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 ──ねぇねぇ、カタクリくん。君と私の関係を表すとしたら、何になるのかなあ。

 頻繁に見るおれにしか見えない存在が、何気なくそう呟いた。
 まだおれの家は船だと言っていた頃。どこの国にも属さず、自由な海の上で、ただお菓子を食べるおれを見ながら、あいつは機嫌よく宙に寝転がっていた。

 ──……亡霊と被害者。
 ──……なかなか酷いことを言うなあ。

 返答の割に、ふは、と息を漏らしながら笑う姿は、どう考えたっておれの言葉を本当に酷いとは思っていないだろう。
 何をしたら傷つくんだ。いつも能天気なくせに。お前が悲しむことなんか、あるものか。

 ──……ならお前は、何だと思うんだ。
 ──ん? んー……私は答えを得ているから。

 答え? 違和感のある言葉に首を傾げた。意地悪く笑みを浮かべるかなでは、知りたい? と問いかけ口を開く。

 ──私と君の関係はね、


 (……嘘つきだな)

 おれがそう罵倒出来る相手は、もうどこにもいない。






「カタクリ、水被ってねぇか!?」
「問題ねェ……! 敵は!?」
「海軍だ! 今ママが向かった、お前は砲撃が収まるまでどっかに掴まってろ!」

 そんな悠長なこと言ってられるか!
 近くまで駆け寄ってきたオーブンは、船の柵にしがみついておれに忠告した。手にした武器が固く握られているところを見るに、この大きな揺れが収まったらオーブンも戦いに参加する気だろう。
 大砲を撃ち込んできている海軍船は、明らかに深追いしてくる様子がない。考えられる理由としては、おそらくは威嚇か陽動。陽動だった場合、ママが船を潰しに行ったとしても、本隊はまた別でどこからか仕掛けてくるはずだ。

 それなら一体、どこから──周りを見ても近くに接近してくる船、あるいは人物は見当たらない。
 陽動ではないのか……? いや、威嚇だけなのだとしたら、あまりに無謀過ぎる。ただ偶然出会したのがそこらの海賊だったなら海軍も戸惑いなく仕掛けるだろうが……相手はママだ。いくら海軍といえど、備えの無い状態で戦闘は挑まないはず。せいぜい本部に報告されて終わるくらいだろう。

 (……近寄る必要がないとしたら)

 ──潜入。元からこの船に忍び込んでいる。その可能性は?
 船員の誰かがスパイの可能性もある。だとすれば、狙いはママ本人じゃなく別にあるかもしれねェ。やっぱりここで悠長に待っている場合じゃない。

 ──カタクリくん、後ろ!
 
「ッ!」

 はっとして後ろを振り返る。視界に広がるのはまっさらな青。他は何もねェ、ただの海だ。
 舌打ちして口の端を噛んだ。

 (……またか……!)

 誰にも口元は見られちゃいねェが、声は隠せるもんじゃねェ。騒ぎでかき消される程度だったとしても、口には出せない。
 まただ。また──アイツの声が、響いた。
 目の前にいようと、いまいと、脳裏を過る声。戦闘中、おれが周りを見えていない時には、何度だってアイツが叫ぶ。おれは今までその声に、幾度も助けられてきた。空からの援護はそれだけ優位なものだ。……励ましの声も。
 だが。

「! オーブン、伏せろ!!」

 ガッ!
 手にしていた鍛練用の槍を投げ、オーブンへ襲いかかろうとしていた輩へ突き刺す。急所は外れたが右肩を貫通した槍は早々抜けるもんじゃない。立ち上がったオーブンが追い討ちをかけた。
 あいつは今、おれの傍に居ない。これはおれだけの戦いだ──!

「どっから来やがった!?」
「オーブン、おそらく潜入されてる! そいつは最近入ったパティシエだ!」
「なら他にもいるな……! 手引きされてるかもしれねェ、海上に船がねェなら海底だ! ペロス兄に知らせてくる!」
「ああ!」

 海底。畜生、思い至らなかった……!
 揺れが収まった船の方々から、金属が打ち合う音が聞こえてくる。次いで発砲音。もう既に乗り込まれたらしい。
 後手といえど、内通者と乗り込まれた理由がわかればペロス兄が動きやすくなる。おれ達きょうだいは生まれながらにしてビッグマム海賊団の船員だが、はじめから戦えるわけじゃねェ。まだまだガキで役に立てないおれ達は、戦うよりもまず、他のきょうだいを匿うところから始まる。ペロス兄とオーブンが弟達の元へ向かったのなら、他の船員と共に敵を倒すのはおれとダイフクの役割だ。

「チッ……!」

 ──情けねェ……!
 走り、敵から奪い取った剣を振り回しながら、腹の奥は酷く煮えたぎっていた。
 いつも聞こえる注意の声が聞こえねぇ。敵の数も、戦況も、随時知らせる声が届かねぇ。当たり前だ、あいつを拒否したのはおれだ。さっきみたいに脳裏に過る方が間違ってる。本来、おれの幻覚ともいえる存在が戦闘を支援する方がおかしかったんだ。
 だと、いうのに。

「あとどれくらいだ!?」
「もう殆ど終わる! ここはおれ達に任せて、カタクリ様は見回り頼みます!」
「わかった!」

 唇を噛む。腹が立って仕方ない。

 (おれはまだ、完璧じゃねェ……!)

