04
長く海を渡る海軍にも、当然休暇というものはある。
割と大きめの港を持つ駐屯所に軍艦を寄せて、責任者に3日の休暇だと話を通せば、快く頷いてもらえた。
三日という事で、海兵たちは方々へと散った。
広い街だ。顔を合わせることはほとんどないだろう。
俺も制服から普段着へと着替え、頬の古傷にテープを張ってごまかした。
長刀と共に、青いマフラーも置いていく。
これは、海軍の証だから。
「それにしても……」
どんよりと曇った空は、一雨来そうなほどだった。
うーん。せっかくの休暇なのだが。
まあ、これも仕方のないことだろうと、身体を伸ばして街を見た。
賑やかだ。
けれど広すぎて、駐屯所が一つであることに少し不安を覚える。
いや、俺が気にしても仕方ない。
それに、よくあることでないか。
全てを照らすことなど出来ないのだから。
少しばかり痛む体を撫でて、街へ降りた。
駐屯所から離れて、少し柄の悪い酒場通りを歩けば、どこからか調律するような音が聞こえて立ち止った。
柔らかいピアノの音だが、音がずれている。
「ここ……か?」
扉を押して中を見れば、昼間だからか明かりもつけず、少し薄暗い中、初老の男がピアノに触れていた。
「おや、失礼、いまは開いていないんだ」
「いえ、あの…調律をなさっているんですか」
「そうなんだけどねぇ。狂っているのは分かるんだが…老いってのはだめだねェ」
ぽーん……
柔らかい。
包み込むような優しい音色に、男性に近づきピアノを撫でた。
楽器は生き物だ。
その声からよほど大事にされているのだろうと分かる。
「少し、高いんだと思います」
「お兄さん分かるのかい」
「調律は出来ませんが、音を聞くことくらいなら」
「そりゃあ丁度いい。私が調律するから聞いてくれるかい」
「ええ」
休暇はあまり好きではなかった。
海軍としていた方が、楽だったから。
それでも、時折こうした息抜きに、悪くないと思うのも事実であった。
陽が落ち、雨が降りはじめた。
それはまるで、音を閉じ込めるカーテンのようで心地良いものであった。
「すまないね、長く付き合わせてしまって。何かお礼をしたいが、生憎とそう儲かる仕事じゃなくてねぇ」
「いえ、俺も好きでお邪魔させていただいたわけですから。それよりも、少しお願いがあるのですが…」
「はいはい、この老いぼれに叶えられることなら尽力しましょう」
「ピアノを、弾かせていただきたいんです」
「おや、そんなことでいいのかい」
「あまり、明るい曲というのは知らないのですが」
「構わないよ、うちの開店は夜だし、飲んだくれが騒ぐ店じゃないからね。しっかし、そうとなればうちも儲かるねぇ。お返しも出来ずに何だか悪いな」
「いえいえ、それほど自信があるわけでもないですから…」
俺はピアノに触れて、調律されたばかりの音を聞く。
とても味があるのは、愛されて長いこと歌い続けてきたからだろう。
労わるように撫でて、顔も思い出せぬ友人から教わった曲を弾く。
「何て言う曲だい?」
「さあ……曲名を忘れてしまったので」
「そうかい。しかしその伴奏だと、歌があるんだろう?」
店主の言葉に苦笑する。
「うまくはないですよ」
「構わんよ。気にする男どもが来るとこじゃねぇ。それに、下手じゃないんだろう?」
「ハードルあげますね」
この曲、少し歌いづらいんだが。
しかも、悲しい曲。
久しぶりに触れるピアノの感触に頬を緩ませ、楽譜もなく記憶だけを頼りに一音一音を風に乗せる。
時計の針が進むごとに、客が増えていく。
馴染みの客などはいないらしく、流れ者の匂いがしていた。
海の香り。
ちらりとみれば、手配書で見た顔もある。
だが俺は今、海兵ではない。
バイトの女性が俺のすぐそばのテーブルに酒を置いてくれた。
それに視線だけで礼を言って少し微笑む。
俺はいま、何者でもない。
一曲を弾き終わり、酒を流し込むと、フルーツの香りにほっと一息ついた。
店が小さいせいか、確かに繁盛するというわけでもないが、落ち着いた雰囲気に誘われて、それなりに人が入っていた。
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