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ベッドにもたれて眠るバッキーさんの姿に、思わず息をしているか確認してしまった。
生きていた。
良かった。
私の記憶はバッキーさんが銃を頭につきけたところで終わっていたから、もしかしてもう死んだのだろうかとも思ったけれど、私の指につけられた脈拍をモニタする電子機器は私が生きているということを知らせている。
機械がいっぱいあるし、天国と見るよりは病院と見た方が自然だろう。
点滴こそされていないが、酸素マスクはつけられたのでそれを取り、寝返りをうってバッキーさんの寝顔をのぞき込む。
私の手を握ったまま自分の腕を枕に眠るバッキーさんは少しあどけない。
起こすのはしのびなくて、しばらく眺めていようと彼の柔らかい髪に指を通す。
ゆるくウェーブのかかったはトリートメントをしていないからか、少し傷んでいる。
今度へアケアグッズをプレゼントしようかな。
髪が頬にかかってくすぐったかったのか、バッキーさんの眉間にしわが寄った。
かわいい。
しわの酔った眉間にちゅ、と小さくリップ音を立ててキスをした。
その瞬間、勢いよくバッキーさんが顔を上げた。
危ないところだった。
すんでのところでぶつかりはしなかったが、風圧は感じた。

「ユイ……?」
「は、はい」

鋭い目に押されて思わず敬語で応えると、バッキーさんは一も二もなくキスをしてきた。
初めて会った時のような、激しく深いそれに驚いて目を見開けば、あの時よりずっとずっと優しい瞳がそこにあった。
優しすぎる視線に、抵抗しようとした体から力を抜いて、バッキーさんを受け入れた。
目を閉じて、私を求めるキスに身を委ねる。
……けど、ちょ、ちょっと長いな。
もういいんじゃないかと目を開けると、めちゃくちゃガン見されていた。
えっ、こわっ、もしかしてずっと見られてたの!?
はずかしいよりも怖いが勝ってバッキーさんの腕をたたいた。
ギブです。
ぎ、ギブです!

「ば、う、んんっ、んー!?」

く、くわれる、しぬ!?
もしや何か怒っているのだろうかと伺い見るが、やさしい微笑みの中に怒りはない、と思う。
いやわかんないな!
キスの快感より恐怖が勝ってバッキーさんから逃れようと身をよじったが、簡単に抑え込まれて余計事態が悪化した。

「バッキー!?」
「スティーブ、見て見ぬふりしてくれ」
「いや助けてください!?」
「バッキー!嫌がってるだろ!」

ロジャースさんはバッキーさんを引きはがそうとしてくれたが、鋼の剛腕で止められてしまう。
いや絶対手抜いてるでしょ!
親友だからって!

「嫌なのか?」

バッキーさんは私を振り返って眉尻を下げた。
なんだその顔可愛いが過ぎるぞ。
怒られた大型犬を彷彿とさせる姿にひるむ。

「いっ、いや、ではない、けど!なんか怖いよ!」

バッキーさんは柔らかく笑った。
なんかいつもより感情豊かでかわいい感じがする。
雰囲気も柔らかい。
心境の変化だろうか。

「一適間お前が目覚めるのを待ってたんだ。少しくらいいいだろ」
「いっ、えっ、1週間?」

ハッと銃弾を受けたはずの胸元を見たが、かすり傷すらない。

「不発、だったの?」

バッキーさんは静かに首を振った。
私に触れるだけのキスをしたバッキーさんは私の上から退くとベッドに座り直した。
私が起きるのを手伝い、枕元にもたれさせてくれる。
病人じゃないから大丈夫なんだけど。
ロジャースさんも壁にもたれて

「ユイ、覚えてるか?初めて俺たちがあった時のこと」

気を失うほど激しいセックスを思い出して赤面する。

「え、あ、ぅ、うん」
「あ、いや、悪い、そっちじゃなくて、シベリアに来た時のことだ」
「あ、あー!あ、うん、覚えてるよ!」
「あの時俺はお前を殴れと命令されてたんだ」

