02
「中将!アルディア中将!失礼します!」
「……はい」
随分と慌てた様子で入ってきた副官を見て、俺はまた何かあったのだろうかと、いつの間にか取り落としていた長刀を拾い上げた。
「至急報告します!前方に白ひげと思しき海賊旗を確認しました!」
「……はい、分かりました。甲板に出ている者を、全員艦内に戻してください。俺がいいと言うまで、出ないように。ああ、あと進行方向は変えず、衝突だけないようにお願いします」
「ですが、中将……!」
「大丈夫です。おそらく、話の通じない海賊ではないでしょう。それに、いま白ひげと事を構えることは、海軍本部としても本意ではありませんから」
ソファに横になったせいで強張っていた体をほぐし、立ち上がった。
一瞬貧血のせいで目の前が真っ暗になったが、特に気にせず、頼みます、と海兵の肩を叩いて外に出た。
潮の香。
ああ、肉眼でも確認できる。
かもめを描くマストに上り、見張りにも声をかけて下がらせた。
「“ニゲミズ”」
右手をぐんと伸ばし、蜃気楼を呼ぶ。
俺以外には見えない膜が、完全な球体を描くように軍艦を覆った。
海兵も、海賊も、俺以外は真実を見ることは出来ない。
シンシンの実。
かつて、蜃と名のつく大きな貝が幻を吐きだしたのだという。
俺にはぴったり過ぎる能力だ。
全てを覆い隠して、幻想であるとして、守るような殻を持ちながら、中は空っぽであると。
まるで喜劇だ。
もう少しで白ひげの船とすれ違うだろう。
ふと、不死鳥マルコが欄干に立っているのが見えた。
なぜ?
ばれている?
いや、そんなはずは……。
不死鳥マルコは観察するようにぐっとこちらを睨んでいるが、焦点は軍艦に定まっていない。
大丈夫、大丈夫だ。
息をのむ海兵たちを見やり、俺は蜃気楼を揺らがせることは無かった。
唐突に、静寂を切り裂く砲撃音。
発生源はこちら。
何故。
蜃気楼は音までは隠せない。
俺はマストから飛び降りて砲弾を追いかけた。
それが蜃気楼に触れた瞬間、シャボン玉が割れるような音がして、弾けて消えた。
不死鳥マルコが驚愕に目を見開き、次の瞬間には迫る砲弾を落とそうとその異名通りの姿となる。
いや、それではだめだ。
俺は欄干が破損するほどに強く蹴って飛び、長刀の鞘を甲板に投げ捨てた。
「中将!」
不死鳥マルコは警戒した様子で俺を睨むが、そちらではない。
抜き身の刀を振るい、砲弾を切った。
敵船に着弾する前に切ってしまえばいい。
それで命のいくらかが死なずに済むというのなら、安いものだ。
剃で逃げようにも間に合わない。
蜃気楼になるなど、こんなにも注目を浴びている状態では無理だ。
目の前で刻まれた砲弾から顔をそむけた。
爆風が肌を打つ。
幸か不幸かもろに浴びたおかげで、海に落ちることもなく、マストに受け止められた。
「アルディア中将!」
ああ、そうか、武装色の覇気を纏えばよかったのか。
今さらながらに思いつつも、痛む体に鞭を売って顔をあげた。
「中に、戻ってください!手出し、しないでください!」
俺に駆け寄ってきた副官に、とぎれとぎれに伝えた。
鉄の味がする口内に思わず顔をしかめる。
「中将!今すぐ手当てを!!」
「問題ありま、せん……」
甲板に着地し、どうするか迷っているように空で旋回を続ける不死鳥マルコを見上げた。
「早く中に戻ってください」
「……はっ!」
副官は敬礼をして艦内に戻った。
甲板に投げ捨てたままの鞘を拾い、刀を収める。
「不死鳥マルコ!話があります!」
俺が欄干に立って声をかければ、不死鳥は海賊船の欄干に向かい合うように降り立った。
「今現在、海軍本部は白ひげと事を構える気はありません」
俺はそれだけを言って口を閉じた。
その間にも船は進み、互いにすれ違っていく。
「グラララ……マルコ、そいつの面子を潰してやるな。見逃してやれ」
「ああ、分かってるよい、オヤジ」
現れた巨体に、誰が名を呼ばなくても、それが何者かは分かった。
あれが白ひげか。
あーあ、戦闘にならなくてよかった。
万に一つも勝ち目はないだろう。
白ひげと目があった。
「お前ェ、中将だろう。コートは着てねェのか」
「……ええ」
視線を反らして、応える。
居心地悪く、青いマフラーを鼻元まで引き寄せた。
血がぽたりぽたりと海を汚す。
義務付けられているものではないから、何を思うわけでもないが、まるで何か悪いことをしているかのような罪悪感がわいた。
海軍だからといって、誰もが皆、正義を背負えるわけではない。
俺は再び白ひげに向きなおって、海兵らしく敬礼をしてみせた。
「感謝します」
「グラララ……!海軍が海賊に礼なんか言うんじゃねェよ。さっさと戻って傷の手当てでもしろ、青二才」
ほら、俺がもし正義などというものを背負っていたなら、この言葉に揺らいでいただろう。
俺のように弱いやつは、仕事と信念を、重ねてはならない。
揺らぎ、惑い、失うだろうから。
「恐ろしい人だ」
マフラーの下で小さくつぶやき、敬礼を下ろした。
「不死鳥、貴方にも砲弾を見逃していただいて、感謝しています」
「……変な奴だよい」
不死鳥が脱力したようにそういったのとほぼ同時に、白ひげ側の見張りが後方に――俺達から見れば前方に――海軍の軍艦を見つけたと叫んだ。
「運の悪い奴だよい。素通りしたのがばれたらヤバいんだろうが」
俺は、未だ肉眼では確認できないその方角に何となく視線をやって、短くため息をつく。
マフラーを下ろし、唇に指をあてる。
「砲撃も、お喋りも、十分に離れるまで自重していただけますか」
海兵にも聞こえないように、そっと囁いた。
「何するつもりだよい」
「俺、能力者です。ですが、本部にも報告していないため、他言無用でお願いします」
「かまわねぇ、好きにしな。グララララ!」
船が完全にすれ違った。
俺は腕をぴんと伸ばし、蜃気楼を呼ぶ。
「“ニゲミズ”」
白ひげの船、モビー・ディック号が揺らぎ、姿を消した。
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