15

「ユイ、待ってたわ」
「ご、ごめんなさい、お待たせしました」
「いいの。入って」

簡易ベッドに両手足を拘束され、辛そうに頭を振るホークアイさんに、う、と臆する。
私は本当に洗脳を解いた自覚がないのだ。
この力だって私に何か影響があるわけではないから全く実感がない。

「大丈夫だ。お前ならできる」

バッキーさんは私の手を取ってホークアイさんに近づいた。
違和感のある青い瞳に嫌な感じを覚える。

「そうだ。額に触れて」

バッキーさんに促されるままホークアイさんの額に触れる。
やはり実感はまるでないが、徐々に不気味な青みが消えていく。

「ホークアイさん?」
「……ああ、きみは、ラブハッカーの……」
「最低な覚え方されてる!」

頭を抱えたくなったが、手を離していいのか分からず片手で顔を覆った。

「ユイ、俺に触れてくれ」
「あ、はい」

バッキーさんの頬に触れると、少し顔を顰めた。
えっ、ど、どうなの!?
悩むように少しだけ沈黙し、バッキーさんはロマノフさんに少しの間外に出るように伝えた。
ロマノフさんは若干の抵抗を見せたが、ホークアイさんのためだとバッキーさんが言葉を重ねれば、渋々出ていった。

「ホークアイ、監視カメラは?」
「知らないが……おそらくあの辺りだ。トイレにはないと思うが行くか?」
「ああ」

バッキーさんはホークアイさんの拘束を解いて、ずっと額に触れていた私に「もう大丈夫だ」と声をかけた。
大丈夫なのに監視カメラのないトイレに行くんです??
最近こういうの多いなと少しだけ嫌になる。
シャワールームが併設されたトイレに入り、壁にもたれた。

「あんたの洗脳はまだ解けていない。より強いユイの作用の消失が必要になる」

ホークアイさんは黙ったまま頷いた。

「ユイ、ホークアイに触れてくれ」

バッキーさんの言葉に従って額に手を当てると、首を振られた。
え。

「もう少し、広範囲で」

言いづらそうにするバッキーさんを見て、ホークアイさんが私を抱き上げた。
みんな私を軽々持ち上げるけど、ちょっと子供扱いされているような気がしてムカつくんだよな。

「ハグしていいか?」
「あ、はい」

便座に座ったホークアイさんの膝の上でハグされる。
イケメン2人と触れてる状況に頭がバグりそうだ。
緊張する私とは裏腹に、ホークアイさんはまるで意識していないのかそのままバッキーさんを仰いだ。

「で、どうすればいい?」
「……ユイ、お前の一番怖かった記憶はなんだ?」
「え、何だろう……」

怖かった、記憶。
ふと、車のライトがフラッシュバックした。
大型のトラックが、私の車と正面からぶつかった。
私の愛車が無惨にも潰され、そして衝撃を受けた。
眼前に迫るトラックのライトを、今更ながらに思い出して震える。
どうして忘れていたのだろう。
もしかして、私、あの時、死……。

「ユイ!」

バッキーさんの声にハッと顔を上げた。

「もう大丈夫だ。思い出さなくていい、すまない……」

ホークアイさんの腕から、バッキーさんの腕の中に戻る。
心配そうに礼を言ったホークアイさんに見送られ、バッキーさんはぼおっとしたままの私を抱えて部屋を出た。
足早に私たちに与えられた部屋に行き、2人で呼吸を合わせた。
まるで一つの塊になったみたいだった。

「すまない……やるべきじゃなかった……」

バッキーさんは私の肩を撫で、頭を撫で、2人の体の隔たりすら煩わしそうに心を寄せる。
私は死んだのだろうか。
あの時私は本当に死んだのだろうか?
衝撃は、痛みはあっただろうか?
記憶はあいまいだ。
インパクトの直後、ふわりと体が浮いたのは、かろうじて覚えている。
バッキーさんの香りを肺まで落として目を開ける。

「やるべき、だったと思うよ」

時間をかけて、ゆっくりと溶ける氷のように、私は口を開いた。

「ホークアイさんの洗脳は、解けたんでしょ?」
「そうだ。お前のおかげだ。作用の消失は、お前の精神状態に大きく左右される。だからお前を、揺さぶった」

バッキーさんの腕が強く私を抱きしめた。
痛みを感じないのが少しもどかしいほどに、彼の心を感じた。

「いいの……やるべきことだったから」

部屋に戻りしばらくしてロジャースさんに声をかけられたが、すっかり意気消沈のバッキーさんは首を振った。
アイアンマンのスーツに身を包んだスタークさんと一機の戦闘機がヘリキャリアから飛び立ったのを窓から見送った。

「ねえバッキーさん、なんで行かなかったの?ロジャースさんは来て欲しそうだったよ」
「もう、お前を巻き込みたくない……俺たちは、彼らとは、ヒーローとは違う。ユイは一般人で、俺は過去の亡霊だ」

私を抱きしめたまま言うバッキーさんは、くたびれた犬のように微動だにせずため息だけ深く吐いた。

「私なら大丈夫だよ。怪我もするわけないし」
「……俺が自分を許せないんだ。軽率に、意図的に、お前を傷つけた」

傷つけた、と言うバッキーさんの方が傷ついている。
私は、思い出しただけだ。
不思議だけど、至ったであろう死の記憶はそれほどまでに恐ろしくはなかった。
バッキーさんやロジャースさんに比べれば毛が生えた程度だけど、それでも私は、きっと人を守れるのだ。
私はバッキーさんの手を握った。

「行こうよ、バッキーさん。いまここで燻ってたら、きっと、後悔するよ」

バッキーさんが顔を上げて私を見た。
私は本当に、傷ついていない。

「ほら、愛と平和のために」