眼前で止められた拳を思い出す。
そういえば、そうだった。
けれどあの時、結局私は殴られていない。
バッキーさんが思いとどまってくれたのだろうか。
バッキーさんは首を振った。

「お前に拳が届かなかったんだ」

私の頬を撫でて言うバッキーさんの言葉の意味が分からず、ロジャースさんを見る。
少し渋い顔で黙したままロジャースさんは小さく頷いた。

「ユイ」

バッキーさんはナイフを取り出した。

「俺を信じてくれ。腕を出して」
「えっ、や、やだよ」
「大丈夫、少し上から落とすだけだ。当たったって少し痛いくらいで傷にもならない」
「ユイ。大丈夫だ」

バッキーさんとロジャースさんの圧に押され、本当は嫌だったけれど渋々左腕を差し出した。
バッキーさんはナイフを私の腕から2cmくらい離して持った。
多少チクッとするくらいだろうか。
ナイフを握る手が離され、私の腕にナイフが落ちる。
が、痛みはなく、ナイフはするりと腕を避けてベッドに落ちた。

「え?」

バッキーさんはナイフを拾い上げると、ゆっくりと私の腕に押し付け始めた。

「え、やだ、や、やだ、バッキーさん!やめて!」
「バッキー、もういい」

ロジャースさんの声で、バッキーさんはようやく止まった。
恐怖に冷や汗が流れる。 

「すまない……だが見ろ、傷ひとつない」

パッキーさんが離してくれた腕を握りしめて、痛みがないことに気づいた。
恐る恐る、握った手を開いて左腕を見る。
ナイフを押し付けられたのに、傷どころか、赤くなってすらいない。

「え、なんで……」

擦ってみてもただいつも通りの肌がそこにあるばかりだ。

「科学者たちは作用の消失と言っていた。お前が寝ている間にあらゆる実験を試したが、そのどれもお前を害することはなかった」
「……私、知らない、こんなの……だって、怪我だってしたことあるし」

こめかみの古傷に触れて、ハッと思い至る。

「ラムロウさんは、知ってたんだ。知ってて私を拾った……」

バッキーさんは頷いて私を抱きしめた。
抱き返して、少しだけ考える。
そして笑った。
卑屈なわけじゃなくて、楽観の笑いだ。
私は利用だの研究だのされたかもしれないけど、そんなこと知らなかったし、郊外の施設も、シベリア基地も、なんだかんだで楽しい思い出ばかりある。
変な力はこの世界に来た時に備わったのだろうけれど、誰かを傷つけるわけでも、まして私を蝕むわけでもないそれに、気を揉むこともない。

「これがなきゃバッキーさんともラムロウさんとも、他の人たちとも会えてなかったって考えればラッキーだよね」
「ユイ」

バッキーさんは私を強く抱きしめてキスをしてきた。
腕の軋みとか盛り上がった筋肉から見るに相当な力を込めているのだろうけれど、作用の消失が起きているのか痛みもキツさもまるで感じない。

「ん、ま、まって、でも私怪我っていうか、かさぶたある、よ」

首元の噛み跡を抑えた。
ロジャースさんもいるから少しぼかしてバッキーさんを見る。

「俺と、シベリア基地にいた人間は知ってる」
「バッキー?」
「だが、それをS.H.I.E.L.D.に教える気はない。俺もラムロウも、誰も」

ロジャースさんは複雑な顔で頷いた。

「血液サンプルを入手できるとわかれば何をされるか分からない」
「ヒドラの侵食を許してしまっていた以上、S.H.I.E.L.D.も一枚岩とは言い難いからな……沈黙は懸命かもしれない。だがそれをフューリーが許すかどうか」
「お前は、俺たちの味方だろ、スティーブ」
「もちろん」

バッキーさんの言葉に真摯に応えるロジャースさんは、いい人の化身と名付けても遜色ないほどに強い輝きを持っていた。
キャプテンアメリカの威光を生で感じて少し感動する。
博物館で見た数々の人間離れした偉業は、全てが嘘というわけでも無いのだろう。
あのときシールをくれたコールソンと名乗る男に話したら大興奮してくれそうだ。