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だって私は(2/2)
「――――、」
「――て―――す」
「―――…くだ……、い」
ぼんやりと、耳の中に水が入った時のような変な音の入り方がした。けどそれは徐々に意識と共に浮上してきて、バタン、という控えめだけど、この場が静かだからかどこか響いてしまう音と共に完全に浮上した。
「……な、…こ、こ………」
喉が掠れる。痛くはないけど、風邪引いて声が出にくい時みてぇだ、と頭の隅で思った。何ここ、って言ったはずだったのに、ちゃんとした言葉にはならなくて、何で声出にくいんだろうなんてぼんやりと思った。
カタンって、何かが当たる音がして、発信源に顔を向ける。途端にツキ、と一瞬何かを感じて、そのうちそれは広まってゆく。あれ……頭、痛い。
「切原くん…?」
震えた声が耳に入る。上手く動かせない首と、ちょっと痛い頭をゆっくりと動かせば、少し遠い所に苗字サンがいた。胸に手を当てて、不安そうに俺を見てる。
―――苗字サン。
その姿と、すんなり出てきた名前に何故かストン、と心に何かが収まった気がした。心地いいくらいの感覚。それも、ここ数日で味わった憶えのある出来事。
苗字サン。もう一度、今度は囁くくらいでも声に出して呼んだ。それだけでもやっぱり何故か嬉しくて、心臓はとくとくと速く鳴る。妙に胸の内に広がる安心感にほっとして、自然と頬が緩むのがわかった。
「……切原、くん」
ぐっと、口を歪ませた苗字サンがもう一度俺の名前を呼んだ。まだ震えてるけど、確実に、確かめるように。精一杯紡ぎ出された言葉。
「―――なに…?苗字サン…」
自分でも驚くくらい優しい声だったと思う。やっぱり緩む頬には歯止めなんてせずにそのままで。すんげえ気ぃ抜けた顔してんだろうなぁとは思ったけど、そんな自分すら今は心地よく感じた。
ツキツキと頭は痛いのに。体もあちこち、痛みを感じ始めてきたのに。
心うちだけは、変に穏やかで。
苗字サンが口をきゅっと結んだ。それに緩やかに首を傾げれば、苗字サンの声帯から溢れだしたかのように小さな声が聞こえてきて、それを耐えようとしたのか、今度は目元が歪んだ。
「切原…く…ッ!」
ぼたぼたと、苗字サンの目から涙が溢れてきた。
それに驚いて目を見開けば、苗字サンはぐずぐずと泣いては手で拭い、また泣いては口に手を当てて嗚咽を漏らして、としながら俺に近付いてきた。
(――なんで…)
俺が寝てるベッドの横の椅子に座り込んで、ごめんなさいごめんなさいと小さく何度も呟く声が聞こえた。堪えるように小さくなる体を見ながら、何で泣いてんのか。何で謝ってんのかわかんなくて。でも、そんな状態の苗字サンをなんとかしたくて、感覚の戻ってきた手を無理矢理動かす。やっぱりなんか、痛い。
「苗字サン…」
ぽすりと、頭を撫でたかったのに乗っける事が出来なくて、そのまま苗字サンの髪を滑って落ちた。あぁ、力入んねぇや、なんて情けなく思えてきて笑えてくる。
―――あ。
手、包帯巻かれてんじゃん。
妙にあっさりと、視界に入ったそれを見ていれば、そこからじわじわと頭が働きだした。クラクション。人のざわめき。叫び声。真っ赤になる視界。頭痛に全身の痛みに手の包帯。見た限り真っ白な周り。ごめんなさいって謝りながら泣く苗字サン。
そうだ、俺……轢かれたんだった。
「怪我、ねぇの…?」
横向いたまま苗字サンをざっと見るけど、多分外傷はない。直前に突き飛ばしたから多分巻き込んではないと思うんだけどさ。やっぱり助けたかったわけだから……無傷がいいよな。
ゆるゆると顔を上げた苗字サンはやっぱり泣き顔のままで、そのままゆっくり首を横に振った。怪我は、ないらしい。良かった。
「ごめんなさい」
もう一度、真っ直ぐ俺の目を見て苗字サンは言った。いつもの冷たい目も、今日見た挑戦的な目も、どこにもない。後悔とか自責とかそんなもんで溢れてそうな、ぶれた目。
でも、なんだろ。
――なんか、初めてちゃんと目が合った気がする。
今まで散々目は合ってきたはずなのに、そこで初めて何かを感じた。俺を通り越して、自分の世界しかなかったような苗字サンが、さらけ出して俺を見ているような。
………違う。
ハッキリ――俺を、見ている。
「謝ること、ねー、って」
「……」
