僕が君を好きって話

「やっぱり君には自覚が足りないと思う」
「なんの?」

ぱき、と彼女の咀嚼していた棒状のチョコレート菓子が音を立てる。首元の大きく開いたシャツ、太腿の付け根しか隠せないようなショートパンツ。まるで男を部屋に上げているとは思えない格好だ。

「自分が女性だという自覚だよ」

ベッドに座ったまま、彼女を手招きする。ぱたぱたと寄ってきて目の前に立った彼女の腰に腕を回し、ちょうど顔の高さにきた彼女の胸に顔を押し付ける。決して豊満な体躯ではない。がしかしそこには間違いなく、弾力があり暖かい香りのするささやかな膨らみがある。

「……少しは抵抗しようとか思わないのかな」
「別に、嫌じゃないし」

やっぱり、わかっていない。君が「この程度」と思っている動作で、僕がどれだけ乱されるか、この子は本当にわかっていないのだ。

「祈蕗、ちょっと横になってくれるかい」
「……何もしない?」
「しないと思う?」

祈蕗はしばらく僕を睨んでいた。普段は睨まれても上目遣いになるだけだから、かわいいなという感想しか浮かばないけれど。彼女の方が目線が高い今、やっとちゃんと睨まれていたことに気づいた。
彼女の少し焼けた手が、僕の頭をさらさらと撫でる。

「英智くんは私をどうしたいの?」

抑揚の少ない、でも優しい声で彼女は言った。
立ち上がる。彼女の快晴の双眸が、僕を追う。彼女の目線を優に追い越して、閉じ込めるように抱きしめた。

「……独り占めしたい、かな」

腕の中で、彼女がもごもごと動く。腕の力を緩めると、顔をあげて言った。

「案外普通で祈蕗さんは困惑している」
「手段によるだろう」

一拍の間を置いて、着火音が聞こえそうなほどに、祈蕗の顔が赤くなった。耳も、首も。一体何を想像したのか。身を捩って僕の腕を抜けようとした彼女を、反射的にもう一度強く抱きしめる。完全に祈蕗は逃げ腰だけど、赤くなるということは少なくとも嫌悪ではないのだろう。

「独り占め、させてくれないかな。僕のかわいい祈蕗」
「まって、キャパオーバーしちゃう、今日の英智くんの許容量超えそう!」
「超えたらどうなるの?」
「心臓バクハツする」
「それは大変だ」

腕の力を緩めて、逃げなかった彼女の小さな唇にキスをした。いつもはほんのり頬を染めて一瞬目をそらす程度なのに、今日は赤面という二文字では表せないほど沸騰している。英智くんの許容量を超えたらしい。

「心臓バクハツする?」
「ちょっと待ってくれないか!」
「キスで終わらせるつもりはないんだけど」

半歩身を引いた彼女が足を滑らせて、小さな身体がぐらりと傾く。どたどたと音を立てて、ふたりぶんの体重が床を圧迫した。彼女ひとりだったなら、ただの尻もちだけで済んだかもしれない。そこに僕が無駄な抵抗をしたために、わざわざ彼女に馬乗りになる形になってしまった。けど頭は守った。祈蕗は頭を打っていない。

「ごめん、英智くん大丈夫?怪我してない?」
「自分の心配をすべきだと思うけど。僕は大丈夫だよ」
「良かったぁ、ありがとうね」

身体を起こした彼女の頬からは、赤みは完全に引いていた。しまった、振り出しに戻った。
彼女に手を貸して、極自然に誘導してベッドに座らせた。僕もその隣に並んで座る。

「あれ、なんの話してたんだっけ」
「僕が君をすきって話」

彼女の小さな手が顎に触れる。考えるときの彼女の癖だ。そのうち頬が少しずつ赤らんできて、快晴の瞳が下を向いた。

「え、そういう話だったの?」
「すごくそういう話だったよ」

彼女は僕の目を見ないまま、でも離れるわけでもないまま、腿の上で指先を擦り合わせた。その仕草ですら、僕の視線を盗んで離さない。

「あっ待って無理無理無理無理」

彼女の頬に手を添えて顔を近づけると、軽く胸を押し返されて騒がれた。赤い顔でそんなことを言われても、嫌よ嫌よもなんとやら、というやつと勘違いしてしまう。

「君の『無理』は種類が多くて困るよ」
「すきすぎて無理」
「よし」
「何が!?」

やや強引に、彼女の顎の先を掬い上げる。目を合わせて、泳がない快晴に、僕の視線を射し込んだ。

「お利口にしていてくれるかな」
「…………そんな顔で言われても」

覚えず、彼女の顎の先を掴まえた手が離れる。身を捩って彼女の身体が逃げ出して、鏡台にあった手鏡が、祈蕗の手によって僕の顔を映した。
自分の顔色は、普段からあまり良いとは言えない。そこに不自然なほど赤みが差していて、思わず手で自分の頬をなぞった。

「…………動悸が」
「えっそれは困る」

祈蕗が駆け寄ってきて、僕の隣に座り直す。僕の背中をさすってくれる彼女に、少し体重を預けた。

「いやだな、満足に君に触れることもできない」
「英智くん、けっこう私のことすきだね」
「ずっとそう言っているだろう」

彼女の手の偉大さに震えることがよくある。現に今も、一人のときより遥かに早く、鼓動が落ち着いてきた。彼女にドキドキしてはやる鼓動なら原因も彼女だが、癒してくれるのもまた彼女だ。

「祈蕗」
「うん?」
「……祈蕗」
「どうしたの」

意図せずとも、彼女の名前をなぞる自分の声に熱がこもる。彼女もそれを察したのか、頬を染めて少し身体を強ばらせた。

「抱きしめてもいいかな、抱きしめるだけ」
「ええ、いつも許可なんかとらないじゃん」

言いながら、彼女は両手を広げた。イエスのサインだと察して抱きしめる。彼女の小さな身体は、でも、僕の中ではとても大きい。僕の心のはんぶん、僕が楽に呼吸ができる場所の七割、その理由の九割。僕は彼女でできている。彼女は僕を構成する要素の一部で、ぜんぶだ。

「すきだよ、祈蕗」

偶然、囁いた傍に彼女の耳があった。弱いくせに鈍感な彼女の耳は、しかし流石にこの影響を受けたらしい。腕の中で大きく身体が跳ねて、僕の背中に回っていた手がぎこちなく弱まった。
今かもしれない。
彼女に緩やかに体重をかける。ゆっくりと、少しずつ。彼女の背がスプリングに沈んだところで、かけていた体重を、ベッドについた手で支えた。
こういうのを、押し倒す、というのだ。

「……嫌だったら、殴っていい」
「ずるい、できないのわかってて言ってるでしょ」

その通りだ。でも、他に、僕は僕を止められる術を知らない。知らないなら、今はまだ、行動に移すべきではない。離れようと身動ぎした僕の首の後ろに、祈蕗の手がするりと回ってきた。

「嫌なことなんて、ひとつもないよ」

目が、離せなくなった。
彼女はどこか悲しそうな瞳で、表情で、熱い手で、冷えた温度で。
僕の頬を撫でる君に、僕はずっと、見惚れてる。
彼女の唇に、自分の唇を合わせた。
触れる、だけでは終わらせられない。食べてしまいそうなくらい、貪るように、品のない、優しくもないキスをした。
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