スピナーズ・エンドの少年
ある日、わたしのお昼寝時間みたいな平和な日々に、真っ黒なお客さんが現れた。
◇
ほとんど人のいない小さな公園はわたしたちの遊び場だった。夏休みに入ってからもう何度も来ている。公園には遠くの空に巨大な煙突が一本伸びていて、その煙突の方角に向かい合って二人用のブランコが設置されている。
リリーとチュニーがブランコに駆け寄り、わたしは自然とブランコの手すりに腰掛けた。
「リヴィ、寒くない?」
「へーき!」
わたしはチュニーとリリーがブランコで遊ぶのを眺めた。公園で遊ぶときは、わたしは大人しく見ていることが多い。あんまりはしゃぐとすぐ熱を出してしまうからだ。でも二人が遊んでいるところを眺めているだけでも楽しかった。
そのうちリリーが楽しそうにぐんぐん勢いをつけて漕ぎだしたので、わたしは思わず笑った。
「リリー、落ちちゃうよ」
「へーき!」
リリーがわたしとそっくりな言い方で返事をする。さすが双子の妹。わたしとリリーの容姿はそっくりではないけれど、言い回しなどはよく似ていた。リリーの綺麗な暗赤髪がますます勢いを増した体のあとを追って弧を描く。
リリーのキラキラした顔をみて、わたしはリリーがしようとしていることを察した。
「リリー、そんなに漕いじゃだめだってママに言われてるでしょ」
チュニーが注意する。
「へーきよ、チュニー、見てて」
妹は姉の静止を無視して、弓形を描いた一番高いところまでブランコをこいだ。
そして空中に飛びあがった。文字どおり空に向って飛びだしたのだ。
わたしは思わず腰を浮かしたけれど、助けは不要だと知っていた。
リリーは笑いながら空中ブランコの乗り手のようにふわりと舞い上がる。公園のアスファルトに崩れ落ちる代わりに、とても長いあいだ浮かんでいて、遠くに優しく着地した。
「ママがだめって言ったでしょ!」
チュニーがサンダルのかかとを地面に押し付けてブランコを急停止させた。ギギギーと音を立てるブランコを乗り捨てて、両手を腰に当てて怒った。
「ママがそれは禁止だって言ったでしょ、リリー!」
リリーの不思議な力は、二年くらい前、7歳の頃から現れた。仕組みも理屈もわからないリリーだけの特別な不思議な力だ。
ファンタジックでステキな特技だと思うけれど、珍しいことは危ないことだと叱るママの言い分も正しいと思う。わたしはゆっくりリリーのところへ行った。
リリーは楽しくてたまらないように、くすくすと可憐に笑っている。
「わたしは何ともないもん。ね? リヴィ」
「外でするのはだめってママが言ってたよ」
わたしまで不賛成だと分かると、リリーはぷくっと頬を膨らませた。
「チュニー、リヴィ、見て。わたしが出来ること」
リリーは公園の茂みに近付いていく。わたしは思わず公園をきょろきょろと見回した。チュニーも同じだった。公園にはわたし達しかいない。そのことを確認すると、わたしは心配よりも好奇心が湧いてきて、リリーの横にしゃがんだ。
リリーは茂みから萎れた花を摘んで、チュニーが来るのを待った。チュニーは前に進んできたけれど、わたしよりも好奇心と不賛成がせめぎ合っているみたいだ。お姉さんの責任感ってものだろうか。
チュニーがそばに来ると、リリーは花を手のひらに乗せて差し出した。
すると、どうだろう。
勝手に花びらが開いたり閉じたりを始める。なんかちょっと動きが気持ち悪い。
「そんなまね止めなさい!」
チュニーが甲高い声で叫んだ。チュニーも動きが変だと思ったのだろうか。わたしはウンウンと肯いた。
「今のはちょっと気持ち悪い動きだった」
「違うわよ!」
チュニーがピシャリと言い捨てる。
「どんな動きでもやるべきじゃないわ」
「えぇ?」
「だれも傷付けなんてしないわよ」
リリーは花をちぎって地面に捨ててしまった。わたしはひらひらと落ちた花びらを目で追ってからチュニーを見上げた。
「なんで? 魔法みたいだったよ」
「正しいことじゃないわ」
チュニーの青い目も、ふわりと飛んですぐそばに落ちた花びらを捉えていた。その目にはわたしと同じく好奇心が覗いているように思える。
チュニーは思わずというふうに口を開いた。
「……どうやって、そんなこと出来るの?」
はっきりと憧れの色が滲んだ声だった。
チュニーも興味があるのだ。
不思議な超能力は、みんなの憧れだ。誰しも一度は物語みたいな力を空想するはず。わたしはチュニーが魔法使いの児童書を愛読しているのを知っている。わたしも小学校の図書室にあるファンタジーは大好物だ。
