Step.31



水難ゾーンを経て、中央の噴水広場へと走った僕たちは、水の中に潜み相澤先生を見守っていたはずだった。
しかし、そこに突如として、まさに降って湧いたのはついこの間B組からA組に編入してきた久地楽コトハ。
授業が始まる前に笑顔を交わした久地楽では無い。
ヴィランが現れた瞬間にも冷静に皆を奮い立たせようとした久地楽でもない。
相澤先生を下敷きにしている脳無の目の前に降り立った久地楽は、先生をじっと見降ろすと、怒りの雄たけびか、絶望の悲鳴か、どちらともつかない叫び声を上げてその場で頭を抱えた。
尋常ではない様子に、僕と共に来てくれた蛙吹さんや峰田くんも目を見開いて言葉を失っている。
久地楽と一緒に落ちてきた正しい形を成さない奇妙な獣は先生を押さえつけている脳無に食らいつくと、何度弾き飛ばされてもその度に堅い肉を食いちぎり、次の肉を求めて食らいつく。
大した時間もかけずに脳無の両腕を食いちぎった獣になど目もくれず、久地楽は全身から黒い湯気のようなものを出し始めた。
あれが、久地楽さんの、個性?
授業前に一瞬だけ見た個性によって、峰田くんは獅子を地面につけて自身に絶望していた。
つまりそれは心に干渉したということ。
だとするなら、あの黒い湯気……靄にも、獣にも、同様の効果があるのだろうか。
黒い靄と獣は先生と久地楽を守るように脳無の前に立ちふさがる。
辛うじて意識を繋ぎ止めているだけの様子の先生は、力を振り絞るように「やめろ」と口を開いたが、ふ、と笑みをこぼした久地楽によって遮られた。

「笑った……?」

至極嬉しそうな、幸せそうな顔を浮かべた久地楽は白い靄を纏いながら空中で何かをノックするような動作をした。
その瞬間、久地楽の体から白い濁流とも呼ぶべき力の奔流が先生を包み込んだ。
渦を巻くように何重にも包んでは徐々に先生の姿が白に呑まれて見えなくなっていく。

「お、おい、あれ大丈夫なのかよ!?ヤバくねえか!?」

声を抑えながらも僕の服を掴んで久地楽さんを指さす峰田くんに、僕は何も返すこともできないまま、その現象を目に焼き付けていた。
久地楽の体から、魂のような“白い久地楽”が抜けだし、先生を包む白に合流すると、おおよそ意思を持ったそれは見覚えのある白鯨の形を取って浮かび上がった。
大きく吼えた鯨は天井まで浮上し、そしてゆっくりとその場で旋回を始める。
慟哭のようなそれは、きっと外にも響いているのではないだろうか。

「ケロ……コトハちゃんの様子が……」
「えっ……!?」

鯨から慌てて視線を下ろせば、笑みを浮かべていた久地楽とは打って変わって焦りや絶望、怒りを孕んだ顔で頭痛を堪えるように頭を抑えていた。
白い靄はすべて抜けきってしまったのか、黒い靄とも言えないような実体を持ち始めた何かが久地楽から漏れ出ている。

「なんだよ、新キャラ登場かよ……しかもガキって……あーあー、やっぱ雑魚キャラじゃあヒーローの卵は倒せないかァ」

手の男がはあ、と大げさにため息をついた。
声に反応したのか、それとも自身の中で何か変化があったのか、久地楽がギッと男を睨みつけた。
黒が濃くなる。

「お前らがいなければ!!そうだよ!お前さえいなきゃ!!お前がいるのが悪いんだ!」

普段の様子からは想像もつかないほど凄絶に、久地楽は叫んだ。
らしくないわ、と隣で蛙吹の呟きが聞こえる。
だめだ、久地楽さん……。
完全に我を失っている。

「うわ、こっわ。そんなこと言うヒーローがいるかよ?大事な先生が俺に腕壊されて脳無に顔潰されて怒ってんの?俺を殺すつもりなのかよ?ヒーローが?ヒーローの卵にそんなこと出来るのかなぁ?それともお前、実はヴィランなんだ?」

大きな手に遮られた顔からも表情を読み取れるほど、饒舌な男はにんまりと顔を歪めた。
違う、ヴィランなんかじゃない。
そんなことみんな分かってる。
詭弁に乗っちゃダメだ。
しかし久地楽は頭を抑えていた手の震えをぴたりと止め、手から、足から、実体を持った黒い何かを放出しはじめた。
あれがもし、久地楽さんの心を源流としているのだとしたら、このままじゃ……。
出るべきか、いま飛び出て、久地楽さんを止めるべきなのか。
いや、でも。
手の男と見比べて逡巡した僕の目の前で、久地楽が動いた。
相澤先生の、イレイザーヘッドの黄色いゴーグルを拾い上げ、至極大事そうに抱きしめた。
まるで、家族でも労わるかのように優しい仕草で、抱きしめたゴーグルを黒い鳥に預ける。
鳥はゴーグルをその身に呑み込み、鯨へと高く昇っていく。
ある程度まで近づくと、鯨から白い手が無数に現れてゴーグルだけを優しく受け取って鯨の中へと帰っていった。
鳥は霧でも晴れるかのように霧散し、久地楽へと収束していく。

