二段ベッドの上と下


リリーがスピナーズ・エンドの少年の冗談みたいな言葉を気にしている。魔女とか魔法使いとかいうお話。

わたし達は公園で黒い少年と会った日、ママと二つの約束をした。

おかしな子と関わるのはやめなさい
ひとりで公園に行かないようにしなさい

そのとき三姉妹は「言われなくても!」という気持ちだった。けれどエバンス家の末娘は日に日に心変わりしてきているようだった。ここ数日のリリーはとても寝付きが悪い。

「リヴィ、あの子の言ってたことをどう思う?」

夜、二段ベッドの上からリリーの囁きが降ってきた。この質問はもう三度目だ。わたしはベッドの裏を見上げながら二度目と同じように答える。

「空想?」

重たげなコートを羽織る少年の姿が目に浮かんだ。リリーに少年のことを問われると悲しげな目付きを思い出してしまう。彼もこうして、ベッドから天井でも眺めてリリーのことを思い返しているだろうか。

「夢見がちな男の子の空想じゃないかな。数年後に恥ずかしくなってベッドでジタバタするやつ」
「……私は本当に不思議なことができるもん。空想じゃないわ」
「リリーができるのは知ってるよ」

リリーの寝返りを打つ音がする。どうやら三度目はこのまま寝付いてはくれないみたいだ。

「あの子もできるかもしれない……」

少年と会いたいという気持ちをハッキリと露わにされたけれど、わたしはリリーと少年が会うことに反対だった。

「スネイプって子−−リリーだけを見てて少しこわかった。それにわたしとチュニーには……」

悪口を言うのには抵抗があったから言いよどんでしまう。はっきりしないで消えていったわたしの言葉をリリーが浚うように引き継いだ。

「いやな態度だった、覚えてるよ。私は別に友だちになりたいわけじゃないの。ただ一回、私と同じことができるなら見てみたいだけ。できないならリヴィやチュニーの言う通り空想だわ。これって悪いこと?」

う〜ん、とわたしは唸る。
今まで不思議な力はリリーだけのものだった。だれも同じことは出来なくて、リリーが力を使って怒られないのは、家の中だけ。
そこに「僕も同じことが出来る」という人物が現れたら、知り合いになって詳しく話を聴きたくなるだろう。
不思議な力を魔法と呼ぶのか超能力と呼ぶのかはさておき、少年の口ぶりは不思議な力について知識があるようだった。彼の言い分を信じるならば、彼も彼のお母さんも同じ力が使える仲間だという。

でも危ない、ほら、お薬とかあるじゃない? ドラッグを使うと幻が見えたり思い込みが激しくなったりするらしい。スピナーズ・エンドの少年と彼の親があぶないお薬に手を出しているかもしれない。魔法だと言ってリリーを薬漬けにする魂胆かもよ?

「変なことに巻き込まれるかもしれないよ。ママにきいてみた?」
「……魔法なんてあるわけないでしょって。会いに行っちゃだめだって」

そうだろうなぁ。『魔法をちゃん使えるようにするために』なんて言われてお金をせびられたりしたら困るもん。宗教勧誘とかセールスかもしれないし。

「ママも心配してるんだよ」
「もし何かあったらってことでしょ。でも、もしもを考えるなら、もしもよ」

リリーの声が熱に浮かされたようにうわずる。

「あの子が私と同じなら? 聞くべきことがたくさんあるわ。どうしてあなたは魔法使いだって自信を持って言えるの。どうやって仲間を見つけるの、仲間ってどれくらい居るの……!」

……ファンタジーみたいに魔法を使えるリリーの仲間がたくさんいるのなら、この世はどんなに素敵だろうか。私だって、双子の妹がその世界の一端に触れているかもしれないと思うだけで胸が弾む。

宇宙の物質で超人的な力を得たり、異星人がやってきて友情を育んだり、暗黒面に堕ちた敵と戦う選ばれし者になったり、冒険に繰り出す主人公みたいな英雄物語が広がっているんじゃないかってワクワクする。

