初めてのけんか


 気分が重い。頭も重い。胸が嫌にドクドクと波打っている。冷たい風が嘲笑うかのように私を襲う。なんで、なんでこうなったんだろう。全ては私が悪いことだなんてわかっている。けれど、今の現状を冷静に受け入れることができなかった。

 単刀直入にいえば、御幸と喧嘩した。いや、私が御幸を怒らせた、と言った方が正しいかもしれない。


「野球って、冬はできないんでしょ?」
「対外試合が三月まで組めねえからな。練習はみっちりあるけど」
「…そ」
「なんで?」
「いや、練習ないなら御幸と遊べる日があるかなーって」
「そか、ごめんな」

 そう、始まりはその話題からだった。お父さんから野球部は基本冬はオフシーズンだってことを聞いて、もしかしたらと思った。でも強豪校の野球部はそうじゃないらしい。学校でバカみたいなやり取りをするだけでもいいけど、付き合ってもう数ヶ月も経つのにデートを一度もしたことない。仕方ないってのは分かってる。御幸は寮生活だし帰り道の少しの時間なんてものもない。それに、御幸はレギュラーだしキャプテンだし、暇なんて時間はない。そんなの分かってたし、だから無理は今まで言って来なかったけど。なんでだろうか、このときの私はどうかしていた。周りの彼氏持ちの友達に、クリスマスデートするやら色々と自慢を聞いたそのお陰で羨ましかったからか。お父さんの話を聞いて御幸とデート出来るかもって余計に期待して楽しみにしていたのに、それは儚くとも散ってしまったからか。

「…サボれないの?」
「……は?」
「一日くらい、サボれないの?」

 気付いたときにはもう遅かった。何言ってるんだ私、早く弁解しなきゃ。すぐさま御幸の顔を見ると、奴は今までに見たことのないような目で睨みつけていた。

「お前…それ本気で言ってんのかよ」
「あ…えっと…」
「冗談でも洒落になんねーな」
「…」

 完全に調子乗った。御幸を、怒らせてしまった。御幸は私をまだ私を睨みつけていた。怖くてたまらなくて、逃げるように私は教室を出た。もうすぐで四時限目の授業が始まるのに、教室からどんどんと私の足は遠ざかっていく。授業開始を告げるチャイムが鳴ったけれど、教室に帰ることが怖かった。御幸が怖かった。私はそのまま教室とは別方向へ足を進めた。最終的に辿り着いたのは、人気のいない校舎裏だった。ーーそして冒頭に至る。

 初めて授業サボったなあ、とかマフラーでも持ってくれば良かったなあ、とかどうでもいいことが頭の中に浮かんでくる。けれどそれは、先ほど起きた出来事を思い出したくないからで。自分の膝を抱えて、せめてもの温かくする。
 御幸は、野球に関してはとことん真面目だ。毎日いっぱい練習して、練習して。いつも私が好き勝手いって御幸はそれを笑いながら受け流してくれるけど、今回は本当に地雷を踏んだのだ。人が真面目にしてるものを、部外者がサボれないのかって簡単に言って。そりゃ怒られるに決まってる。それにーーこれじゃあ「私より野球の方が大事なの」って遠回しに言ってるようなもんじゃないか。
 私は一切そんなつもりなんて、ないんだ。あいつは、バカがつくくらい野球好きで、野球しかほとんど頭にないくらいで。私より野球の方が大事なんてことは分かっている。けれど、私だって、可愛げがないこんな女だって、好きな人ととデートしたい。一日丸々、二人でいたい。
 でも例えそうだとしても、私が我慢しなくちゃいけなかったんだ。御幸を支えるって決めたじゃないか。なのになんで迷惑かけてんの。もうやだ。

 気付けば四時限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴っていた。昼休みだ。お昼ご飯だ。私の机の横に、私と御幸のお弁当が入った鞄をかけている。…食べたくないだろうな。でも、部活があるからちゃんとお腹いっぱい食べてほしい。購買で御幸の好きなパンが五個あればいいね。私は到底教室に戻る気力はなかった。

 冷たい風がまた強くなって、抱えた膝に顔を埋める。遠くから、賑やかな声が聞こえる。こんな寒いのに、よく外でご飯食べるよね。御幸と私なんか、こんな寒い中食えるかっつーのって、絶対教室から出なかったな。それで二人で一つの机を使って、向かい合いながら、雑談しながら、私が作ったお弁当を食べていた。昨日まであったそんな日常が、なぜか遠い昔のように感じる。初めて御幸を怒らせてしまった。しかも野球関連で怒らせてしまったんだ。もう許してくれないんじゃないかな。こんな奴とはやっぱ付き合えねーと思って、別れよって言われるかな。ごめん、御幸。ごめんなさい。自分が悪いのに、涙が頬を伝ったそのときだった。

「やっと見つけた」

 びっくりして、つい顔を上げた。そこには声の主である御幸がいた。思わず目を見開く。

「あー、寒ぃ。お前ずっとここで授業サボってたのかよ」

 何事もなかったかのように、御幸が私の隣にどかりと座った。

「…みずき」
「ごめん」
「…」
「ごめん、なさい」

 涙がぽろぽろと溢れて出てきた。でもそんなの今はどうでも良かった。ひたすら、ごめんなさいごめんなさいって。どんなしつこい女だよって自分で謝りながら思うほどだ。絶対御幸にも引かれてる。

