スカーレット・ヘル
吹きすさぶ乾いた風に、少女のワンピースが揺れはためく。裾を攫われる度に見え隠れする右足の無骨な金属製の義肢は、平和な日常の中に戦争の残り香を想起させた。
「綺麗でしょ」
振り返る。アイボリーのフレアワンピースが、揺られて陽光を遮る。彼女は水に濡れていて、肌に張り付く布が身体のラインを艶めかしく強調していた。
「うん、綺麗だ」
少年は答えた。そのたった一言を発するのに少し時間を要したのは、目の前の彼女がまるで、映画のワンシーンでも見ているのではと錯覚するほどに、彼女に目を奪われたからだった。呼吸すらも忘れて、少年は、浜辺を踊るように歩く花を見つめていた。
「ここは僕の秘密基地でね」
基地、というには広すぎる、そこは眩しい砂浜だった。彼女の愛した海だった。
「おれが知るのはいいのか?」
「うん、そうだね。君はいい」
「なんで?」
少女は一度足を止めた。ぱしゃん、打ち寄せる波が彼女の足を呑む。緩やかにアンバーの瞳を細めて、微笑んだ彼女はやはり眩しかった。
「修くんも、千佳ちゃんも、ヒュース君もだめだ。みんな、海が似合いすぎる」
「おれには似合わないってことか?」
「君には星のほうが似合うよ」
彼女はそう言って笑った。少年は、以前の彼女が「海も好きだけど星はもっとすきだ」と話していたのを思い出して、その頬をやや紅潮させた。なぜだかはわからない。わからないけれど、今はそれでいいと思った。
「空閑」
一層強く、風が流れる。ほのかに潮の香りがする、夏の匂い。風に目を閉じ、薄く開いた瞼のに、少女が消えた。
「……スズ先輩?」
囁くように、少年は呼ぶ。返事はない。姿も見えない。
「スズ先輩」
踏み出す。サンダルに砂が入り込む。
風が吹く。もう目は逸らさない。
過ぎていく高波の先に、揺れる白。
「だめ」
水の中に、少女は座り込んでいた。少年は目を見開いたまま足を止め、覚えず、海に囲まれる少女を見つめた。
「君は来ちゃダメだよ」
「なんで?」
少女は微笑むばかりで答えなかった。波の音、風の声、鈴の音のような彼女の声が埋もれて遠い。
「僕たちは仲間はずれだ」
静かに、少女は言った。
その瞬間だけ、まるで一枚の写真のように。波の音も、風の声も消えて。ただ彼女の声だけが、少年の鼓膜を刺激した。
「でも、おれは星がすきだ」
口をついてでた、ただ一言。
少女の瞳が大きく揺れ、彼を捉えた。
「ふふ、」
上品に、可愛らしく、少女が笑みを零す。完璧すぎるような、つくりもののそれではない。心の底から染み出た、ほんとうの笑顔。
「ああ、そうだった。僕らはひとりじゃないね」
ふたりぼっちだ。彼女はそう続けて、やはり嬉しそうに、けれどどこか切なげに笑うのだ。
ひとりぼっちとふたりぼっちに一体どれほど差があるのか、少年には上手く想像できなかった。できなかったから、柔らかに零した彼女の笑みを、ふたりぼっちへの肯定とした。
「スズ先輩」
少女が立ち上がる。透き通る白は目に眩しくて痛かった。
「遊真」
彼女が呼ぶ。空を走る声が、仕草のひとつひとつが、風にはためくワンピースが、降り注ぐ陽光に全反射して。
「私、生きてるように見える?」
息を呑んだ彼の音は波に消えた。言うべき言葉は潮の香りとともに逃げていった。おれのなかに浮かんだ答えに、きっと彼女は笑うだろう。
「天使みたいだ」
彼女は笑った。予想した通り、柔らかく、優しく。瞳のアンバーは目を覆いたくなるほどに輝いていて、彼は手を伸ばすことを躊躇した。捕まえるぞという意志を見せれば、天使は逃げていってしまうような気がしたから。
海水に濡れた手で、彼女が髪をかきあげる。頬を伝う水滴が塩辛い海の水なのか、はたまたそうでないのかは見当つかなかったが、もしそれが涙だったとしたら、それは彼女が不意に零したほんとうの、言い訳になるのだと思った。
「遊真、私さ」
水の中、舞うように彼女が振り返ったから、
「海なんかちっともすきじゃないんだ」