耳朶を焦がす魔法

 千切さんの家具を見に行ったあの日から、千切さんとは特に連絡を取ることもなく。……ということはなく、一週間に数回くらいのペースで連絡が来るようになった。
 『ラグあれ買って正解だった』って新居の写真が送られてきたのが始まりで、ゆるゆるとマイペースなラリーでの会話が続いている。
 返信が急かされている感じもないし、生活環境が全く違う千切さんの話はとてもおもしろい。仕事のちょっとした相談とかも新しい視点で意見をくれたりと、自分の日常に少しずつ千切さんが増えていく。
 住んでいる場所が遠いし、付き合いも長い訳では無いのに、スっと溶け込んでくる。

 ――そう、良くも悪くも、私は千切さんとの関係に安心しきっていたのだ。

  その日は珍しく、仕事終わりに会社の人たちと飲みに行った。普段より少しだけ飲みすぎてしまったらしく、おぼつかない足で玄関にはいり、パンプスを雑に転がしてから、ズルズルと身体を引きずりながらソファに寝転んだ。

 スマホを眺めながら、ぼんやりと千切さんとのメッセージ画面を開いた。

『今日めっちゃ寒い』

 数時間前に届いていたメッセージ。
 イギリスはまだ肌寒い日が続いているらしい。こちらはすっかり春らしくなってきたというのに、海を越えただけで季節の進み方まで違うみたいで、なんだか不思議だった。

『こっちはもう暖かくなってきましたよ』

 そう返して、ふふ、と一人で笑う。
 気温的なものなのか、私が酔っ払っているからなのか、ほかほかと熱がこもった身体は、いつも以上に口元が緩む。
 心地よい高揚感。
 大人って最高だ、お酒を飲むだけでこんなに幸せな気持ちになれるのだから。

 ふと、画面に映る名前を眺める。

 千切さんからは、まだ返信はない。でも、既読はついていた。
「ちぎりさん。ちぎり、ひょーまさん」

 なんとなく名前をフルネームで口に出してみる。
 前までスポーツ観戦にちっとも明るくなかったが、意識してメディアを見るようにしたら、千切さんの名前や顔を見る機会が増えた。
 テレビの画面の方が、千切さんの顔を見る機会が多いなんて不思議な気持ちだ。
 ……千切さん、会いたいなあ。
 熱に浮かれて、いつもより理性も羞恥心も働かず、無性に千切さんの声が聞きたくなってしまった。
 アルコールとは恐ろしいものだと、私はこのあとすぐに後悔することになるとも知らず、

 ――気づけば、通話ボタンを押していた。

 数回の呼び出し音が鳴り、ぼんやりとした頭でコール音を聞いていると、耳に押し当てたスマホから『もしもし?』と、千切さんの声がした。
 千切さんに電話をかけているのだから当たり前なのに、数ヶ月ぶりに聞いたその声に、ぱあっと花が咲いたような気持ちになる。
 
「千切さんだ……!」
『うん。千切さんですけど』
「ふ、ふは……すごい、スマホってすごい、こんなに離れてるのに千切さんの声聞けるんだ」
『そりゃ電話だからな。……なに、酔ってんの?』
「……ちょっとだけ」

 へへへ、と込み上げてくる笑いを止められずにいると、『ちょっとだけじゃないでしょ、それ』と呆れながら、千切さんが笑っているのが分かった。

『ひとり?  どこにいんの?』
「会社の飲み会があって、今、帰宅しました。そしたら千切さんに会いたくなって」
『多分後で死ぬほど恥ずかしくなってると思うけど大丈夫?』

 ――千切さんの言葉通り、後に死ぬほど後悔するけれどそれはまた別の話である。
 そこからの私の暴走は続いた。
 ほろりほろりと、本音が溢れて止められない、

「電話の声って本当の声ではないらしいですけど、それでも千切さんの声ってやっぱり好きだなぁ」
『は、』
「私の千切さんの第一印象って、素敵な声だなあって思ったことなんです。心が強そうで、澄み渡った声で、好きだなあって」
『…………』
「実際お会いしてからも、その声から受けた印象通りの方でした。本質が現れていて、素敵です。素で敵無し、ですよ!」

 千切さんからは数秒応答がなかった。あら、電波悪いのかな?なんて思ったら、ぼそりと『……ミョウジさん、今日ほんと酔ってるね』とワンテンポ遅れて返ってきた。
 
「酔ってますけど、嘘じゃないですよ」
『……そういうこと平気で言うんだ』
「綺麗だけど、かっこよくて。鋭そうなのに、触れると案外柔らかいというか……」
『…………もういいって』
「声も、そういう感じがします」

 千切さんとのやり取りを思い返しながら、なんのオブラートにも包まずに、本音をこぼす。千切さんの声は段々と小さくなり、最後の方は絞り出すように『……やめて』と止められた。
 
「え?」
『それ以上言うの、禁止』

 一瞬、怒らせてしまったのではないかと背筋が冷えた。でも酔っぱらいとは怖いもので、いつもなら引くであろうタイミングなのに、私は「どうしてですか?」と食い下がった。
 すると、千切さんはまた数秒黙ったあと――『……恥ずかしいから』と、呟いた。
 
「えっ」
『……笑うなよ』
「笑ってません!」
『絶対笑ってんだろ、うざ』

 うざ、と言いつつ本気で不快な訳では無いことは声色で分かった。耳に届く千切さんのたじたじとした反応は新鮮で、私は顔が溶けそうなほどにやけてしまった。

『――そろそろ切る。じゃあな、酔っぱらい』
「……ん、おやすみなさい」
『ふ、こっちは昼間だけど。……おやすみ』

 千切さんとの通話が終わり、途端に瞼が重たくなる。最近はバタバタしていたのもあってか、自分のキャパを完全に舐めていた。そろそろげんこつおやじにも顔を出そう、なんて考えながら、流れるように睡魔の海へと落ちていった。
 ――次に意識が浮上した時、嫌な予感がした。ソファで寝たせいでバキバキの身体と、メイクも落としてないボロボロな顔、そして――通知画面に光る『二日酔いしてない?』という千切さんからのメッセージ。
 瞬時に夜の恥ずかしい記憶が蘇り、このままもう一度何も考えずに二度寝しようと瞼を閉じてみるけれど、そこまで単純な頭はしておらず、意識を手放せずにいる。
 むしろ、じわりじわりと追いかけてくる羞恥心に侵食されてしまいそうな勢いだった。
『昨晩(昼間)は本当に申し訳ございませんでした』
 と半泣きでメッセージを送った。昨夜の私を誰か縄で縛って海に沈めて欲しい。
 千切さんは『昨日みたいにタメ口で話していいのに』と若干面白がってはいるものの、気にしてはなさそうだ。