路地を奥深く進んだところにある、わたしは一度も入ったことのない場所に辿り着くと、美剣士さんは足を止めた。

「ここだよ」

 テルマの酒場、と書かれた看板を眺めてわたしはもう一度彼の顔へ振り向くと、にこりとやさしい笑みが返ってきた。こんな商店街から離れたところに酒場があるなんて、生まれてこの方ずっと城下町に暮らしているのに、全く知らなかった。

 美剣士さんはわたしを抱えながら、器用に足でドアを開いた。もう下ろしてくれても構わないのにと心では思いながらも、膝小僧の痛みは先ほどと同様にまだまだじんわりと痛むので、遠慮することが反対に迷惑になると分かっていたから彼に甘えることにする。

 酒場の中に入ると、温かいオレンジのカンテラが室内を照らしていた。お昼過ぎだからか、お客様もほとんど入っていない。奥の方で数人がひとつのテーブルを囲んでいるくらいだ。はじめて入る場所に、わたしはつい周りをきょろきょろと見渡してしまう。ツン、も鼻腔をくすぐるお酒の匂いがとても新鮮だった。わたしは一度お父さんに勧められてお酒を呑んだとき、苦くて美味しくなかった印象しかないけれど…もう少し齢を重ねたらこういうところにも来るようになるのかな?

「おや? リンクが女の子を連れて来てるじゃないか。これは珍しいねえ」

 すると、カウンターの奥からマダムが現れてはわたしを抱えている美剣士さんとわたしを見てそう茶化すみたいにニンマリと笑った。でも、悪い人ではなさそう。……というか彼、リンクっていうんだ。聞いたことがない名前だったし、身なりから見てこの城下町に住んではいないのかな。それにマダムの言い草から見て、この酒場にはよく来ているのかなあ、なんてぼんやりと考える。

「テルマさん。この子、怪我をしているんだ。手当て、してもらえるかな?」
「あれまあ本当だ。こりゃあ派手に転けたんだねえ、リンゴちゃん」

 テルマさんと呼ばれたマダムはわたしが両手に抱えていたみっつのリンゴを見てはくすくすと笑いながら「こっちにお掛け」と促す。そして、美剣士さんは提示されたその場所にわたしをゆっくりと丁寧に下ろした。ありがとう、とお礼を言うと美剣士さん――リンクは、また柔らかい笑みを浮かべた。まだ出逢って間もないけれど、彼はすごく、やさく笑うことができる人なんだなあって思う。

 マダムもといテルマさんが救急箱を持ってきたタイミングで、リンクは奥の方でテーブルを囲んでいる数人のところへ歩み寄って行った。知り合いだったのかな、親しげに話すその姿をわたしはぼうっと眺めていた。

 それにしても、未だにこのはじめて来るような酒場でこうやって手当てされているのがなんだか信じられない。だって、リンゴが転がって、それを拾ってくれた人がいて、その人が派手に転んで怪我をしたわたしをお姫様抱っこでここまで運んでくれているんだよ?一気に押し寄せるイレギュラーな展開に、夢か現実か分からなくなってくる。まあ、この膝小僧の痛さは本物だから現実なんだろうけど……痛いもん、本当に痛いんだもん。

「中身も外見も男前だろ? あの子」

 すると、わたしの膝小僧から溢れる血を丁寧に拭き取るテルマさんが突然そんなことを言い出した。…男前。わたしはリンクの方を一度見てから、テルマさんの方へ向いた。自然と表情が緩んだのをわたしは自覚する。

「とっても」
「だろ?」
「はい」
「それにしてもアンタ、どうしてこんな派手に転んだのさ」

 消毒液が傷の部分にべちっ!とつけられた瞬間、「いっ!」と声が出てしまうくらいの痛みに襲われる。も、もうちょっと優しくしてー! なんて叫びは心の中でなんとか留めつつ、唇を噛んでなんとか我慢した。一気に冷や汗がたらりと額から流れてきた。
 そして、先ほどのテルマさんの問いかけを思い出しながら、わたしはリンゴを買ってからの経緯を頭に思い浮かべた。うむ、わたしのドジっぷり全開話のお披露目だ。

「平和だなーって空を見ていたら、紙袋に入っていたリンゴが地面に落ちてしまって、運悪くそこは坂道で」
「間抜けだねぇ」
「わたしの家、あまりお金がないから。奮発して買ったリンゴを見過ごすなんて出来なくて。追いかけたんです!」
「それで、転けたのか」
「はい。もう、ずっでーーんと派手に」
「痛かっただろ?」
「泣いちゃいました」

 わたしの言葉を聞いて、テルマさんはハハハ!と大きく笑い声をあげた。真っ白な包帯が綺麗に膝小僧に巻かれていく。テルマさん、とっても器用だなあ。皺一つないんだもの。それに、すごく話を聞くのが上手だからもう心を開いて喋ってしまう。

「ただ、そのリンゴを捕まえてくれたのが……」
「リンクかい?」
「はい。それだけでわたしからしたら、救世主だって思っていたのに!」
「怪我してるのに気が付いて、ここまで連れてきてくれたんだね」
「そうなんです。なんて、素敵な人なんだろうって…本当にそう思いました」
「そんな人にお姫様抱っこで運ばれるんだから、嬉しくて仕方ないね?」
「なっ」
「いいねぇ、若いねぇ……」