「…みずき」

俯かせていた顔を御幸の手によって上げられた。目と目が重なり合う。怖くて、胸がどくんと跳ねた。でも御幸の目は、最後に見たときとは全く違った。

「なんで、俺が怒ったかは分かるよな」
「…うん」
「俺が青道にきた理由は野球するためなんだ。それに、今こうやって毎日過ごしてるのもこのチームで強くなるためなんだよ」
「…」
「だから、そんなに軽々しくサボるとか、そういうこと言うのは…許せなかった」
「うん…ごめん」
「でも」

 御幸は、ちょっと困ったように眉尻を下げた。

「俺も、カッとなりすぎた。ごめんな」
「…」
「それにお前の気持ち、全然考えてなかった」
「…」
「いつもお前は俺の愚痴とか相談に何も言わず乗ってくれたり、色々と支えてくれてたのにな。俺はお前の我儘は一切聞いてなかった」

 御幸は私の冷え切った手を、やさしく包んでくれる。

「それで、今更だけど気付いた。お前にいっぱい我慢させてたよなって」
「…」
「なのに、お前の気持ち考えずに勝手に怒ってよ…ごめん」
「ち、ちがう」
「え?」
「なんで、御幸が謝ってるの。御幸なんにも悪くない。私が調子乗ったんだよ、御幸が怒るのは当然なんだよ。御幸は野球が一番大事って分かってるのに私があんなこと言ったのが悪くって、御幸は何にも悪く…」
「もういいって、お前自分のこと責めすぎ」
「…だって」
「ま、そうさせたのも俺が原因だよな。ごめんな」

 御幸が親指で私の目尻を拭う。不器用なその手つきに、その優しさにまた涙があふれた。そして、ゆっくりと御幸に抱き締められる。御幸の胸の中で、もう一度謝ると「次謝ったらデコピンすんぞ〜」って呑気な声が上から聞こえた。

「はい、もう仲直りしようぜ。な」
「…許してくれるの」
「あったりめーだろ。俺みずきちゃんいなかったら死んじゃうから」
「嘘つけ…」
「ほんとほんと」

 ギュウ、と苦しいくらいに御幸に抱きしめられながら頭を優しく撫でられる。冷えていた体が、御幸の体温でどんどん温まっていく。

「なあ、みずき」
「ん」
「ずっと考えてたんだけど」
「…はい」
「クリスマスとか、その前後とかは合宿で多分死んでるし会えねぇと思うけど」
「…うん」
「合宿終わったら年末年始の数日は休みで、帰省すんだよ」
「…うん?」
「年末と正月は無理だけど…二日からなら空いてるからさ」

 デート、するか。御幸が茶目っ気たっぷりの笑顔を向けた。涙がぴたりと止まる。

「ほ、ほんとに?」
「お」
「や、やった! 御幸!」

 嬉しくて嬉しくて、私は御幸をぎゅうぎゅうと抱き締めた。負けじと御幸も私を抱き締め返してくる。御幸の髪の毛がこそばゆい。ずっとしたかった、デートができる。やばい。どうしよう…本当に嬉しい。それに何より、御幸もずっと考えていてくれていたことが嬉しい。

「あとさ、これはお前がいいならだけど」
「うん?」
「正月明けの二日から四日は空いてるから、俺ん家泊まるか?」
「え」
「まあ、お前ん家の用事もあるだろうからいけたらでいいけど」
「大丈夫! 全然ノープロブレム! お正月は家族で初詣行くけど、二日からは家でゴロゴロしてるだけだから!」
「まじで? なら決定だな」
「うん! え、やった、すっごい楽しみ!」

 多分今の私は嬉しくてたまらなくて、すんごい緩んだ顔だと思う。すると御幸が、「やっぱお前はそうやって騒いでる方がいいな」って言った。「騒いでるってどういうことだよ」と突っ込むと、「お、平常運転になってきたぞ〜はっはっはっ!」と大きく笑った。

「あ、そうだ! それじゃあ、その休みの間に私の家にもおいでよ!」
「いいの?」
「そりゃあいいでしょ、お父さんたちも御幸に会いたがってるし、ね」
「なら、三日間はお前との予定で埋まりだな」
「ドタキャン無しだから!」
「んなことしねーって」

 御幸と再び視線が重なった。お正月明けが楽しみで、楽しみで、仕方ない。御幸と一日だけじゃなくて、二日三日といれるんだ。クリスマスなんかもうどうでもいい。嬉しくて笑みを向けると奴の顔がだんだんと近づいてきた。唇が重なって、離れて、重なって、離れて。幸せだと心底思った。

「そろそろ飯食わねえと時間やばいな」
「そだね。御幸、購買でなんか買った?」
「なんで?」
「え、いや、だって」
「ほら、持って来た」

 そういって御幸の背後から出てきたのは私が机の横にかけてあるお弁当バッグだった。その中には、もちろん私と御幸のお弁当が入っている。

「これがあるのに他のもん食うわけねえだろ?」

 歯を見せて、ちょっと嬉しそうに笑う御幸に私もつられて笑った。かっこいい奴め。さすが御幸だ。私の自慢の彼氏だ。

 それじゃあ、ちょっと寒いけれど、ちょっと遅いけれど。

「あーマジで寒。マフラー持ってくればよかった」
「ほんとそれ」
「お、肉巻きポテト今日二個入ってる」
「私四個」
「はっはっは、いやいや偏りすぎだろ!」

 二人でお弁当食べましょうか。


160826

   

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