思えば、こうやって此処でゆっくりとするのも久しぶりだった。何も考えずに、目の前に広がる海をぼうっと眺める。来たときは夕陽によってオレンジ色に染まっていた海は、気が付けば藍色に染まってく途中だった。空も同様に、だんだん薄らと黒へ向かっている。

 やっぱり、最後に修也のサッカーしている姿を見ておけば良かったな。

 後悔先に立たずとは、きっとこういうことを言うのだろう。あの時は反対に、修也が仲間と楽しくサッカーしているところを見るのが辛くて此処へやって来てしまった。ああ、やっぱり私はいつまでも私は子供だった。この時が来るなんて、前々から分かっていたことだし覚悟していたのに。もう陽は暮れている。恐らく、サッカーもさすがに終わっていることだろう。辛くても良かった、彼の楽しんでるサッカー姿を最後に見れば良かった――そう、思わず溜め息を漏らしたその時だった。

「やっぱり、此処にいたか」

 来てくれるんじゃないか。心のどこかでそう期待していなかった訳ではなかった。でも、それは叶わないと思っていたもので。やっぱりなんて、こっちの台詞だと言いたくて。私は恐る恐ると振り返ると、修也は雷門のジャージを身に纏い、口角を上げてそこへ立っていた。


☆ ☆ ☆



 修也は、私の隣へ腰を下ろした。そして、二人で薄暗い海をぼんやりと眺める。何か声をかけようか。そう思ったけれど、浮かぶ言葉も見当たらなくて、ただ海を見ている。だけど、気まずさは感じなくて。それどころか、心地良ささえ感じていたときだった。

「明日、東京へ帰るんだ」

 静寂の中、修也のその言葉が響き渡った。どんなことを言われるのか予想していた訳ではなかったけど、その言葉は予想外だった。だけど、心の中でストンと受け止められた気がした。

「そう…わざわざ言いに来てくれたんだ」
「あぁ。自分の口で伝えたかった」

 言われなくても、帰ることくらいわかってたのに――。それを言うのはさすがに来てくれた修也に失礼だと思って、喉元に押し込めようとしたけれど遅かった。受け止められたはずなのに、認めることができない。せっかく修也は、明日出発する前に来てくれたのに。やっぱり私は子供だ。しかもたちの悪い、ひねくれた子供だ。

 だけど修也は、優しく笑っていた。

 自分が嫌で泣きそうになる。優しすぎる修也のせいで泣きそうになる。本当に私はこのまま愚かな子供のままでいいのだろうか。彼に、修也に、何も想いを伝えないまま手を振るだけで良いのだろうか。
 つい先程での自分を思い出した。私は後悔していたじゃないか。彼のサッカーの姿を最後に見ておけば良かった、と。ここでもまた自分の気持ちを丸込めてプライドのせいだとかで修也に何も伝えないままお別れするのは、絶対に後悔するってことはさっき証明されたんだ。 片手に力を入れて、小さな拳を作った。

 最後。最後なんだ。もう、恥なんか捨てて素直になるのが一番なんじゃないかって。彼への想いを伝えるのが一番なんじゃないかって。心の中のもう一人の自分が、そう言った気がした。

「……正直言うとね。修也を初めてここで見かけたとき、本当に憎たらしい奴だって思った」
「フっ」
「心配して声をかけたのに関わるなとか言われるし、凄い怖い顔で睨んでくるし。まぁ、私だって言葉が悪かったけどさ」

 そう、思えば出逢いは最悪なものだった。

「だけど、修也の置かれてる状況を知って、本当に修也の為になりたいなって思ったから、あんたを匿うことにも協力した」
「…」
「でも協力とはいえ、今思えば修也に何も出来なかったよね。私があんたの暇つぶし相手になってあげるなんて堂々と言ったくせに、反対に私の方が楽しんでたもん」

 いつからか私の暇を、修也が潰してくれるかのような感覚で。それがまたいつからか、彼と過ごす時間は暇つぶしじゃなくて大切なものとなっていたんだ。

「もちろん、サッカーしてる時の修也を見てたら今すぐ仲間と一緒に宇宙人と戦いたいんだろうなって思ったし。一刻も早く、夕香ちゃんの安全が確保されて修也が仲間のところに戻れたらいいのになって、本当に思ってたんだ。でも、でもね」