「ヒッ……!!何やってんだよアイツ!!」
「しっ、峰田ちゃん声が大きいわ……!」

峰田くんや蛙吹さんの声に気を払う余裕もなく、僕は口を抑えて吐き気を堪えた。
黄色いゴーグルの欠片が、久地楽の腕の中へと入り込んでいく。
肉を、筋繊維を無理に引きちぎるような、嫌な音がここまで聞こえたような気がした。
直視したくはないが、傷口からは血と共にやはりあの黒い何かが溢れだしている。
あれが何かは僕には分からない。
けれど、もしあれが久地楽さんの個性なのだとしても、明らかにそれは暴走だった。
久地楽の心を支配し、憎しみの心を増幅させては自身を傷つけて力を得ているのではないだろうか。

「それでも……」

久地楽を黒い半球状のバリアが覆い隠した。
獣たちが何かを察して、群がっていた脳無から跳び退って離れた。

「それでも、私はお前が憎いんだよ!!」

ぞっとするような叫びの直後、黒い半球から獅子が現れる。
前に見た、白い美しい毛並みを持った獅子では無く、何かべたりとした、血のような黒を纏った獅子だ。

「いいね、お前はやっぱりヴィランだ!」

走り向かった獅子を、久地楽の個性とは別の黒い靄が阻んだ。
まさか。
まさかそんな。
それじゃあ、みんなは、13号先生は。

「死柄木弔」

ワープゲートの奴が、死柄木と呼ばれた手の男の隣に並び立った。
いや、違う。
そんなはずない。
最低の想定をするな。

「黒霧、13号はやったのか」
「行動不能にはできたものの、散らし損ねた生徒がおりまして……1名、逃げられました」

死柄木と黒霧が言葉を交わすうちにも、獅子はゲートに切断され、脳無が黒いバリアに幾度となく攻撃を加えていた。
バリアはびくともしないが、切断された獅子はその断面から無数の蛇を生み出した。
しかしそれさえも黒霧のワープゲートに阻まれて、再び獅子を形成する程度のことしかできないでいる。

「は?」

1人逃げた?
飯田くんだろうか。
だとしたら、すぐに先生たちが来てくれる!!
そうしたらきっと、久地楽さんも――。
死柄木はがりがりと首をかきむしり、ストレスを堪えるように強く息を吐いた。

「黒霧、おまえ……おまえがワープゲートじゃなかったら粉々にしてたよ……」

ぴたりと首をかく手を止めた死柄木はけろりと声音を変えて手を下ろした。

「さすがに何十人ものプロ相手じゃ敵わない。ゲームオーバーだ。あーあ、今回はゲームオーバーだ」

黒い獅子が軽くあしらわれ、再び切断された。
獅子を形成する黒い何かが飛び散ったが、蛇にはならず、黒い水たまりを作った。
それが血だまりのように見えて、僕は目を背ける。

「帰ろっか」

死柄木の言葉に、峰田がハッと顔を上げた。
黒いバリアから再び生成された獅子は、言葉を理解しているのか、激しく吼えると死柄木に向かって再び走りだした。
またゲートに両断され、あたりにはいくつかの水たまりが増えていく。

「帰る?カエルっつったのか今!?」
「そう聞こえたわ……」
「やっ、やったあ!!助かるんだ俺たち!」
「ええでも……気味が悪いわ、緑谷ちゃん」

どさくさに紛れて胸を触った峰田を水に沈めながら言った蛙吹に頷く。
オールマイトを殺したいんじゃないのか!?
これで帰ったら雄英の危機意識が上がるだけだぞ!!
ゲームオーバー?
何だ……何、考えてるんだ……こいつら!!

「ああ、そうだ。帰る前に、あの子にもっと絶望を見せてあげよう。どんな顔するかなぁ、目の前で、仲間が崩れていくのを見たらさぁ……」

目が、あった。
え、と思う間もなく、蛙吹の目の前に現れた死柄木は、その手を伸ばした。
僕が視線で追うより早く、巨大な蛇が水たまりから現れ、死柄木の手と蛙吹の顔の隙間に身をよじり込んだ。
蛇が瞬時に崩壊していく。

「へえ、そんな状態でも、仲間ってのは大事なんだ?」

ヤバイヤバイヤバイヤバイ!!
さっきの敵たちとは明らかに違う!!
崩壊を阻んだ蛇はいない!
蛙吹さん助けて、逃げなきゃ!!
水の中から飛び出て、右手に力を集中させる。

「はな、れろ!!!」
「脳無」
「SMASSH!!!」

いつもと違う右腕の感覚にハッとした。
折れていない!!
“力の調整”がこんな時に!!出来た!?
うまくスマッシュ決まった!!
やった……―――。

「え……」

立ちふさがる、脅威。
人間とは思えない相貌。
いつの間に……ていうか……効いて、ない……!?
脳無は獣たちに貪られた両腕すら復活させ、無傷の状態で僕の前に立っていた。
蛙吹の言葉が、脳裏によみがえる。

『殺せる算段が整っているから、連中、こんな無茶をしてるんじゃないの?』

まさか……これが、オールマイトを殺せる“算段”?
脳無が腕を振りかぶる。

「いい動きをするなぁ……スマッシュって、オールマイトのフォロワーかい?」

獣たちが猛り、脳無に食らいついて僕を掴む手の肉をそぎ落とそうとするが、僕は察してしまった。
間に、あわない。
もう一度100%で逃れるか?
それでも、蛙吹さんや峰田君に伸ばされた死柄木の手は、止められないだろう。
絶望を叩きつけられた。
僕は―――。
しかし、待ち望んだ瞬間が、突如としてあらわれる。

「もう大丈夫」

絶望が、希望に代わる瞬間。

「私が来た!!」



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