、それはしてません!」
それから二人でしばらく笑った。気づけば初めて会った時よりも、随分と話しやすくなっていた。
今回も物件が決まらず残念ではあるものの、最後の好感触な部屋のおかげで、かなり千切様の好む空気感がわかった気がした。
「ちなみに今日の最後のお部屋は何点ですか?」
「80点くらい」
「ってことはあと20点……!」
「……受け取り方がポジティブだよな」
「次こそは絶対千切様と素敵なお部屋を結んでみせますので!」
「ふは、言い切るじゃん」
千切様が日本にいるのはあと1ヶ月。その間になんとしてでも、ホッとできるお部屋を見つけ出したい。
メラメラと仕事の炎を燃やしていると、千切様は「あ、そうだ次の内見の日なんだけど……」とスマホを操作しながら呟く。
「一週間後、また16時がいいんだけど」
「承知しました! 確認しておきます」
「てか、ミョウジさんと直接やり取りできる連絡先とかない?」
その方が楽で助かるんだけど、と千切様は続けた。危ない、これがミーハーな女性ファンだったら速攻連絡先を渡していたと思う。だがしかし、私は仕事にだけは真面目な人間なので、千切様の申し出にはやんわりお断りを入れる。
「すみません、規則でダメなんです。私が席を外してる時は折り返しますのでご安心ください!」
「そっか、わかった」
千切様を送り届けて会社に戻ると、佐藤ちゃんは爪にネイルオイルを塗りながら、私の顔を見てにやにやと楽しそうに笑っている。
「また決まらなかったんじゃなんですか!」
「……くっ、そうだよ!」
「あはは! 千切豹馬、先輩のこと狙ってません!? 大丈夫です!?」
「ナイナイ、引く手数多なイケメンサッカー選手だよ」
佐藤ちゃんは、国民的アイドルと不動産会社の女性が恋に落ちるという韓ドラを最近見たばかりらしく、そのことについてしばらく熱弁していた。
「てか先輩もさすがに千切豹馬のことはイケメンだと思うんですね」
「綺麗な人だと思うよ」
「ふうん、へえ〜」
「な、なに!?」
「先輩にもそういう感情あるんだなって」
「あるよ!佐藤ちゃんのこと可愛いと思ってるし」
「……い、今の、キュンとしました」
一部始終を見ていた上司に鼻で笑われてしまい、私たちは残りの仕事をいそいそと片付け、その日は退勤した。
◇
――3日後。
私は相変わらず、千切様の部屋を探していた。
約束の内見の日まで、あと4日。
前回の内見でかなり好みは絞れてきた。駅からの距離は多少妥協できる。静かで、朝日が入って、設備が身体に合っていて、セキュリティもしっかりしていること。
あの日の千切様の表情を思い出す。どちらかというと取っ付きにくいクールな第一印象からは想像もつかない、少年のような顔。
プロサッカー選手で海外で活動しいてる、順風満帆な人。だけど、人間だもの。ずっと「プロサッカー選手の千切豹馬」でいるわけじゃないもんね。
――その日は仕事を終えると、私はいつもの小さな居酒屋『げんこつおやじ』へ向かう。外観は心配になるほど小汚いのだが、中は昔懐かしい昭和チックなインテリアで、大人の隠れ家という雰囲気がして、すごく落ち着くのだ。
「こんばんはー」
「ナマエちゃんいらっしゃい。いつもの?」
「はい!」
大将がキッチンからひょっこり顔を出し、私だとわかると生ビールを準備してくれる。
カウンターに座り、ほかほかのおしぼりで手を拭いていると、「あ。ミョウジさんだ」と、聞きなれた声に名前を呼ばれる。
一席空けた隣には、最近私の頭を占めている、紅を溶かしたような髪が見えた。
このいかにも庶民的な小さい居酒屋に、似つかわしくない麗人が居た。こんなにもオーラが隠しきれていないと言うのに、私はなぜ声をかけられるまで気が付かなかったのか。
「ち、千切様がなんでこんなとこに!?」
驚く私の声を聞いた大将に「こんなところとか言うな!」と大きな声でツッコまれ、びく!と体を跳ねさせる私に千切様はまたケラケラ笑っていた。
「なんでって、初日の内見の日に教えてくれたじゃん」
「……あ。」
薄ら汗を滲ませながら運転した日のことを思い出す。
そういえば、千切様におすすめを聞かれて、咄嗟にげんこつおやじのことを話したなあなんて。
「びっくりしたよ、こんな店にプロサッカー選手が来るなんて!」
「た、大将声大きい」
「がはは!」
大将は気を良くしてしれっと一緒にビールを飲んでいるし、奥さんはいつもより丁寧に口紅を唇に乗せていた。……やっぱり、普通は千切様のこと認知してるんだなあと感心する。
「隣いい?」
「あ、はい。どうぞ、」
千切様はお茶子をグイッと飲み干し、私の隣に腰を下ろした。千切様の長い髪が揺れて、ふわりとシャンプーの香りがする。なんのシャンプーを使ってるんだろうか、とんでもなくいい匂いがした。もちろん、聞かずに飲み込んでおくけど。
「結構いい店じゃん、俺も常連になろっかな」
「よかった!意外と料理も美味しいんですよ……あ。」
大将は意外とは余計だ、と言いたげに私を見ていた。
「ナマエちゃんは社会人になってからずっと通ってくれてんのよ」
「へえ。本当に常連なんだな」
