2.5
マルコはそこにあるのだろう蜃気楼の膜を見ながら、離れていく軍艦を思った。
気だるげながらもそこそこ整った顔立ちに、似つかわしくない大きな古傷の痕。
あの男――いや、あの軍艦の現れ方は異常だった。
マルコ自身、分からぬうちに違和を感じ、そのあたりに何かあるのだろうか、という程度の疑心でぐっと目を凝らしていた。
しかし蜃気楼のような揺らぎが見えるばかり。
気のせいかと思いつつも、欄干に立っていると、唐突に静寂を切り裂く砲撃の音が鳴り響いた。
近い。
あまりにも近い。
まるで、全てを透過するシャボン玉が割れたかのような光景だった。
まさに現れたという表現が適している。
まず目に入ったのは砲弾。
次に、軍艦から焦ったようにこちらを見る一人の海兵。
甲板には誰もいない。
全身を不死鳥のそれへと変え、砲弾を止めるために欄干から飛び立った。
それと同時に、いや、それよりも早く青いマフラーを巻いた海兵が動き、長刀の鞘を払って驚異的なスピードで砲弾を追いかけるように跳んだ。
「中将!」
次の瞬間には砲弾にたどり着き、長い刀を器用に振るって切り刻んだ海兵は、満足げに身体の力を抜いて爆風をモロに食らった。
海軍の白いマストに赤い線を引いて、海兵は甲板に落ちた。
「アルディア中将!」
あれは中将だったのかと上空を旋回しながら、事の成り行きを見るマルコはその背中に正義の文字がないことを訝しんだ。
副官と思われる海兵が駆け寄り、それを中将は押しやって立ち上がった。
海兵は躊躇いつつも敬礼をして艦内へと戻って行く。
どういうことだ。
中将は刀を鞘におさめ、欄干にたった。
その姿は血濡れでありながら、中将と呼ばれるにふさわしい凛とした立ち姿であった。
「不死鳥マルコ!話があります!」
その声に導かれるようにして、マルコはモビーの欄干に降り立つ。
「今現在、海軍本部は白ひげと事を構える気はありません」
中将は言葉を詰まらせるでもなく淡々と言って口を閉じた。
マルコはその真意を推しはかろうとするが、そこにはただ戦いを避けるために真実を述べている男がいるばかりであった。
「グラララ……マルコ、そいつの面子をつぶしてやるな。見逃してやれ」
「ああ、分かってるよい、オヤジ」
砲弾を自分の身一つを以って止め、無為な血を流させないために今も孤軍奮闘している。
その胆力が分からないほどマルコは冷淡なつもりは無かった。
白ひげと中将の目が合う。
「お前ェ、中将だろう。コートは着てねェのか」
「……ええ」
居心地悪そうに中将は青いマフラーで顔を隠した。
動きにつられて血が落ちた。
その様子にマルコは少しだけ眉を寄せ、中将は気にすることなく敬礼をした。
「感謝します」
海軍然とした姿での礼にマルコは思わずクスリと微笑した。
「グラララ……!海軍が海賊に礼なんか言うんじゃねェよ。さっさと戻って傷の手当てでもしろ、青二才」
何かをマフラーの下で呟いた中将は、敬礼を下ろし、マルコを見た。
「不死鳥、貴方にも砲弾を見逃していただいて、感謝しています」
「……変な奴だよい」
もう少し遅ければマルコが砲弾を落としていた。
しかしそれでは意味がないのだ。
マルコが肩をすくめて中将に口を開こうとしたのとほぼ同時に、見張りが声を張り上げた。
まったく。
「運の悪い奴だよい。素通りしたのがばれたらヤバいんだろうが」
中将は適当な方角を見やって、ため息をついた。
少しだけ艦内の方を気にするそぶりを見せながら、マフラーを下ろして唇に指をあてた。
おそらくその瞬間、マルコは恋に落ちたのだろう。
ただ淡々と運命の福音を感じた。
「砲撃も、お喋りも、十分に離れるまで自重していただけますか」
海兵どもにも聞こえないような囁き声で、けれど妙に大きく聞こえる声で中将は微笑した。
「何をするつもりだよい」
「俺、能力者です。ですが、本部にも報告していないため、他言無用でお願いします」
やはり、とマルコは思う。
この中将の能力で軍艦は隠され、唐突に現れたのだ。
こんな重大な能力を何故報告しないのかは、本人しか知らぬことであろう。
「かまわねぇ、好きにしな。グララララ!」
白ひげの言葉に中将は僅かに頭を下げることで応え、何かでモビーを覆い隠した。
「蜃気楼、か」
「マルコ、さっきの奴がつぶやいてたの聞こえたか?」
「いいや、独り言だと思って気にしなかったが…まずかったかよい?」
「グラララ……ただ気になっただけだ」
「それよりオヤジ」
マルコは剣呑な光を湛えながら、白ひげを見た。
「海賊ってのは、欲しいもんは奪い取るんだよなァ?」
「グララララ!!珍しいじゃねぇか!」
「一目ぼれってやつだよい。海軍から奪い取ってやる。ちょっと面倒なことになるかも知れねぇが――」
白ひげは最後まで言わせずに、マルコの頭を撫でた。
「取り逃すんじゃねぇぞ、マルコ! グララララ!」
「勿論だよい」
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