 目の前の海がぼんやりとぼやけていくのが分かった。最近の私は、どうやら涙腺が緩むのが早くなってきているのかもしれない。

「いつからか、修也が雷門に戻るときが来なかったらいいのにって思い始めてた」
「…」
「純粋に、修也と一緒にいる時間が終わって欲しくないって思ってたんだ」

 明日に修也は出発だというのに、こんなことを言っては彼を困らせることは分かっていた、でも。後悔だけはしたくなかった。

「でも、今日雷門のみんなと修也がサッカーしてるところを見て改めて気付いたんだよね。修也が心から望んでいる場所はあのチームで、心から望んでいることはあの仲間と一緒にサッカーすることなんだって。その事実を認めたくて、でも目をそらして」
「…」
「不思議だよね。そのくらい、私にとって修也はいつしか大切な存在になってた」
「……光」
「修也の存在が、私にとってかけがえのないものになってた」

 海から目線をよけ、青白い月を見上げた。とても綺麗な満月だった。いつの間にか力の入っていた肩の存在に気が付いて、深呼吸して落ち着かせた。ほんの少し沈黙が流れる。ザァー、と心地良い海の音を耳に入れてから、ゆっくりと、小さく口を開けた。


「ねえ、修也。 私、修也のことがね、」

 
 好き。
 震える口唇からそれは溢れた。

 だけど、その声はこの静寂の中に響くことはなかった。言葉は、手のひらの中に吸い込まれた。紛れも無い、修也の手のひらに。
 目をぱちくりと開けて、今の現状をどうにか理解しようとした。修也の手のひらが、私の口元を覆いかぶさっていた。決して強く覆われているわけではないし、むしろ軽い力なのに、それからはとてつもない圧迫感を感じた。私は、修也の顔へ視線を向けた。

「…言わないでくれ」
「っ!」

 彼のその行動、そして今の彼の言葉で私は、全てを悟ってしまった。私の想いは聞くことが出来ない、ということだった。彼は鋭い人だから、私が今言おうとしてた言葉が分かっての行動と言動に違いなかった。
 頭に大きな岩がぶつかるような、そんな衝動が鈍く走った。大きな飴玉が喉元に突っかかったかのように、息が苦しい感覚に陥った。ナイフで、心臓を一突きされたかのような痛みが走った。しっかりと働かない脳を意地でも稼働させて、何か言わないと、何か弁解しないとと、せわしなく指令した。

「っだよね、迷惑だよね。ごめん…ほんと、私何言おうとして」
「そうじゃない」

 ぶつぶつと、自分に言い聞かせるように呟く私を止めるかのようにひときわ大きな声で修也は私を我に帰らせた。

「いや、違うというより…」
「…」
「それ以上聞けば、お前と離れられなくなるだろう」

 そう言った修也は、すごく優しく私を見つめていた。夕香ちゃんと接した修也は見たことないけれど、きっと彼が夕香ちゃんに向けているだろう、そんなとびきり優しい顔。そんな修也を見て、私は今までずっと耐えていたそれが溢れ出した。頬に生温い雫が滴る。馬鹿。ここまで言ったのなら、最後まで言わせてくれてもいいじゃないの。ここまで、せっかく言ったのだから。

「修也の、馬鹿」
「なんとでも言え」

 いつものような余裕綽々といった大人びた顔で、修也は笑った。


「…いつかは言わせてくれるの?」
「あぁ。でもそのときは、…俺からだ」
「え?」

 修也の言葉が、一向に理解できなかった。でも早く、理解したいと心が叫んだ。いつかは想いを私は彼に伝えてもいい、でもそのときは、修也から? それって、つまりは。私の日本語の理解力が正しいのなら。その言い方だったら。修也は、私と同じ気持ちで、私のことが。
 瞬間、先ほどまでの絶望に打ちひしがれた気持ちが嘘のように軽くなった。舞い踊りそうになった。確証はないのに、嬉しくて、なんだか照れ臭くて、ただひたすら笑顔を抑えられなかった。