「苗字サン、悪くねーもん」
ふるふる。泣きながらも何度も頭を横に振っては、苗字サンは否定する。でも、そんな風に泣いて欲しくなんてないわけで。そんな風に、俺を見て欲しかったわけでもないから。そんな風に、縛りつけたくもないから。責任感強すぎ、水取って貰ってい?って、掠れた喉を出来るだけハッキリした音に変えながら言った。笑って言ったし、話逸らして気にしてねぇよ、って伝えるつもりだったのに。苗字サンはやっぱりふるふると頭を振る。……水は取ってくれたけど。
「さんきゅ」
「………、の…」
小さく小さく、声になってるかも微妙なくらいに苗字サンが口を開いた。水を飲んでる時に言われたそれは、よく聞き取れなくてもう一度聞き返す。
苗字サンは、下唇を噛み締めた。見てるこっちが痛くなるくらい、ぎゅっと。
「違うんだよ、切原くん……」
さっきまで流れていた涙は今は目元に溜まっているままで、流れはしなかった。
一生懸命に紡いだその言葉に、俺は首を傾げたけれど、誰のせいがどうのとか、そんな意味じゃない気がした。いや、責めてるんだけど……もっと、別の視点でのようで。
ただ真っ直ぐ苗字サンを見ていれば、苗字サンは右腕でごしごしと涙を拭いて、俺の視線と交えさせた。その目はまた――悲しげで。
表情は真剣で覚悟決めました、って感じしてんのに、目だけはやっぱり違う。伴ってねぇよ、って言いたくなったけど、きっと両方の意味があるものがあんのかもしんねぇ。
だから俺は、ただ苗字サンの言葉を待つだけ。
「これは事故でも偶然でもない……運命なの」
「運命?」
「うん。……切原くんに、話すよ」
―――私の知ってる、全部。
カチカチと細やかに鳴る時計の針の音。
妙に潔い苗字サンに、俺は疑問どころか――全部を悟ったような心境に陥ってしまった。
カチカチ音がすんのは、時計なんかの音じゃない。はまってく、ピースの音。
がんじがらめにぐちゃぐちゃになった、ここ数日の事。
――俺の意識はもう、完全に浮上して復活してる。
気付かないほど、馬鹿じゃない。
「………うん」
だって、夢ん中のあいつは、
「聞かせてよ。苗字サンの知ってる……赤也の話」
他でもない、俺自身。
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「――て―――す」
「―――…くだ……、い」
ぼんやりと、耳の中に水が入った時のような変な音の入り方がした。けどそれは徐々に意識と共に浮上してきて、バタン、という控えめだけど、この場が静かだからかどこか響いてしまう音と共に完全に浮上した。
「……な、…こ、こ………」
喉が掠れる。痛くはないけど、風邪引いて声が出にくい時みてぇだ、と頭の隅で思った。何ここ、って言ったはずだったのに、ちゃんとした言葉にはならなくて、何で声出にくいんだろうなんてぼんやりと思った。
カタンって、何かが当たる音がして、発信源に顔を向ける。途端にツキ、と一瞬何かを感じて、そのうちそれは広まってゆく。あれ……頭、痛い。
「切原くん…?」
震えた声が耳に入る。上手く動かせない首と、ちょっと痛い頭をゆっくりと動かせば、少し遠い所に苗字サンがいた。胸に手を当てて、不安そうに俺を見てる。
―――苗字サン。
その姿と、すんなり出てきた名前に何故かストン、と心に何かが収まった気がした。心地いいくらいの感覚。それも、ここ数日で味わった憶えのある出来事。
苗字サン。もう一度、今度は囁くくらいでも声に出して呼んだ。それだけでもやっぱり何故か嬉しくて、心臓はとくとくと速く鳴る。妙に胸の内に広がる安心感にほっとして、自然と頬が緩むのがわかった。
「……切原、くん」
ぐっと、口を歪ませた苗字サンがもう一度俺の名前を呼んだ。まだ震えてるけど、確実に、確かめるように。精一杯紡ぎ出された言葉。
「―――なに…?苗字サン…」
自分でも驚くくらい優しい声だったと思う。やっぱり緩む頬には歯止めなんてせずにそのままで。すんげえ気ぃ抜けた顔してんだろうなぁとは思ったけど、そんな自分すら今は心地よく感じた。
ツキツキと頭は痛いのに。体もあちこち、痛みを感じ始めてきたのに。
心うちだけは、変に穏やかで。
苗字サンが口をきゅっと結んだ。それに緩やかに首を傾げれば、苗字サンの声帯から溢れだしたかのように小さな声が聞こえてきて、それを耐えようとしたのか、今度は目元が歪んだ。
