▽ 02


定期的に、私の虹のひび割れは観察される。
痛みを伴わないそれは、私にとっても健康診断のようなものだった。
最初の頃は体を開かれ、血を取られたりしたが、虹のひび割れは私の肉体に直接関係ないと分かってからはそれもなくなった。
ひび割れは、私の左腰から右胸の下まで大きく入っているが、不思議とその5センチ周囲にはメスも銃弾も通らない不可視の壁がある。
異空間のひび割れが、私の体にくっついているようなイメージだ。
私の動きに沿ってひび割れも動くが、私の肉体と癒着しているわけではない。
ひび割れは、ただそこにある。
1ヶ月前と全く変わらない虹のひび割れに、ドクターも肩をすくめ、もういいと頷いた。

「次の任務の資料だ」
「はい」

もう誰も殺したくない。
けれどだからと言って、それは私の命を蔑ろにしてまで望むことではない。
服を纏い、資料を眺めながら検査室を出る。

「レーナ、ウィンターソルジャーがリセットされたから世話しに行ってくれ」
「……私は彼の世話係ではないのですけど」
「いいから行けって。さっき世話係の女がぶちのめされておっ死んだからな」

聞きたくなかった。
私はため息をついて彼のいる部屋に向かった。
まあ、外から施錠されるので独房といった方が正しいかもしれないけど。
私は彼の独房前にいる兵士に世話係の代わりで来たと伝えた。
新人なのか、若い兵士は身分証を、と少し戸惑った様子で手を差し出した。
困った。
身分証は持っていない。
私はあくまでも研究対象だ。
ついでに狙撃もするけど。
私はシャツの裾を捲り上げて、虹色のひび割れを見せた。

「身分証は持っていません。研究対象、ラードゥガです。スポッターのアレク・スタインに言われてきました。これでいいですか?」
「え、いや、あの……」
「ああ、そいつはいいよ、入れてやれ」

通りがかりの人が声をかけてくれた。
どうやら彼の上司のようで、若い兵士は戸惑いながらも重厚な扉を開けた。

「死なねーようにな」
「……はい」

嫌な助言だ。
部屋に入ると、薄暗い照明の中で彼が簡易ベッドに座っていた。
床には夥しい血がぶちまけられている。
最悪だ。

「ウィンターソルジャー」

リセット直後は混乱からか暴力的になるようだが、今はおそらく落ち着いている。
声をかければ、少しだけ顔を上げて私を見た。

「近づきますよ」

まるで野生動物だ。
ぼんやりとしている彼を刺激しないように、ゆっくりと近づいて足元に跪く。
手錠を掛けられている。
意味があるかは微妙なところだ。
私は部屋の隅のテーブルに置かれた手錠の鍵を取り、それを外す。

「私が分かりますか?何回か任務を共にしたことがあります」
「レーナ」

はっきりと私の名を口にした。
まさか名を覚えられているとは思わず、驚いて固まった。

「違うのか」
「い、いえ、合ってます。部屋を掃除しますからシャワーを浴びてきてください」

彼の装備を外しながら言えば、こくりと頷いた。
身軽になった彼は床の血などお構いなしに裸足でシャワールームに歩いて行く。
ため息を堪え、ひとまず彼の汚れた装備は部屋の隅にまとめておく。
後で新しいものを持ってくればいいだろう。
新しい下着などは部屋にある支給のものを準備しておく。
さて、彼が出てくる前に掃除だ。
床の血をタオルで拭いていると、カラスもびっくりな超時短シャワーを終えた彼がシャワールームの扉を開いた。

「あっ!?待ってください、まだ床汚いので」

全裸のまま出てこようとした彼に綺麗なタオルと着替えを押し渡してシャワールームに戻した。
咄嗟に押し込んだけど意外と抵抗されなかった。
床を拭き終え、タオルは捨てようと畳んでいると、着替えを済ませた彼がシャワールームの扉を開けた。
そのまま立ち止まるので一体なんだと一瞬呆けて、「どうぞ」と声をかければ彼はスタスタとベッドに向かった。
許可を待ってたのか。

「水は飲みましたか?」

彼は首を振った。
あまりよく知らないけど、彼は人間離れした身体能力を持っている。
が、食事は必要としているようなので同様に水分補給も必要だろうと私は彼にミネラルウォーターを渡した。
冷蔵庫が空っぽだ。
食事は支給されているのだろうか。
装備を片付けに行くついでに報告しておこう。

「レーナ」
「は、はい」
「……アームの調子が悪い」
「分かりました、それも報告しておきます」

彼もだいぶ落ち着いているようだし今のうちに備品のチェックも一応しておこうとトイレのペーパーを数えた。
補充の必要なし、と。
シャワールームに入ろうとして振り返り、ふと彼と目が合った。
この人、ずっと私のことを見てたのだろうか。
まるでおとなしい大型犬のようだ。
彼から目を逸らして、シャワールームを覗き込む。
床が濡れているので中には入らない。
シャンプーもボディーソープも使っていないのだろうか。
まあ嫌な匂いはしないから別にいいけど。

「レーナ」

真後ろから聞こえた声にびっくりして体勢を崩した。
まだ濡れているシャワールームに突っ込んでしまう!と身構えた時腹部に彼の手が添えられ、シャワールームに飛び込み掛けた体制で止まった。
彼は私をその逞しい胸元まで引き寄せ、私がしっかりと立ったのを確認して手を離した。

「あ、ありがとう、ございます」

彼が離れてくれない。
それどころか一度離した手をもう一度私の腹部に添えた。

「えっ!?」

後ろから抱きしめられるような形で手が私の服の裾から入ってくる。
まさか、欲情してる?
私も女だからここに来た時から何度かそういう目にあったことはある。
大事なのは、抵抗も善がりもしないことだ。
そうすればすぐに終わる。
私は震えないように努め、彼の気が済むのを待った。

「これはなんだ?」
「は、はい?」

彼は私を持ち上げるとベッドまで運び、けれどいやらしさを纏わない手で再び私の肌に触れた。
押し倒されているのに、そういう雰囲気はまるで感じない。
彼は不思議そうに私の腰から腹部に触れる。
そして私はようやく虹のひびのことを言っているのかと思い至り我に帰った。

「こ、これは、私にも分からないんです。ヒドラは私のこれに興味を持って私を研究しています」
「お前はヒドラじゃないのか」
「はい、ただの研究対象です」

彼が見やすいように服の裾を捲りあげ、腹部を晒す。

「痛いか?」
「いいえ」

ひびをなぞるが、このひび割れは広がりもしなければ私という空間から摘出もできない。
私とは関連なくただそこにあるひびだ。
彼の手が虹をなぞり腰から胸の下、そして胸へと伸びた時、独房のドアがノックされ、返事も待たずに開いた。

「おっと、待て待てウィンターソルジャー。そいつはこれから任務だ」

スポッター。
兵士は私の上から避けた。
よかった。
きっと危ないところだった。
私はそそくさとタオルやら装備やらを回収して独房の外に出た。
油断した。
彼には、そういう欲はないと。


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