6
一人ぼっちなのが寂しくて、仕事に打ち込んだ。
何に使うのかは分からないが、ゾラからは次から次へと発注が来る。
忙しくしていれば、寂しくはなかった。
「素晴らしい。今まで手を抜いていたのか?」
「失敬な。そんなことないよ」
「元気ないな。どうかしたのか?」
「……ねえ、ゾラがウィンターソルジャーさんに私を抱けって言ってたの?」
ゾラは沈黙した。
あの日以来、彼は私に触れなくなった。
正確には、触れようとしてくるけど、その寸前で止めるようになった。
それから二日同じことを繰り返して、ウィンターソルジャーさんは部屋に戻ってこなくなった。
私を抱けなくなったからかもしれないし、任務が入ったからかもしれない。
正直触れられたくなかったし距離を置きたかったからちょうどよかった。
触れようとするたび、悲しそうに引き下がるのも、気に入らなかった。
私の方がそんな顔したいのに。
「……すまない。愛を裏切る行為だったと思う。心から謝る。だが、彼はすでに命令なしに君を愛しているよ。洗脳が解けかけるほどに」
「洗脳?」
「バッキー・バーンズ軍曹。それが彼の本当の名前だ。今は古い洗脳と新しいナノマシンで愛のために働く戦士に生まれ変わったがね」
洗脳という言葉に、ピースがはまっていくような感覚がした。
自分のことを語ろうとしないのも、あらゆる問いかけに覚えていないと答えるのも、博物館で見た写真と似ているのも、いつか資料で見たあの暗号の正体も、門兵が言った『敗残兵』という言葉の意味も、そして、見ず知らずの女を抱いたのも、全部洗脳という言葉に結びついていく。
「しかし今はともに喜ぼうじゃないか、ユイ。君の尽力のおかげで我々は全人類に愛による平和をもたらすことができるようになった。君こそが愛の伝道師だ」
「うるさい。ウィンター、バッキーさんはどこ?」
「リセットルームだ。すでにラブクラック作戦が完了しているはずだから会いに行くといい」
マシン室を出て走り出した。
つらかったのは、ずっとバッキーさんの方じゃないか。
何を一握りの寂しさを掲げて傷ついたふりをしているんだ。
周囲は騒がしく、いつもより多くの人が走り回っているが、それでもバッキーさんの姿だけははっきりと認識できた。
「ウィンターソルジャーさん!」
下の階にいるバッキーさんに吹き抜けから声をかけた。
手すりに身を乗り出して、大きく手を振る。
殴られたのか、口元に傷がある。
しばらく見ないうちに少しやつれたような気もする。
私が避けるようになったからだろうか。
だとしたら申し訳ない。
バッキーさんは持っていたスタンロッドのようなものを捨てると両手を広げてわずかにほほ笑んだ。
躊躇わずに信じて飛んだ。
手すりを超えて、2階分の高さを落ちたけれど、全く怖くない。
不思議と思っていたほどの衝撃もなく、バッキーさんの胸の中に飛び込んだ。
肺いっぱいにバッキーさんの匂いが広がる。
安心する..……これ以上ないほどに、心地良い。
「ウィンターソルジャーさん」
「ユイ」
薄いピンクの煙が周囲に充満する。
ごめん、って言うのもなんか変で、許してあげると囁いた。
仲直りを祝う祝砲のようなその煙の真ん中で、バッキーさんとキスをした。
唇を合わせるだけのそれに、視線を合わせてほほ笑む。
「バッキー・バーンズ軍曹。覚えていないかもしれないけど、それがウィンターソルジャーさんの名前。本当の、名前だよ」
「俺がそいつなのかは、自分でも分からないが、お前がそういうなら、きっとそうなんだろう」
「ウィンターソルジャーさんのほうがいい?」
「好きなように呼べ。お前の選んだ名前が、俺の名前だ」
嬉しいような悲しいような。
心がないまぜになって、いまだに私を抱きとめたままの状態で私を見上げるバッキーさんの頭をかき抱いた。
「バッキーさん、がいいな」
「ああ、そうしよう」
バッキーさんは頷いてもう一度私にキスをした。
周囲の拍手に、はっと我に返ってバッキーさんの腕の中から降りた。
研究者や兵士たちが私たちを取り囲むように円を描いて拍手をする。
「おめでとう」
「おめでとう、ウィンターソルジャー」
「おめでとう、アマミヤ」
なにかが、違う。
皆、にこやかに口々に祝いの言葉を述べて拍手をしているが、間違っているような気がする。
こんなアットホームな職場じゃなかった。
違和感を覚えているのは私だけなのか、バッキーさんは軽く片手をあげて喝采にこたえている。
おかしい。
さすがに。
よくよく周囲を見れば、怪我をしている人も何人かいる。
「あの、痛くないんですか?」
「愛の成就を祝うことが、今は一番大切です」
おかしい!やっぱり何かがおかしい!
思い返せばさっきからずっとおかしかった。
みんなぎゃあぎゃあとわめきながら走り回っていたし、ピンクの煙も……。
さっと血の気が引く。
バッキーさんの腕を引いて、再びマシン室に走り出した。
最近のゾラからの発注内容はナノマシンの小型化や暗号化複合化プログラム、粉末の散布シュミレータ、それがもし、みんながおかしくなった原因だったら。
「ゾラ」
「やあ、愛の伝道師。愛の成就を見ていたよ。あれこそが我々の望む最終到達点だ。愛と平和の象徴。なんと感動的だろうか」
「ゾラ、ナノマシンを、散布したの?」
「ああ。ウィンター、いいや、バッキーに使ってもらったよ。手始めにリセットルームにいた者をラブクラックした。君が作ったナノマシンプログラムが脳の感情や人格部分を破壊し、その機能そのものをナノマシンが代替することで、晴れて皆愛の従士になったのだ。そして彼らによって、さらに愛の煙、ラブガスは広がり、最終的には基地全体を掌握した。我々はこれから、シベリアを出て世界に愛を広げることにするよ」
99.9%、私が引き金だ。
ヤバい、どうしよう。
奴らを止めないと。
バッキーさんの手を取って今度は格納庫に走り出した。
「バッキーさん!飛行機運転できる!?」
「できる」
「一番速いのでニューヨークに行きたいの!」
「ああ、分かった」
あからさまな戦闘機を選んで私を後ろに乗せたバッキーさんは、しっかりと私のシートベルトを務め、格納庫の扉を開けた。
めっちゃ吹雪だけど飛び立てるのだろうか。
「酸素マスクをつけるから気は失ってもいいがゲロはやめた方がいい」
「ゲロ……?」
「行くぞ」
「ゲロって言った?」