「切原…く…ッ!」
ぼたぼたと、苗字サンの目から涙が溢れてきた。
それに驚いて目を見開けば、苗字サンはぐずぐずと泣いては手で拭い、また泣いては口に手を当てて嗚咽を漏らして、としながら俺に近付いてきた。
(――なんで…)
俺が寝てるベッドの横の椅子に座り込んで、ごめんなさいごめんなさいと小さく何度も呟く声が聞こえた。堪えるように小さくなる体を見ながら、何で泣いてんのか。何で謝ってんのかわかんなくて。でも、そんな状態の苗字サンをなんとかしたくて、感覚の戻ってきた手を無理矢理動かす。やっぱりなんか、痛い。
「苗字サン…」
ぽすりと、頭を撫でたかったのに乗っける事が出来なくて、そのまま苗字サンの髪を滑って落ちた。あぁ、力入んねぇや、なんて情けなく思えてきて笑えてくる。
―――あ。
手、包帯巻かれてんじゃん。
妙にあっさりと、視界に入ったそれを見ていれば、そこからじわじわと頭が働きだした。クラクション。人のざわめき。叫び声。真っ赤になる視界。頭痛に全身の痛みに手の包帯。見た限り真っ白な周り。ごめんなさいって謝りながら泣く苗字サン。
そうだ、俺……轢かれたんだった。
「怪我、ねぇの…?」
横向いたまま苗字サンをざっと見るけど、多分外傷はない。直前に突き飛ばしたから多分巻き込んではないと思うんだけどさ。やっぱり助けたかったわけだから……無傷がいいよな。
ゆるゆると顔を上げた苗字サンはやっぱり泣き顔のままで、そのままゆっくり首を横に振った。怪我は、ないらしい。良かった。
「ごめんなさい」
もう一度、真っ直ぐ俺の目を見て苗字サンは言った。いつもの冷たい目も、今日見た挑戦的な目も、どこにもない。後悔とか自責とかそんなもんで溢れてそうな、ぶれた目。
でも、なんだろ。
――なんか、初めてちゃんと目が合った気がする。
今まで散々目は合ってきたはずなのに、そこで初めて何かを感じた。俺を通り越して、自分の世界しかなかったような苗字サンが、さらけ出して俺を見ているような。
………違う。
ハッキリ――俺を、見ている。
「謝ること、ねー、って」
「……」
「苗字サン、悪くねーもん」
ふるふる。泣きながらも何度も頭を横に振っては、苗字サンは否定する。でも、そんな風に泣いて欲しくなんてないわけで。そんな風に、俺を見て欲しかったわけでもないから。そんな風に、縛りつけたくもないから。責任感強すぎ、水取って貰ってい?って、掠れた喉を出来るだけハッキリした音に変えながら言った。笑って言ったし、話逸らして気にしてねぇよ、って伝えるつもりだったのに。苗字サンはやっぱりふるふると頭を振る。……水は取ってくれたけど。
「さんきゅ」
「………、の…」
小さく小さく、声になってるかも微妙なくらいに苗字サンが口を開いた。水を飲んでる時に言われたそれは、よく聞き取れなくてもう一度聞き返す。
苗字サンは、下唇を噛み締めた。見てるこっちが痛くなるくらい、ぎゅっと。
「違うんだよ、切原くん……」
さっきまで流れていた涙は今は目元に溜まっているままで、流れはしなかった。
一生懸命に紡いだその言葉に、俺は首を傾げたけれど、誰のせいがどうのとか、そんな意味じゃない気がした。いや、責めてるんだけど……もっと、別の視点でのようで。
ただ真っ直ぐ苗字サンを見ていれば、苗字サンは右腕でごしごしと涙を拭いて、俺の視線と交えさせた。その目はまた――悲しげで。
表情は真剣で覚悟決めました、って感じしてんのに、目だけはやっぱり違う。伴ってねぇよ、って言いたくなったけど、きっと両方の意味があるものがあんのかもしんねぇ。
だから俺は、ただ苗字サンの言葉を待つだけ。
「これは事故でも偶然でもない……運命なの」
「運命?」
「うん。……切原くんに、話すよ」
―――私の知ってる、全部。
カチカチと細やかに鳴る時計の針の音。
妙に潔い苗字サンに、俺は疑問どころか――全部を悟ったような心境に陥ってしまった。
カチカチ音がすんのは、時計なんかの音じゃない。はまってく、ピースの音。
がんじがらめにぐちゃぐちゃになった、ここ数日の事。
――俺の意識はもう、完全に浮上して復活してる。
気付かないほど、馬鹿じゃない。
「………うん」
だって、夢ん中のあいつは、
「聞かせてよ。苗字サンの知ってる……赤也の話」
他でもない、俺自身。