新世界からの使者みたい


水曜日に公園へ行って、わたしたちはスネイプを探す必要はなかった。ブランコに腰掛けていると、希望と不安がごちゃ混ぜになった表情の少年が駆けつけてきたのだ。

少年は前と同じく大人用コートを重苦しそうにバサバサとはためかせた。髪は前よりも油っこくなっている。鷲鼻の頭に汗の玉が乗っていて、リリーを見かけてすぐに近寄ってきたのだと分かった。

「この前は、ごめん……!」

少年は開口一番に、リリーを見てしどろもどろで謝った。

「君をいやな気分にさせるつもりは、なかった! 失礼なことを言う気も−−ただ君の−−、僕らの使える力について、話したかった」
「そう」

リリーがツンとした澄まし顔でブランコを漕ぎ続け、冷ややかに言う。公園へ行くことを熱心に説得されたわたしにしてみれば、リリーがわざとそうしているのだと簡単に察せられた。

「私がいやな思いをしたのは、私に失礼なことを言われたからじゃないわ」

リリーは姉たちを馬鹿にしたことも謝らないと許さないらしい。ぼんやりとブランコをキィキィ鳴らしていると、黒い瞳が今日初めてわたしを見た。黒、ブラウン、ダークグレー、どれとも異なる。出会ったことのない色。色のない色だった。膜を張ったようにわたしの侵入を拒む。虹彩に光を取り込んで網膜に映すことを拒否している。

少年がなぜか唇を悔しそうに噛みしめた。
わたしはブランコを揺らすのを止め、鎖をぎゅっと握って、黒い瞳を伺う。

「……その、君も……」

彼は絞り出すように口を開いた。
……へんなの。リリーにはあんなにすぐ謝ったのに、なぜわたしにはとても言い難そうにするのだろう。彼がリリーに一目惚れしているのだとしても、わたしを嫌う理由にはならないはずだ。

「……ごめん」

とうめき声のような謝罪がかすかに聞こえた。

「いいよ。気にしないで」

少年が面食らったように目を丸くした。へんなの、と再び思う。自分でも許してもらえるような謝罪ではないと感じているのだろうか。ふつうに「ごめん」と言ってくれれば、根に持つようなことじゃない。リリーとわたしへの態度の差は気になるけど質問すればいい。聞きたいことは山ほどあり、疑問を解消するために公園へやってきた。わたし達はまだスネイプのファーストネームも知らない、それなのに彼を拒絶するつもりはなかった。

「リヴィがいいなら私も許すわ」

リリーがブランコを止めてそう言うと、少年の顔色は見る間に良いほうへ変化した。
コロリと態度を変えてリリーが笑った。

「魔法だっけ。私と同じことができるって本当?」
「も、もちろん! なんだって見せるよ!」
「見せて?」

茂みの方へ駆け出した少年の後ろを追う。しゃがんで立ち上がった彼は、三週間前のリリーと同じように花びらをつんで手のひらに載せた。あ、と思う間もなく、花びらが勝手に閉じたり開いたりを始める。

それだけじゃない。

少年は花びらをふわふわと空中に浮かせて輪っかにしたり、菱形にしたりした。
※描写追加※

リリーが歓声をあげる。

「すごい……! 本当なんだ!」
「て、手品じゃない……?」

わたしは思わず花びらと少年の手のひらの間に手を伸ばし、仕掛けがないか確かめた。スネイプがいやな感じに鼻をすすった。

「魔法だよ。マグルとは違うんだ」
「そのマグルって?」

わたしとリリーの声が重なった。
彼の黒い瞳がぱっと輝いたかと思えばすぐに翳った。たぶん、リリーに向ける輝いた表情と、わたしに向ける気まずい表情を選び損ねたのだ。

「……魔法が使えない、僕たち魔法使いを知らない人のことだよ」
「なんだ、いっぱい居るじゃない」

拍子抜けしたようにリリーが言う。特別に双子の姉が悪く言われたわけではなかったと思ったんだろう。
わたしは魔法を使えない人の固有名詞があることに驚いた。つまり、『魔法』を使えない者をマグルと呼ぶ側の人間が、それだけ多く居るということではないのか?

少年は花びらを星型にしたり複雑なかたちへ自由に操った。釘付けになる。目が離せない。瞬きさえ惜しく思う。胸がドキドキする。あたまの芯がぼうと熱くなり視界が興奮で潤んだ。信じられない光景が目の前に存在している。空想が現実になっている。本当に知らない世界が広がっているのだろうか。手を胸元でぎゅっと握りしめ、わたしは少年に問う。

「あなたは何者?」

脂っこく照る黒髪の下で、真っ黒な目が神秘的に煌めいた。

「僕は魔法使いだ」

少年は、たった一つの誇りを示すように毅然と告げた。Wizard. 初めて会った日にも聞いた言葉が今日はすんなりと頭に入ってきた。骨と皮のように痩せた体、薄汚れた黒髪と古い大人用のコート、血色の悪い肌といったおよそみすぼらしい男の子。彼はまさしく妖しい魔法世界からの使者であるようだった。
−−ああ、彼は魔法使いだ。
簡単に信じちゃだめだと言う冷静な声が頭の隅で囁く。慎重にもならなくちゃと。でも、純粋に彼の信じるものに触れてみたい。

「信じるわ」

未知に出会った時に一歩を踏み込むのはいつも双子の妹だ。リリーは、花が豊かに咲くように緑の瞳を細めて微笑んだ。
少年の頬が真っ赤に染まる。

「私はリリー・エバンスというの。リリーと……」

リリーがわたしの手をぎゅっと握った。それで心配が杞憂だと悟る。彼女はいつも未知に踏み込む時、誘うように姉と手を繋いでくれるんだ。今みたいに。いつも一緒のLily&Livy。
わたしはリリーの右手を握り返した。

「リヴィだよ。オリヴィア・エバンス。あなたを信じるよ」

リリーが嬉しそうにわたしをちらっと見て、少年に向き直った。少年は無感動にわたしを一瞥しただけだった。わたしの名前を覚えてくれたのかもあやしい。どうしてこんなに態度がちがうんだろう。わたしが魔法使いじゃないから? わからない、わからないことだらけだからこそあなたを知りたい。

「私達ね、この力のことや仲間のこと、もっと色んなことが知りたいわ」

わたしはリリーと一緒にまっすぐに魔法使いを見つめた。リリーだけを瞳に映した彼が、大歓迎というように大きく首肯する。

「僕も君に知ってほしいことがたくさんある」

公園に吹く爽やかな風が、リリーの豊かな暗赤色の髪を揺らし、魔法使いの油っこい髪をなびかせていく。赤だけを映す瞳がわずかのあいだ黒髪のむこうに隠れ、わたしは残念に思った。わたしを見ない瞳。わたしを爪弾きする瞳。リリーだけを呑もうとする黒い淵。あなたの瞳の温度を知りたい。その冷たい温度の底を見たい。使者の黒い瞳はそれだけで異世界だった。

「じゃあ初めに−−」

リリーは広がった赤髪を左手でやわらかく抑えて、悪戯っぽく桜色の唇を引き上げた。

「あなたの名前を知りたいわ」

少年が初めて微笑んだ。
そんなふうに笑えるんだ。

「……セブルス。セブルス・スネイプ」

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