16
「ほほう、これかぁ」
ファンタジックな半透明のベールに包まれたそれへと手を伸ばす。
膜を破る感覚すらなく、私の手はキューブに触れた。
「大丈夫そうか……?」
「うん。何も感じない」
心配そうに私の手元を見つめるバッキーさんに肩をすくめた。
私だって少しくらい抵抗感あるかなと思ったけれど、本当に何も感じないのだ。
「引っこ抜けばいいかな?」
「待て、スタークが……いや、スティーブ、だが……」
バッキーさんは耳に手を当てておそらく無線の向こうにいるロジャースさんといくつか言葉を交わしては首を振った。
あ、スタークさん落ちてきた。
その奥に、宇宙を、爆発を見て反射的にキューブを引っこ抜いた。
宇宙につながる異次元の穴はキューブを失ったことですぐに閉じてゆく。
わずかな爆風が閉じ切るその瞬間に轟音となって響き渡ったが、それだけで済んだ。
「ユイ!?」
「スタークさん出てきたから引っこ抜いた」
「そ、それならいい……スティーブ、スタークは?ああ、よかった、すまない」
「無事だって?」
心なしかホッとしているバッキーさんに聞けば、彼は静かに頷いた。
よかった。
バッキーさん、シベリア基地にいた時よりずっと人として生きている気がする。
ぎゅ、と鋼の腕に抱きつけば、するりと解かれて両腕で抱き締められた。
あったかいなぁ。
離れる理由もなくて、しばらくそうしていると、バッキーさんの耳元から無線の声が聞こえた。
「なんて?」
「下にいるらしい。ロキを捕まえたと。行こうか」
「うん。あ、ちょっと待った。これどうする?」
四次元キューブを振ってみせた。
強大な力を持つ、と言われる曰く付きの代物らしいのでバッキーさんに預けるわけにもいかず、今のところ一番安全な私の手の中にある。
このまま下に持っていけばおそらくフューリーさんたちの手に渡るだろう。
もしくは、正当な持ち主だと主張する神様たち。
どちらに渡すのも得策ではないような気がするが、合流しないわけにもいかないので、とりあえずバッキーさんのご意向に従おうかなと仰ぎ見る。
「……一番安全なのは、俺たちが持つことだな」
おっと第三勢力。
俺たちって私たちとラブクラックされた愛の従士たちのこと言ってる?
不安しかないけど大丈夫そ?
「ん、んん……ラムロウさんたちに預ける?」
「現状ではそれが一番だと俺は思う」
「でもラムロウさんが爆散しちゃったら私悲しすぎる……」
「爆散はしないだろう」
「そっかぁ……」
危険なものを預けるのは少し気が引けるけど、かと言って名案が浮かぶわけでもなかったので、バッキーさんの言う通りにしよう、と四次元キューブをお手玉のようにひょいと軽く投げる。
「ん?んん?」
「どうした?」
「これ、中身あるよ」
ぱか、と案外簡単に開いた箱を捨てて中から石を取り出す。
見つめれば、吸い込まれるようなそれに、私は初めて危機感を覚えた。
これは、ここにあっちゃダメなものだ。
どうしよう。
石を見つめて沈黙した私を訝しんで、バッキーさんが一歩近づいてきた。
私は、一歩後ずさる。
その時だった。
私の後ろから浅黒い肌を持つ手が現れ、私の肩を掴んだ。
「えっ?」
「ユイ!!」
きらめく青い光、拒絶、流動、光、無限の停止、逆流、星屑。
振り向いた先の亜空間から現れた手に、どこか既視感を覚えた時、次の瞬間には森の中にいた。
「おい!大丈夫か!?」
「へ、あ、降谷さん……?」
「はあ……よかった。非戦闘員の君を巻き込んで悪かった」
「え、えと、な、なんの話でしょう……?」
スーパーナチュラルボーンイケメンの上司はぐっと眉間に皺を寄せて「目覚めたばかりで混乱するのも無理はない」といつもより数万倍優しく私に声をかけてくれた。
どうしたんだ一体。
いつもなら目の前でリンゴを握りつぶしながら仕事の催促に来るくらい悪魔なのに。
目の前でリンゴ潰されたことは流石にないけど。
「機密文書の運搬中に、トラックと正面衝突して、あの崖から落ちたんだ」
「あの、崖……」
上司が指した崖を仰ぎ見ると、下からでも事故の痕跡がわかるほどにひしゃげたガードレールが空に伸びていた。
ひえ。
よく無事だったな、私。
視線をゆっくり地面に下ろして、私の愛車のフロント部分がぐしゃりと潰れ、地面に対して垂直に立っているのを見てしまった。
「ああああ!!私のRX-7んんんんんんん!?グロい!なんてグロい光景!!」
「改めて見ると君よくあの状態で車から降りられたな」
「う、うう、私の、RX-7ちゃん……」
「怪我もないみたいだが、念のため病院まで送る。精密検査されてこい」
「お、お墓を!RX-7ちゃんのお墓を!!」
「建てない。ほら行くぞ。もうある意味墓標みたいなもんだろ」
「私のRX-7は墓標じゃないです!!」
ごつんと自分の腕力を理解していない上司の鉄拳制裁に沈み、大人しく引きずられる。
精密検査で異常が見つかったらこの拳骨のせいにしてやる。
あれ、そういえば痛いのってなんか久しぶりだ。
いやそんなこともないか、と首筋を反射的に触って、どうして首なんかを怪我したような気がしたんだろうと手を離した。
「どうかしたか?」
「あ、いや、なんか、忘れてるような気がして……」
「大事なことか?」
「ん、んん……まあ、忘れてるってことは大事なことじゃないと思うんでいいです」
「いや、君に限ってはそんな事ないからしっかり思い出しておけ」
「はーい」
上司の車に乗り込み、助手席でひとつあくびをする。
呑気なものだと思われたのか、上司はタレ目の目尻をさらに下げて微笑んだ。
ふむ、うちの上司イケメンだな。
「降谷さんのお味噌汁飲みたい」
「はいはい、今度な。きみ寝ぼけてるだろ。寝てていいぞ」
「えー本当ですか?後で怒りません?」
「どうかな」
ああ、なんか、懐かしいな。
目を閉じるとドッと疲れが押し寄せてきて、長い旅が終わったような心地に微睡んだ。