それでも、わたしの口から出るのはリリーの背中を押す言葉ではなかった。

「もしもあの子が魔法使いで」

あまりにファンタジーな言葉に自分でむず痒い気持ちになる。

「仲間の見つけ方を知っていたら、リリーはどうするの?」
「どうする……?」

リリーから、考えもしなかったというような声が返ってきた。沈黙が落ちる。チクタクと秒針の進む音が響く。わたしはふとんをぎゅっと握って鼻まで引き上げた。暗がりに浮かび上がるベッドの裏をじいと息をひそめて見上げ、チクタクチクタクとなる時計の音をもどかしく思う。

「仲間になってその世界を見てみたい」

リリーの答えは至ってシンプルだった。

わたしは目を閉じた。
やっぱり、と思った。
リリーのように度胸のある子が、不思議な力の正体を突き止めるだけで終わるはずもない。力を共有できる仲間がいるのなら、そんな世界があるのなら、その世界に飛び込みたくなって当然だ。

そんな予感がしていたから応援できなかったのかもしれない。

わたしが黙っていると、リリーが沈黙に耐えかねたように「この力で誰かを傷つけたりはしないわ!」と付け足した。

「ちゃんと隠すし、危ないことはしない」
「……なんかすでに危なっかしい」
「ええっ」

わたしは目を開けて、ふとんの中からもごもごと喋った。リリーは思い切りが良くて、何事もなかなか決心できないわたしは見ていてハラハラする。ショッピングでもわたしは一つを買うだけで何時間も悩んじゃうのに、リリーは手早く決めるんだ。

「リリーはどうしても行きたいんだね」
「うん。だめかな、リヴィ……」

パパやママがだめだと言うことをわたしが「良いよ、大丈夫だよ」と言うのも変な話だ。だけどパパやママ、それときっとチュニーがリリーを止める理由と、わたしが止める理由は違う。

スピナーズ・エンドの少年と会ったら妹がどこか遠いところに行ってしまいそうな気がするんだ。少しだけ角度を変えた道が、やがてうんと離れてしまうように、わたしの手の届かない遠い遠い場所へリリーは歩いていってしまうんじゃないか。

それがこわい。

スネイプ少年が危ない人かもしれないとか、リリーが心配だからとか、本当だけど本当じゃない。リリーをぱくりと食べてしまう獣の口が、わたしだけ食べ残してしまったらどうしようってそれがいちばん不安なの。

わたしはふとんから顔を出して口を開く。

「……ママと約束したよね。関わらない、ひとりで公園に行かないって」

とたんにリリーのがっかりしたようなため息が聞こえた。
「でも」とわたしは指でベッド裏の木枠をなぞる。
リリーが遠くに行ってしまうことが不安ならどうしたらいいか。
ひとつだけ思い付いた。

「二人で行けば破る約束はひとつで済むよ」
「……!」

ベッドがぐらぐらと揺れ上の段から赤い髪がばらっと下がってくる。可愛い顔が逆さまになって、輝いた表情で覗いてきた。

「リヴィ! 大好き!」
「しーっ! 秘密だよ」
「うんっ」
「あのね、スネイプの言うことを鵜呑みにするのはナシよ。手品でごまかすかもしれないし」
「へーき!手品じゃ絶対にできないことをやらせるから」
「なにかをしろと言われたり、しようと誘われたりしたら、全部パパとママに言おうね」
「分かった。私、ママとの約束は時々守らないけど、リヴィとの約束は必ず守ってるわ」
「そうだった」

リリーはすっかり笑顔だ。来週の水曜日に公園へ行こう、と提案したリリーの頭が上に引っ込んだ。チュニーがピアノのレッスンに行く日だ。わたしはチュニーに隠れて行くことにちょっとだけ後ろめたさを覚えたけれど、チュニーが大反対をして喧嘩になると予想できるから、そのままリリーの提案を了承した。一度会って確認してからチュニーに話そう。さて寝ようとふとんをかぶり直した。

するとリリーが「リヴィ」と言って二段ベッドの上から手だけを下ろしてきた。わたしは二段ベッドの下から手を伸ばし、リリーの手に触れた。

「おやすみ、リヴィ」
「おやすみ、リリー」

大丈夫。獣の口でもどこでも一緒に飛び込んでみよう。不思議な力も、特別な才能もないわたしだけど、できるところまでついていこう。なるべく花畑みたいな居心地だといいなと願って。

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