扉が隔てる境界線
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鉄製の灰色のドアを開けると、冷たい石壁に囲まれた部屋には窓がひとつあった。顔ひとつ分ほどの小さな嵌め殺しの格子窓は、僅かな光を取り込むためだけの窓だ。仕切り板で囲まれただけの水浴び場とトイレ。粗末なベッドに薄い毛布が一枚。それと見慣れた画面が乗った小さな机と椅子。
それが白羅に与えられた部屋だった。
灰色のドアは施錠され、ドア横の配膳口からは生きる為に最低限の食事が朝と夕に看守によって配膳される。特別な許可が無い限り外へは出られない。面会も然り。しかし、以前投獄されていた身からすれば天と地程の差だと、白羅は窓を見上げた。
「ここからも見えるのですね」
李塔天に与えられた部屋の窓から幾年も見ていた桜の木。その裏側だろうか、それが辛うじて窓枠の隅で静かに揺れていた。
───私はまたあの画面に向かう。
以前とは違う配列を打ち込み、何度も何度も試行錯誤しながら作り上げる。時折桜の木を眺めては、込み上げる罪悪感を画面に向ける。消えて楽になろうなどとは思わない。むしろ、私の命などでは軽すぎるのだ。己の身など当に己の物では無いのだから。
***
執務室のドアを荒々しく開けた李塔天は、豪華な椅子に座ると同時に机を叩いた。その顔は今までに無いほど歪められ、拳をわなわなと震わせていた。
「───あの小娘がっ!」
それは一方的な通告だった。
御前会議も終盤に差し掛かった頃、そう言えば、とまるで天気の話でもするかのように、あの観世音菩薩が口を開いたのだ。
「───と、以前行われていた不浄な研究により、あの牛魔王が蘇生されている、という噂について、あくまでも噂に過ぎないが、前例があるだけにとりあえずこちらで収監、監視することにした」
「お、お待ち下さい。白羅はナタクの付き医者にございます。ご存知の通りナタクは白羅にしか心を許しませぬ故、その様な───」
「安心しろ、李塔天。俺の監視下なら吝かではねぇよ」
口角を上げた観世音菩薩は、愉快そうにわざと慈愛に満ちた顔を李塔天へ向ける。そのわざとらしさに、思わず李塔天も机の下で手を固く握った。
逃がさないとばかりに縛りつけ、逃げようにも悉くその退路を断ち切り続けていたというのに、ここへ来て己の預かり知らぬところであの白羅が要注意人物として監視対象になったばかりか、その全権が観世音菩薩に握られるなど、李塔天にとっては言語道断、飼い犬に手を噛まれたどころの話ではない。
「李塔天、これはな、あれだ、事後報告ってやつだ」
今思い出しても腹立たしい。あの権力を笠に着た観世音菩薩は、李塔天の自尊心を容赦なく抉ってくる。それがなんとも腹立たしいのだ。
しかし、怒りさえすれど、それだけだった。
李塔天に忠誠を誓うナタクが居る限り闘神太子の座は揺るぎようが無い上に、観世音菩薩の横槍で多少やり難くなりはするだろうが、せいぜいその程度だ。何しろ最後の一手までの道筋は出来上がっている。
観世音菩薩が今さら何かに気付いたとてもう遅いのだ。むしろ観世音菩薩の監視下にあるとあれば、白羅の所業の責も観世音菩薩にあると言えるではないか。
「───ふむ。これも余興のひとつ、としようぞ」
先程までの怒りは愉悦に変わっていき、李塔天は更なる筋書にくつくつと嗤い声を上げる。
噂は噂でしかない。今は、な、と。
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