奥さんと大将と私、そして千切様という謎のメンバーで話花を咲かせていると、不意に「てか、ミョウジさんってナマエって言うんだ」と千切様が呟いた。
「どんな字書くの?」
「え、」
「漢字」
早く教えろと、言いたげに千切様はペーパーナプキンを私の前に差し出した。隠すことでもないので、ボールペンで書き記すと「いい名前じゃん」と素直に褒められてしまい、異様に口の中が乾いた。
「そうだ、来週16時って言ってたけどやっぱり17時に変えてくんない? その前の用事が長引きそうでさ」
「……確認します!」
鞄からスケジュール帳を取りだし、内見予約時間を確認する。その日は千切様の予約以降入れておらず、変更は問題なかった。
「大丈夫です!」
「よかった、ありがとう。てか、やっぱり面倒だから連絡先教えて」
「……うっ! 心苦しいですが、規則なので」
「それって仕事のルールだろ。今はプライベート、飲み屋でいい女に連絡先聞いてるだけ。問題ある?」
口で千切様に勝てるわけがなかった。というか、事務的な連絡が面倒だからとはいえさらりととんでもない爆弾を投げつけてくる千切様の言葉に、足元から顔にかけて勢いよく羞恥心がせり上がってくる。
真に受けてはダメ! これはリップサービスだ。そう言い聞かせながら、咳き込むふりをして赤い顔を隠した。
「ほら、スマホ」
「けほけほ、……えっ」
「連絡先。交換するんでしょ?」
いつの間にやら決定事項となっており、おずおずとスマホを取り出す。そもそも仕事じゃないのだから、断る理由なんてない。千切様の言う通りだ。
私は観念してスマートフォンを取り出し、そのまま流れるように連絡先を交換してしまった。
チャットアプリの新しい友達、の欄に千切豹馬の名前とアイコンが並んで、思わず背筋が伸びた。
「またなんかあったら連絡するし、ミョウジさんもなんかあったらこっちに連絡して。メール、あんま読まないから」
「しょ、承知しました」
これは信用していただいていると、思っていいのだろうか。まだ付き合いとしては短くて浅いけれど、心の扉を少し開いて貰えた気がして、口元が綻ぶ。
2杯目のビールを口にしながら、千切様の横顔を盗み見た。仕事中は仕事モードに入っているので、千切様の容姿に関して美術館の美しい絵に抱くような印象しかなかったけれど、彫刻のような端正なお顔立ちに、シャンプーのCMに出れそうなサラサラの髪、毛穴ひとつ見えない陶器肌、芯の強さが色濃く出ている瞳。
どこを取っても魅力的な人で、これは確かにモテるだろうなあ、とようやく実感した。
「なに? さっきから人の顔じっと見て」
「いえ、お綺麗だなと……」
ジロジロ見すぎてしまったかもしれない。
慌てて視線を逸らし、再びジョッキに口をつける。
千切様は「今更?」と、呆れたように笑った。さすが、言われ慣れてるからか、謙遜の欠片もなかった。気持ちのいい返し方だと思った。
「ミョウジさんは物件にしかそういう感情ない人かと思ってた」
「ど、どんな印象なんですかそれ」
「仕事に真摯でこんな面倒な客にも丁寧な人ってこと。担当してくれたのがミョウジさんで良かった」
アルコールが入ってるからなのか、これが千切様の素のお姿なのか、そのどちらもなのか。
差し出される言葉が、今までの自分を肯定されているような気がして、早くいい物件を千切様に紹介したいと思った。
他愛ない話に花が咲き、気が付けばラストオーダーの時間になってしまっていた。
「今日は付き合ってくれてありがと」
「こちらこそですよ! ここはごちそうさせてください」
「いらねぇよ、もう払った。親父さん、ごちそうさまです」
「え、」
どうやら払った、には私の分の会計も含まれているらしい。いつの間に!?と驚いている暇もなく、千切様は早足で店の外へ出ていく。私は大将と女将さんに挨拶をして、その背を慌てて追いかける。
「わ、悪いです!」
「いいって。じゃあさ、次は俺のおすすめに付き合ってよ。それでチャラ」
「? それだと私も嬉しいのでチャラじゃないような」
「…………そっか。てかミョウジさん帰りは?」
「あ、終電! そろそろ駅向かいます」
「うん。それじゃあまた、来週ね」
右手を軽くあげ、背を向けた千切は数歩足を進めるが、直ぐに振り返った。
飲み屋街のネオンライトを浴びても、千切様はちっとも安っぽい光に包まれることはなく、そこだけ切り取られたような強い輝きを放っている。
「楽しかった、ありがと」
あまりにも素直に言われて、返事に一瞬詰まった。
「私も、楽しかったです」
千切様は満足そうに笑うと、もう一度だけひらりと右手を上げ、今度こそ背を向けて歩き始めた。
その背中を眺めていると、冷たい夜風が頬を撫でた。だけど、火照った顔はちっとも冷えない。
千切様とのやり取りを思い出しながら、ようやく私も駅へと足先を向ける。
きっと、単純に久しぶりに日本でゆっくり飲めたのと、お店が良かったからであって、私だったら有意義な時間を過ごせたわけじゃないと思う。言葉の全てに深い意味は無い、海外住まいが長いのだからリップサービスもあると思う。
――なんて、何か理由を紐づけて、抜け出せてない余韻から這い出ようと必死だった。