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 ──吹雪……だ。

 そう、思った時には駆け出していた。与えられた小さくて暗い部屋にはひびが入って少し割れたランプがあったが、それを手に取ることはなく部屋に置いたまま窓に足をかけた。
 ふるりと寒さに身体が震える。大丈夫、最低限防寒具は持ってきてもらえてるし──いつもより装備が薄くても、すぐに凍傷が出ることはないだろう。
 雪を侮ったらいけないことは知っている。でも私はこういう吹雪に慣れている。何度も何度も、吹雪の中を歩いたのだから。短い距離だし、もし捕まってもあの人たちは私に危害は加えられない。

「大丈夫大丈夫……ぐえっ!」
「何が大丈夫か」

 窓枠に乗り上げた瞬間だった。後ろの襟を思いきり引かれ、カエルのような発音が漏れる。首締まったら危ないじゃん、と思いながら振り向くと、けほ、と小さな咳を溢した黒い影が見えた。
 小さな背丈。細い目。もう大分見慣れてきた。

「学習しないんですか、首折れたらどうするんですか」
「お前に言われる筋合いないよ」

 じとりと睨まれたじろぐ。立場的には私が優位でも、精神的にはこの人の方が上だ。
 視線から逃げるように無意識に窓に顔を向けると「この雪じゃ逃げても死ぬだけ。自殺願望あるか」とフェイタンさんから指摘が入る。別にそんな願望はないし逃げるつもりでも無かったんだけど、理由をわざわざ告げるのは不正解だと判断し「やっぱり無理ですか」ととぼけた。

「意外といけるかなって思ったんですけど」
「ワタシたちがお前野放しにしてるの、お前ぐらいすぐ追い付けるからね。何かしても無駄になるだけ」
「舌噛んだの止められなかったのに?」
「拷問器具で好きなのあるか? 聞いてやらなくないよ」

 暗に後で覚悟しておけと言うのはやめてほしい。この状態が解除されたら、本当に私はただじゃ死ねないのだろう。
 だからこそ今、焦っているのだ。外が吹雪いている今、もし大事な機会を逃していたらどうしようと不安感が駆け巡っている。この人たちは私に触れることは避けるが、前に立ち塞がって行く手を阻むことは出来る。自分を人質にとって脅してみてもいいが、痛いことはあまりしたくない。特に、雪の中でそれをやるのは危険だ。

「……ちょっと家に行っちゃ、だめですか」
「良いて言うと思たか?」

 ばさり、と私の足下に毛布が投げ落とされる。気温が一気に下がったから、これを届けるためにフェイタンさんはこの部屋に入ってきたのかもしれない。マチさんに渡してくれてたら、もしかしたら今頃外に行けてたかもなと肩を落とす。

「心配しなくとも明日探索でお前外出すよ。小屋にはその時行けばいいね」

 ──それじゃあ、遅いんだよ。
 言いたい言葉は結局言えるはずもなく、「小屋じゃなくて家です」と言うだけに留まった。


***


「いやぁ、見事に晴れたね」
「本当ですね……」

 ざざーん。捕まって二日目。海まで下り砂浜に丸を書いていじける私に、清々しいほど綺麗な笑顔を浮かべたシャルナークさんが遠方を見ながらそう言う。
 「うーん、まだ向こうは雪かな……」と遥か先が見えているような口振りだが、大陸は数日航海する必要がある水の向こうだぞ。天気など見えてたまるか。なのに、この人が言うと本当に見えているんじゃないかと疑ってしまう自分が情けない。そんなわけないのに。

「昨日、脱走しようとしたんだって?」
「暇なんですか?」
「宿題が難しくってさ。本人から聞き出せたら楽じゃない?」

 は、と馬鹿にするような息を吐き出してしまってから、慌てて口を閉じた。しかしそれも直ぐにやめる。この人達には隠しても無駄になるし、だからといって弱気な態度も見せるわけにはいかないだろう。
 ここは素直に認めよう。だけど真実は藪にいれて。