「わたしも知りたい−−」
花びらを触らずに動かす方法が聞けると期待した時、茂みからガサリと音が鳴った。
「分かりきったことじゃないか?」
びっくりした。
突然、骨と皮に痩せこけた黒髪の少年が飛び出してきた。
わたしは驚いてチュニーの影に隠れ、チュニーは悲鳴をあげて、わたしを背後に連れたままブランコの方に後ずさりした。
少年は、妙ちきりんな格好をしていた。大人用の長すぎるコートを引きずりそうに羽織っている。伸びすぎた黒髪はベトベトで汚い。
見るからに怪しい少年を前にして、リリーは驚きつつもその場から動かなかった。リリーに見つめられ、少年の血色の悪い頬が決まり悪そうに紅潮する。
「なにが分かりきったことなの?」
とリリーが尋ねた。
わたしはリリーが心配で、チュニーの後ろから顔を覗かせてハラハラと聞き耳を立てた。
少年が不安そうに視線を泳がせ、チラリと少し離れた場所にいるわたし達を見てから、ボソボソと何かを告げた。
「……そんなことを言うのは失礼よ!」
とたんにリリーがツンと顔をあげて振り返った。リリーはずんずんとわたし達の方へ歩いてくる。わたしはリリーに酷いことを言ったらしい謎の少年を警戒した。
「違う!」
彼は必死に否定して追いかけてきた。長いコートがバサバサとなびいてコウモリの子供かなにかみたいだ。背を向けているリリーには見えないだろうけれど、わたしには少年の紅潮した顔が良く見えた。
発表会で自分の番が回ってきたとき、みんなから注目され、緊張と興奮でとぎまぎしている人みたいだ。
彼はリリーに何を言ったんだろう?
なんの用?
わたしとリリーは手を取ってブランコの支柱を盾にした。チュニーもブランコの支柱さえあれば大丈夫というように後ろから支柱を掴んだ。
不審な者を見る三対の瞳が少年に刺さった。きびしい聴衆をまえに発表者の少年は「君はね」と諦めずにリリーに言った。
「君は魔女だ」
ま、魔女?
わたしはぽかんとした。
「しばらく君を見てたんだ。けど、何も悪いことはない。僕のママがそうだし、僕は魔法使いだ」
少年はいたって真面目な顔をしている。見ず知らずの女の子をからかう顔じゃない。冗談だったらへたっぴすぎる。それがむしろ可笑しくてわたしは思わず「ふふっ」と笑みをこぼした。
少年は討論の発表者ではなくて、手品を披露するマジシャンだったみたい。
でもチュニーの笑いは冷たい水のようだった。「魔法使い!」と、高い声を発したチュニーは、いつの間にか少年が不意に現れたショックから立ちなおって、いつものハキハキとした元気を取りもどしていた。
「私、あんたが誰か知ってるわ。スネイプって子よ! 川のそばのスピナーズ・エンドに住んでる」
後半はわたしとリリーに教えるように言った。チュニーの口調はあからさまに『スピナーズ・エンド』を低俗だと言ってた。
スネイプという姓は知らないけれど、その住所は知っている。貧しくて危ない人ばかりが住む場所だ。
わたしはチュニーの冷え冷えとした態度を見て、ゆるんだ気を引きしめた。よくリリーの隣にいるから、人の視線がリリーに吸い寄せられているときはすぐに分かる。リリーはとびきり可愛いから、変な子を呼び寄せることがときどきあった。それを思い出したのだ。しかも彼はリリーを観察していたというし、さっきからリリーにだけ話しかけている。
「そんな人がリリーを見てるって、なんで?」
わたしはリリーを抱きしめながらこわごわと尋ねた。チュニーが「そうよ」とキンと高い声で同意する。
「なぜ私たちをこそこそ見てたのよ?」
「こそこそ見てなんかいない」
スネイプは熱心な瞳で、だがきまり悪そうに言った。少し揺れた髪の毛が輝く日光の下でテラテラとしていた。
「とにかく、君達を見てはいなかった」
と、チュニーとわたしを見てスネイプがいやな感じで言う。
「君達はマグルだもん」
そのことばの意味が分らないけれど、どんな気持ちで言われたかは、はっきり分った。悪意だ。
「リリー、リヴィ、さあ、帰るわよ!」
気の強いチュニーが怒ったようにわたしとリリーを促した。リリーはすぐに姉に従い、わたしの手をぎゅっと握りしめてくる。リリーにもスネイプの悪意が分かったんだ。
リリーはスネイプをにらみつけた。そしてわたしを守るようにぐいぐいと背中を押してくる。
公園を出ていく寸前、わたしはスネイプが気になってを振り返った。ブランコの前にわたしたち三姉妹を眺めて立ちすくむ少年がひとり。
長すぎるコートが身体に重たそうに乗っかり、苦しそうだった。