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エリンは庭園と接した離宮の柱廊に控えている二人の女官のひとりに声をかけて、交代の時間であることを告げた。離宮へ戻る女官と入れ替わりで柱廊に待機する。
庭園では、ヨナが自分の興味のしたがって歩き、緑に一切の興味がなさそうなハクが彼女の後ろを五歩程あけて護衛している。
この離宮の庭園はヨナの希望で造られた新しい庭園だ。離宮の庭園の管轄は、皇女部門が担当している。広義的にはヨナの一室とも言えるので、庭園の散策には部屋付き女官が侍ることになっていた。
国内外から貴重な花を取り寄せ、最高級の石や砂を敷き、国随一の庭師たちが技巧を凝らした美しき花園。池の水や木花の照葉が陽の光を反射してきらきらと眩しい。こうして仕事の時間に眺められることはお得なのだろう。
控えているあいだ、もう一人の女官と雑談をする。16歳のエリンは部屋付き女官のなかでは異例の若さであり、他の女官は25歳以上の熟練女官ばかりだ。約10歳以上歳上の先輩を立てながら、無難すぎない返答で先輩を楽しませなくてはいけないので緊張する。
やれ誰々の従者が格好いいだの、女官の誰々の恋の行方が怪しいだの、誰々の三角関係が四角関係に発展しただの。そんな内容の話に花を咲かせる。
女官にこんな恋愛話ができるようになったのはイル陛下の治世になってからだ。伝統的に城内の女官はすべて王の女という扱いだった。王はいつでも気に入った女官に手を付けて、女官のまま置いておくのも良し、側室にするも良しだったのだ。ぽやぽやしたイル陛下は妃を亡くしてから後妻を娶らないと明言して、さらに女官と側妾候補を区別して女官を行政組織のなかに位置づけた。
エリンが気楽にハクへ告白できるのもそういうわけだ。
(それがまたイル陛下に批判的な貴族と王近辺の女官が繋がりを持つという状況を招いているのですけれど……)
ふいに空が翳った。東の空から細切れの厚い雲が増えて、ちょうど陽の光を隠したようだ。ゆったりと風に流される雲の合間から、陽の光が気まぐれに顔を出し、晴れたり曇ったりを繰り返し始めた。
そういえば、と先の女官から引き継いだ物を確かめる。羽織と救急箱はあるけれど傘がない。
先輩女官に「雨が降るかもしれませんね」と話しかけると、「私が取りに行きますよ。ずっと見ていて飽きてきましたし」と言われる。先輩はずっと控えていたのでそれもそうかと思い、エリンは任せることにした。
残ったエリンはひとりで花園を眺める。
花園のなかでハクがぼけーーっとした顔で赤い花を見ていた。いや、見ているかは定かではない。なんとなく顔を向けている先にただ赤い花があるだけのような気もする。
「うーん。飽きませんね……」
ハクを見ていて飽きることはない。一時間でも二時間でも楽しく控えていることが出来るだろう。エリンにとってヨナの女官は天職ではないかと思う。
遠目ながら彼の漆黒の瞳と視線が交わる。
エリンはひとりであることを良いことに、にこにことして上品に片手を振った。ハクは目をそらし、そのまま無視をして終わりかと思いきやもう一度エリンを見て、べーと舌を出した。
エリンの振る手がとまる。
ハクのあっかんべー。
「か……可愛いですわ、凶器ですわ……」
エリンは今度は両手を振った。ハクは顔を顰めてしっしっと追い払う仕草をした。
口パクで何かを言っている。
し ご とーー仕事しろ。
し て ま すーーと返すとハクがぷいっとそっぽを向いてしまう。横顔も美しい。ハクは何をしてもエリンをときめかせるのだ。
そんなふうに戯れていたらヨナにも気付かれた。チラリチラリと二度見されるので、呼び鈴は鳴らされていないが、エリンは羽織を手にしてヨナへ近寄った。
「御用でしょうか」
「あ、その、そうね」
ヨナは明らかに今、用事を考えているようだった。
「すこし肌寒いわ」
「こちらに羽織物がございます」
エリンはさっと羽織を広げてヨナが腕を通しやすくする。こくりと頷いてヨナが袖に腕を通した。
「いかがでしょうか」
「ちょうどいいわ」
「よろしゅうございました。他になにかございますか」
「ええ、あの、喉が渇いたの」
「お茶を淹れて参りましょう。四阿(あずまや)でお召し上がりになりますか?」
「そうするわ」
「かしこまりました」
一礼して退く。ハクがなぜか数歩離れたところで笑いを堪えていて、エリンは不思議に思った。
離宮のなかに入る。
部屋ではいつでもお茶を出せるように、女官がお湯を沸かして茶壺と茶海と茶杯と聞香杯に注ぎ、温度が下がったらお湯を捨てて新たに注ぐことを繰り返し、常に茶器を適切な温度に保っている。
エリンは「四阿で召し上がるそうです」と告げて、準備されている茶器と茶盤、お湯と茶葉を受け取り、念のため毒味の済んだお菓子も持って庭園へ戻った。
ふーっと息をついて安堵する。
(四阿で飲むと言ってくださって良かったー)
離宮で飲むと言われたら、茶器を準備している先輩女官の前で淹れなくてはならない。四阿で飲む場合でも離宮で入れてから出しても良いのだが、緊張するのでエリンはさっさと外に出てきた。
女官試験に合格して見習い期間は終わったものの、年若い事実は変えられないので、職場では日々修行なのだ。腕を試されているともいう。
ヨナへ準備が整ったら呼ぶとを告げたところ、「あ、私も行く。休憩するわ」と返された。エリンはヨナとハクと一緒に四阿に行く。
四阿は、池の傍らにある六角形の屋根を持つ宝型造の建物だ。庭園の景色に溶け込み優雅な雰囲気を作り出す。いまにも宮廷の男女が運命的な出会いをしそうな風情だ。
エリンはヨナとハクに見守られつつ、茶盤のうえでお茶を淹れ始めた。
「ヨナ姫様。ハク様の分も御用意してきたのですが、いかがなさいますか?」
「ハク要る?」
「貰います」
「じゃあハクの分もお願い、エリン」
「かしこまりました」
エリンは茶壺に茶葉を投入して、二人分のお湯を少し高いところから勢い良く注いだ。茶通しで灰汁を切り、茶壺に蓋をして外側から熱いお湯をかけたところで、ヨナがなにか言いたそうにしていることに気付いた。
「いかがなさいましたか、ヨナ姫様?」
「…………」
「……?」
エリンは首を傾げる。ハクと目が合ったけれど、彼は可笑しそうに傍観している。
「他にご希望のものがございますか? お菓子ならお持ちしておりますが……」
ヨナがぴょんと肩を跳ねさせて、エリンを見上げた。
「良いの。今、言いたかったのは単なるワガママだわ」
「ワガママかどうかは伺ってみないことにはわかりませんよ。それに、ワガママであっても姫様のご要望を叶えるのが私の仕事です」
「……エリンも一緒に飲んだらいいのにって思ったの」
「まあ」
エリンはさすがに驚いた。まさか女官の自分が同席を勧められるとは思わなかった。
茶壺で抽出した一煎目の濃さを均一にするため、茶海に注ぐ。
「さすがに同席は出来かねますが、離宮に戻らず四阿に控えていましょうか」
「本当? そうして!」