Step.7



書類の制作に時間を取られ、合理的では無いタスクスケジュールにイライラしながらも、ふぅ、と一息ついて天井を仰いだ。
コトハの進路を聞いて、戸惑わなかったといえば嘘になる。
もし仮に合格したとして、雄英に入って一年は問題ないかもしれないが、実際にヒーローとして社会に出る2年からは辛いものになるだろう。
事情を知っている人間が彼女を見る目は、おそらくコトハが思っているより冷たい。
警察も、ヒーローも、あの昔の事件を知っているものは少なくない。
何せ、その場にいた誰一人、手も足も出なかったのだから。
それゆえに、コトハの個性は大多数から未だに危険視されている。
目薬をさして、目元を拭うこともせずにそのまま目を閉じた。
それでも、コトハの望む未来を、俺が反対するわけもなかった。
学校についてすぐ、再来年度の試験について俺が関与しないように根津校長に直談判した。
事情を話せば、評定も試験内容も、当日まで明かさないということで校長は快く了承してくれた。
次いで、何かとうちに遊びに来るマイクにも、くれぐれもと釘を刺しておくのを忘れない。
後は三者面談の日程だが、授業に関しても13号やミッドナイトさんが代行で入ってくれるらしい。

「お兄ちゃん」

ドアの開閉音に気づかなかった。
パソコンをスリープモードにして、コトハのほうを見ずに時計の表示を見た。

「ちゃんと寝ろ」

足音はないが、近づいてくる気配がある。
怖い夢でも見たのかと問いかけようとしたとき、俺の後ろから首に抱き付くようにして腕が伸びた。

「コトハ、どうし―――」

黒い。
疲れのせいで、黒い服を着ているのかと思ったが、そうじゃない。
爪の先まで光を反射しない黒で形作られている。
まずい、触れられた……!!
感情の濁流が来ると身構えたが、いつまでたっても縋りつくような腕から感情が流れ込んでくることはない。

「感情の流出は、自分で制御できるよ」

そうなのか、と少しだけほっと胸をなでおろし、黒いコトハの頭を撫でてやった。
正直、もし今コトハに俺を攻撃する意思があったなら、確実にやられていただろう。

「お前が出てきたってことは、コトハが悩んでいるってことで良いのか」
「お兄ちゃんは多分、私たちのことを誤解してる」

どこに呼吸器官があるのか、黒いコトハは短く息を吐いた。
もうその顔に、コトハの影が映ることはない。
造形もだいぶ簡略化されたものになっている。

「昔は1つだったけど、今はもうそれぞれで思考して動けるほどに分離した。完全に隔絶したからね。だから、私が思っていることは必ずしもコトハの感情ではないし、私もコトハに秘密があったりする」

黒いコトハは俺から離れると、緩慢な動きで正面の椅子に腰掛けた。
どことなくコトハに似ていなくて、一体いつから分離したのだろうと思考する。
もしも黒い彼女のいう通り分離して生きてきたのだとしたら、コトハは3人で体を使っているような状況なのだろうか。
憶測や推測がいくつか浮かんだが、今は黒い彼女の言葉の続きを待つ方が合理的だろうと口を噤んだ。

「まあ、それは別に大したことじゃない。結局は、器のコトハが好きだし、コトハがいないと私たちがいないのは確かだから、私たちはコトハを何が何でも守るってだけ」

それよりも、とコトハは不穏に言葉を切った。
便宜上、自分のことは黒、あいつは白、器をコトハと呼ぶと、黒いコトハは前置きをして口を開く。

「あの時、お兄ちゃんたちが助けに来てくれた時、私はコトハの中にあった黒い感情を全部引き受けてコトハとは完全に隔絶した。白もお兄ちゃんに助けを求めるために白い感情を全部コトハから奪った。コトハは全ての感情を根こそぎ私たちに奪われて、ただの器になった」

俺は頷いた。
あの時のコトハはまるで人形だった。
感情がなく、虚ろなガラス玉のような瞳……とても美しい光景だったが、正直もう二度と見たくはない。

「なのにコトハは……」

黒は椅子の上で胡坐をかくと頭を抱えて、うう、と唸った。

「私が全部取ったはずなのに!」
「どういう意味だ?」
「コトハはあの時死のうとしたんだよ!包丁持って!自分の首を切ろうとした!」

死のうとした……?
意識を取り戻した瞬間、あんなに綺麗に笑ったコトハが、自殺しようとしただなんてにわかには信じがたい。
が、黒の動揺を見るに決して嘘では無いことは容易に察せられる。

「コトハの感情は私が根こそぎ奪ったんだ!それってつまり、コトハの根幹の部分にある意識が――死のうとしたってことだよ……!」

殆ど悲鳴のように言葉を漏らした黒に、俺は閉口して顔をしかめた。
感情が奪われてなお、死のうとするなんて、可能なのだろうか。
感情の源流はコトハなのだから、全て奪ったとしてもまた感情は湧き出るのかもしれないが、それにしても……。

「病院のカルテでは、特に外傷は無いと報告されていたが……自傷癖はあるのか?」

黒は無言で首を振った。

「私、コトハがヒーローになるのは、あんまり歓迎してない」

椅子の上で膝を抱えた黒はそこに顔をうずめた。
コトハの自殺未遂のこともそうだろうが、黒が言いたかった本題はこちらだろう。
未だ衝撃が抜けきらない頭を切り替えて、理由は?と促す。

「理由なんて聞く?分かるでしょ、お兄ちゃん。コトハはそんなことに耐えられる精神状態じゃない。私がいなきゃ、黒い感情の処理もできないのに――」
「お前がいるだろ」
「そういうこと言ってるんじゃない。自分の心ひとつ管理できないのに、もしまたキャパオーバーしたら……今度はもう止められないかもしれない」
「黒、雄英の校訓を知ってるか」

黒は虚をつかれたように顔を上げた。
コトハよりも少しばかり攻撃的で、排他的で、後ろ向きだ。

「PLUS ULTRA<更に向こうへ>さ。コトハにも言っただろ、壁は高い、超えていけって。お前たちは一つの体を使っているんだ。だから協力しろ。コトハにできないことは、お前がカバーするんだ」
「お兄ちゃん……」

詭弁だ。
分かっている。
だが、黒だって内心はヒーローになりたいと思っている。
だというのに、自身がコトハの負の感情から生まれたということをまるで刷り込みのごとく自答してきたせいで、そういったことを正直に言う自信がないのだ。
ならば、俺は背を押さねばならない。
進もうとしている人間の背を押すのが、教師であり、家族の責任だからだ。

「ずるい……」
「壁から逃げるなよ」
「……分かったよ、もう」

黒は少しだけ照れたような声を残して消えた。
コトハに戻ったのだろう。
先程は話を逸らして結論をかわしたが、自殺未遂の件は解決していない。
事によっては警察の方に観察報告書を提出しなければいけないだろうし、それに何よりコトハの根幹と言っていたのが気になる。
生来の性格からして、明るく天真爛漫だと思っていたのは間違いだったのか、それとももう変わってしまったのだろうか。



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