「この戦いが終わったら、俺から言わせてくれないか」
「…ふふ、仕方ないな」
「約束だ」
「言ったよ。また此処で、約束だから」

 今自分が出来る満面の笑みを向けると、修也の手が近付いた。え、と思う間も無く私の頭は彼の胸元にあった。慌てふためくより、純粋にそのぬくもりに浸りたかった。

「想いは聞いてくれないのに、これは良いんだ」
「…許してくれ」
「うん、…うん。許す」

 それから修也の腕が、私の背中に回った。

「きっと、チビたちも寂しがるな。あんたが来てから、私なんか放ってずっと修也にいちゃん、修也にいちゃんだったもんね。雷電だって、笑顔で送ってくれるだろうけど…きっと、修也とサッカー出来なくなるのを寂しがってる。私だって、すごく寂しいなー、なんて」
「…」
「でも。これが最後じゃない。修也は、宇宙人を倒したらまた来てくれる。…そう、でしょ?」
「あぁ。必ず、な」
「そうこなくちゃ」

 その言葉を聞いて、私は修也の胸元のジャージをぎゅう、と掴んだ。涙が止まらなかった。嗚咽が止まらないくらい、私は泣いた。寂しい、寂しすぎるんだ。こんなにも寂しい想いをするなら、好きにならなければどうだっただろう。でも、それでも。修也を好きになって心から良かったと思う。さまざまな感情が巡り合い、それはひたすら涙と形して溢れ出す。そんな私を修也はただずっと黙って、背中さすりながらあやし、宥めてくれた。



 涙が止まったのは、それから十数分後のことだった。泣き止んだ私が修也にもう大丈夫と言うと、本当かと心配そうに眉尻を下げて私の目に触れた。驚くほど、目が赤くなっているだろう。

「修也、仲間のとこに戻りなよ」
「…」
「私も、寂しい。だけど、雷門のみんなは私以上に寂しい思いをしていたはずだよ。あんたのこと、ずっと待ってたんだよ」
「……そうだな」

 浮かない顔をしている修也の背中を、少し強い力でパシリと叩いた。

「明日の見送り、絶対に行くから!」
「あぁ。…ありがとう、光」
「此処での約束、忘れないからね!」

 それじゃあ、おやすみ。手を振って、私はその場を駆け出した。最後に修也の顔を振り返ると、彼は微笑を浮かべていた。家まで走り続けた。寂しいはずなのに、とてつもなく気持ちは軽やかで、華々しくて、とても一言では形容出来ない不思議な感覚だった。








「豪炎寺」
「…鬼道?」

 光と別れ、大海原中付近の海辺まで向かうとキャラバンを見つけた。まだ夕食の準備は終わっていないようで、安堵の息を漏らしたとき、鬼道が声をかけてきた。

「光、と言ったか」
「!」
「あの女のところに行っていたのか」

 早速見抜かれて、驚きを隠せなかった。

「あぁ。…よく、分かったな」
「まぁな。お前たちお互い、せわしなく気にしているようだったからな」
「そこまで見られていたのか」

 光のことはどうかは分からないが、試合後にサッカーをしているときに、俺が光を気にしていることは事実だったから、否定の必要性もなかった。俺は流石は鬼道だな、と心の中で賛賞しながら円堂たちの元へ行こうとしたときだ。
 
「――好きなのか。あの女のこと」

 思わず、足を止めた。そしてゆるりと鬼道の方へ振り返った。口角を上げ、自信満々な表情を浮かべている。そう簡単に何でも見破られたくないな、なんて思った。

「…さぁ、どうだろうな」

 今度こそ、俺は踵を返し円堂たちの元へと向かった。相変わらず、円堂の周りはどんちゃん騒ぎだ。すると、後ろから「いつものクールなポーカーフェイスはどこに行ったんだ」と鬼道の突っ込んだ声が聞こえた。それを聞いて、俺も鼻で笑ってしまった。見破られるどころか、自分から白状してるようなものだった。仕方ないだろう、俺だってまだ心の整理がついてないんだ。自身のジャージの湿った胸元を一度握ってから、俺は一息吐いた。

//180220


   


BACK