 テルマさんはまた面白そうにげらげらと笑った。もう、と思いながらもわたしも満更ではなかった。だって、図星だったから。

「さては……もうリンクに惚れてるな?」
「俺がなんだって?」

 ニンマリと厭らしく口角を上げたテルマさんの言葉の後、すぐに聞こえたのはリンクの声だった。手当てを終えたのを見兼ねてリンクがこちらへやって来ていたようで、思わずびくりと肩を震えあげてしまった。い、いつの間に。 聞かれていなかったかなとドギマギしていたけれど、彼はちんぷんかんぷんといったような表情だったからとりあえずホッと胸を撫で下ろした。

「何でもないさ。ほら、彼女の手当ては終わったよ」
「ありがとう、テルマさん」
「ありがとうございます」

 腰掛けながらしっかりと頭を下げてお礼を言うと、テルマさんは「お安い御用さ」とその気前の良さを見せてくれた。すごく母性溢れる女の人って感じで憧れちゃうかも。わたしみたいな情けなくてドジで間抜けとは大違い。わたしもこんな人みたいになれたらなあなんて考えていると、テルマさんが思い出したように「そうだ」と掌をぽんと叩いた。

「そういやアンタ、名前聞いてなかったね」
「本当だ」

 テルマさんとリンク、ふたりの視線がこちらへ突き刺さる。わたしも「確かに」と内心ぼやいた。名も知らぬのにここまで善意を向けてくれていたふたりに感謝しつつも、ようやく目の前にいる人たちに自己紹介をした。

「わたしは、エマっていいます」
「……エマ。俺は、」
「リンク」
「なんで……って、そうか。テルマさんが俺のこと呼んでたか」
「ふふっ、うん」

 お互いどちらからともなく可笑しくなって笑い合う。今日はじめて出逢ったのに、とても居心地が良いのはどうしてだろう。なんて、理由は分かりきっていることだけれど。リンクは頭をぽりぽりと掻いたそのとき、へんてこな帽子をついでに脱いだ。とっても綺麗な金色の髪がカンテラの光に照らされる。

 すると、それまでずっと黙り込んでいたテルマさんが「エマって、アンタのことだったのかい」と笑いながら言った。はて?

「クスリ屋の一人娘だろう」
「えっ……どうして」
「アンタ、有名なんだよ」

 間抜けでドジな女の子ってね。テルマさんは楽しそうにけらけら笑いながらそう言った。いや、えっ? わたしからすればとんでもない衝撃的な事実だ。有名ってどういうこと? しかも間抜けでドジな女の子? 全く良い印象がないじゃない! けれど、どことなくそういう覚えがある気はした。そう、今日だって派手に転んだわたしを見てひそひそと話していたあの主婦たちとか。 「あの子って……」と言っていた気がするし。 他にも「うわあ、本当にドジなのね」って事実を確認するみたいにわたしのことを見ていた人もいた。そうか。それはつまり、そういうことだったのか。わたしは大きく肩を下げた。

「ドジは認めますけどう……なんか、それで有名って良い気はしないです」
「フフッ。でも良かったじゃないか、男前のリンクに助けてもらえたんだから」
「えっ、俺?」
「もうー! テルマさん!」

 これ以上は言わせまいとわたしはその場でじたばたと暴れると、テルマさんはまた大きく笑った。うう、テルマさんって意地悪。すると、手当てしてもらったばかりの膝小僧が暴れた影響でぴりっと痛みが響いた。「……うっ、いたたた」眉根を寄せた表情を欠かさずみて、リンクが慌てて「大丈夫か?」と心配してくれる。ああもう、一体この人はどこまでやさしい人なんだろう。

「ほれ、まだ痛むんだろ。リンク、この子を家まで送ってやってくれないか」
「えっ! 大丈夫ですよ、」

 急いで立ち上がると、やっぱりまだ膝小僧くんが痛くてわたしはよろけてしまう。そしてやはりリンクに支えてもらうこととなった。うう、我ながら本当に情けない……。

 リンクは脱いでいたへんてこな帽子をかぶり直して、わたしをもう一度お姫様抱っこしようと膝裏に手を伸ばそうとしたけれどわたしは欠かさず断りを入れた。わたしの家は商店街を抜けて、広場の一角にある。そんなところを堂々とお姫様抱っこで通られるのは……きっと恥ずかしいどころではない。やんわりとその意向を伝えると、「そ、そうだな。ごめん」とひとつ謝ってわたしを軽々とおぶった。これもまた恥ずかしいけれど……わたしは歩けないし、こうしてもらうしか方法はないから我慢だ。うん、我慢我慢。

「それじゃあリンク、エマを頼んだよ」
「ああ」

 そういうなり、テルマさんはカウンターに一度戻ってから小さなバスケットをわたしに渡してくれた。そして、みっつの傷だらけのリンゴがそこに収まった。そういえば、せっかく八百屋のおじさんがくれた紙袋もリンゴと追いかけっこしているときに失くしてしまったなあ……なんて今更ながら思い出す。

「今度は落としちゃダメだよ」
「はい。ありがとうございます、テルマさん。またお礼に伺います」
「いいよいいよそんなの。普通にここへ顔を出してくれたらいいさ」

 最後まで気さくで優しい対応をしてくれたテルマさんに、頭を下げてお別れをした。そして、リンクにおぶられながら酒場を出た。





  

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