「脱走、ね……しましたよ、しようとしました。でも未遂に終わりましたどこかの誰かさんが引き留めたので残念ながら未遂です。つまり?」
「つまり?」
「命綱を手離す馬鹿がどこにいるんですかって話です。おわかりですか」
「あー、はいはい。わかったよ。宿題は自分でやれってことね」

 意外と厳しい先生だなあ、なんて軽口は無視。少しむっとしながら早口で言った言葉に、シャルナークさんは肩を竦めた。それでいい。
 実際、私が今ふて腐れているのも虫の居所が悪いのも事実だ。嘘は何もない。

「……ちょっと一人にさせてくれませんか」
「……うーん。それ言って叶うと思った?」
「自分が話しかけた内容覚えてないんですか? 脱走が無理なことぐらい学習してます」
「わかってて言ったんだ? 命綱手離したいのかと思った」

 暗に馬鹿だと言ってるのか。むかつく。

「……海見てぼんやりしたいだけです」

 百パーセントこれは本当。この人達と話すのは疲れる。それに、一応私は落ち込んでいるんだ。昨日家に行けなかったから。
 もし昨日私がいない間に来ていたら──ずっと待っていた意味が無くなってしまったとしたら。そう思えば、気分は萎んでいくばかりだ。
 脱走なんて、する気分にもなれない。そもそも危険だし。

「……ま、逃げ場ないし別にいいけど」

 え。ちょっとびっくりして声にでかかったのを慌てて飲み込む。顔は向けてやんない。砂浜を蹴る音が遠ざかっていくのも目で追わず、ただ真下の砂を眺めるのに集中した。
 そうして、本当に気配がなくなってからそろりと足音がした方を見遣れば、もうシャルナークさんの姿はなかった。豆粒ほど遠くにいる仲間に合流したのか、近くにいる茂みに隠れたのかはわからないけど、とにかく私の近くにはいない。本当に一人にしてくれたらしい。

「……空気読めるのか読めないのかわかんないな」

 いや、この場合読める読めないじゃなくて人質?を放置していいのかってとこだけど。まぁいいや。
 やっと一人になれたんだ。これからのことを今のうちに考えておきたい。どうせ夜になったら気分も落ち込むし緊張でそれどころじゃなくなる。
 足の間の砂を撫で、私が助かる作戦を探す。倒すのは無理。逃げるには基礎体力が違いすぎる。いっそ奴等に取り入る? 無理だ、私が彼らに渡せるメリットは無い。うーん、八方塞がり。

「痛っ、……なに? ガラス?」

 指先にちくりとした痛みが走り、僅かに血が出ていた。
 いつの間にか深く砂を撫でていたようで、流れ着いたガラスを掘り返してしまっていたらしい。薄く透かした常磐色のような、三角形のガラスだ。これは鋭利。しかし何だか惹かれるものがあって、つい手に取って太陽にかざした。やっぱり綺麗だ。

「……あれ?」
「おいテメェ!!! 今何した!!!」
「ひぇっ! ご、ごめんなさいガラスで手切れましたーー!!!」
「マチーー!!!」

 ノブナガさんの怒声が響き渡り、マチさんがハンカチを手に持ちながら走ってくる。それをびくびくしながら待ってると反対方向の浜から笑いながらシャルナークさんが出てきた。あんたどこにいたんだ。

「子供じゃないんだから、ガラスくらい気付きなよ。立場悪くなるよ」
「本当に申し訳なく……」
「故意じゃないってのは伝えてあげる。これ貸しね」
「対価がでかい」

 この人に作る貸しなんてまっぴらごめんだ。っていうかやっぱりどこかで見てたのか。
 はああ、と目一杯の溜め息を吐いて項垂れる。一人時間は一瞬だったな。
 拾ったガラスはポケットに突っ込んだ。
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