 カタクリ『様』と、たった今言われた言葉が反芻する。
 前線から離れろと言われるということは暗に、安全な方へ行けということだ。いくら敬称をつけられても、おれはまだそこに見合っちゃいない。ただの強いガキであって、船員を一人で守れるだけの頼れるママの息子では、無いということだ。
 おれはまだ足りない。
 まだ完璧じゃない。
 こんなことに気をとられていられない。
 わかってる。

「ッ……くそッ」

 ぐつぐつと上る怒りは収まるところを知らない。
 わかってる。心底、わかってるからこそだ!
 何のためにあいつを切り離した!
 おれは、おれの力で、誰に頼ることも無く強くならなきゃならねェ!
 たかが幽霊、たかが幻覚。どっちだろうと構わねぇ。どうせおれの周りにいない時はいつも、宙に浮いて安全な場所にいるはずだ。
 わかってる。おかしいのは、おれの方だと。
 かなでが、おれの周りにいない──それだけでかき乱されるなんて、どうかしてるってことくらい。

 ──……そうだ。どうせ、今だってどこにもいない。帰ったか、消えたか。どちらにしたって、あいつは常にここにいるわけじゃない。何の関係もない、何の責任も無い、第三者だ。
 だから。
 ぞわりと全身を駆け巡る嫌な予感も、ドクドクと鳴り響く鼓動も。
 あいつとは、何の関係もないことで──

「……は、」

 ──ぴたり、と。
 駆け込んだ先。急に、目に飛び込んできた、景色に。
 身体が。
 機能を忘れたかのように、固まった。

 (──何して、やがる……)


「ちくしょう、ビッグマムさえ引き離せば落とせるんじゃなかったのか!? せめて船の動力だけでも壊せば……!」

 白い兵服を纏った海兵が、腰に下げていた剣を引き抜いた。
 すぐ目の前にあるのは一本の縄。船の帆を支える要の一つだ。確かに切れば簡単には前に進めない。撤退するのには潰しておきたい一つだろう。

 (……違う)

 そうじゃ、ない。

 世界が他から切り離されたように狭く、音がぼやける。
 ぞわり、ぞわりと。今、おれの胸を渦巻く、不安感は。まるで時が止まったかのように、床に張り付けられたかのようにぴたりと動けなくなってしまった身体は。ひやりと今、一気に引いた血の気は。
 おれの頭を、埋めたのは。


「──かなでッ!!」


 ザシュッ!! 降り下ろされた刃が腹に突き刺さる! は!?と困惑する声をあげた海兵を即座に蹴り飛ばし距離を作り、刺さったままの剣を引き抜く。ごぽり、と溢れた血が服に滲み床に滴るが、動きにくくなるよりは良い。右足で床を蹴るように突き進むと、元から持ってきていた剣を振り上げ──刺す前に殴り、海に落とした。

「カタクリ!!」
「おい、誰か船医呼べ!! カタクリ様が刺された!!」

 ぐわりと視界が歪み、力が抜ける。身体が床に叩きつけられそうになるのをぐっと堪え、近くの壁へ寄りかかった。
 うるせぇ。少し、腹に刺さっただけだろうが。慌ただしく叫ぶ声にそう言いてェのに、呼吸は苦しくなる一方で。
 ちらり。視線を向ければ、思った以上に深く刺さっていたらしい。乱雑に引き抜いたこともあってか、出血量が予想以上のものだった。刺さった場所も悪かったのかもしれない。
 呆れのような倦怠感が、感覚を占める。

「ッは、……だから、嫌だったんだ……」
「カタクリ! 傷を見せろ!」
「カタクリ!!」

 ペロス兄とオーブンの声が聞こえる。ここに二人がいるなら、弟や妹達は無事だったんだろう。
 横を向いて、海兵が刃を向けた場所へ顔を向けた。樽の横で小さく縮こまっている姿は怯えているようで、きっと顔色も悪くなっていることが伺えた。
 手を、伸ばそうとして。力が入らないことに気付いて。ならばと思い出したように能力を使おうとしても、何も起きない。
 海軍も馬鹿じゃなかったらしい。船に乗り込んできた海兵が持っていた剣は、海の水をコーティングしていたものだと後で知った。海楼石の簡易版にあたるようだ。
 だが、そんなことは今知るはずもなければ、もはや気にもならなかった。

 ──お前が能天気じゃないことが、あるんだな。

 手が伸ばせないなら見るしかないが。おれが視線を向けてもいつものようにまとわりついてくることが無い。
 不自然に思うほど遠い距離に違和感を覚えた。
 ……本当に、呆れるしかねェ。

「……ばかが」
 
 歪む視界の中、かなでが薄れていくように見えたのはあいつが帰るからか、おれの意識が落ちるからなのか、ついぞわかることはなかった。
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