「――はい、はい。…ありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
……はい。落ち着いたら、改めてご連絡させて頂きますので。……はい。それでは、失礼します」

ポン、とスマホの画面をタップして通話を終える。助手席のシートにもたれ掛かると、少しだけ肩の荷が下りたようにほっと息が出てきた。
運転しながら至さんが「仕事先ですか?」と声を掛けてきた。

「はい。引っ越し作業が終わって落ち着くまで、一週間ほど休みをとっていいと言われました」
「それは良かった。これから忙しくなりますしね」
「そうですね。ホワイトな職場で本当に良かったです」
「あの、**さんは何のお仕事をされているんですか?」

後部座席から身を乗り出すように咲也くんが問いかける。ミラー越しに彼と目が合った。

「私、カフェで働いてるの。しがないカフェ店員」
「へえ…!今度、良かったら遊びに行ってもいいですか?」
「ええ、もちろん。今回、色々とお世話になったから、サービスするわ」
「ええ!?そ、そんな…オレは何も」
「これこれ、年上を立てることも若人の仕事の一つよ。いいから、素直にお礼されちゃって」
「え、えっと… はいっ」
「至さんも、機会があれば是非。お礼をさせてください」
「いいんですか?それじゃあ、お言葉に甘えて」

さっきまでの騒動が嘘のように、長閑な会話が車中で繰り広げられていた。
因みに、ハルは初めての人の車だと言うのに、緊張する様子もなく膝の上で丸まって寝ている。

我が子ながらのん気で可愛い姿に頬を緩ませながら、私たちはMANKAIカンパニーへの帰路を辿っていった。
時刻は既に19時を回ろうとしていた。





12.





「それじゃあ、俺は引っ越しの荷物をまとめなきゃいけないので、今日は一旦帰らせて頂きますね。監督さんにそうお伝えください」
「分かりました。今日は本当にありがとうございました」
「至さん、これからよろしくお願いします!」
「うん、よろしく。それじゃあ、また」

MANKAIカンパニーに着いて、私たちを車から降ろすと、至さんは引っ越しの準備の為に帰って行った。今日は時間を取らせてしまい、本当に申し訳ないことをした…。明日改めてお礼をしよう。
そう決意を固め、私たちは劇団寮の扉をくぐった。

「ただいま、帰りました!」
「お邪魔します」
「**さん、もう今日から此処は**さんの家でもあるんですから…ただいま、でいいんですよ?」
「ん?そっか……じゃあ、ただいま」
「はい、お帰りなさい!」

自分も今帰ったばかりだと言うのに、満面の笑顔で「おかえり」なんて言ってくれるこの良い子は誰だ……我らが太陽、佐久間咲也くんだ!!
思わずまたわしゃわしゃと頭を撫ぜくっていると、リビングの方からバタバタといくつかの足音が聞こえた。

「ぶへっ!?」
「……」

足音に反応して顔を上げ…る前に、勢いよく何かが抱き着いてきた。視界はほぼ真っ黒になって見えなかったが、清潔感ある香りが誰かを教えてくれた。

「ま、真澄くん?真澄くん、よね?」
「……」
「え、なして無言…?もしかして違った?ちょっまさか綴くんだった…あででで!?ちょっ何で力強くするの!?お、おばさんの脆い骨が折れる!!」
「まま真澄くん!**さんが苦しそうだよ!」

あ、やっぱり真澄くんだったんだ。咲也くんの慌てた声に反応して、少しだけ体を締め付ける腕の力が緩んだ。…弛んだだけで放してくれないんだけども。
――因みにさっきまで抱っこしていたハルは、途中のコンビニで買ったリードで一旦外に繋いでいる。室内犬だけど、入れていいか確認とってからにしようと思ったから。

「…心配した」
「うん?あ、ああ。ごめんね。ハルは無事だったわよ」
「…違う…。心配したのは、アンタ」
「? 私…?」
「そう。…アンタがあんなに困っていたのに、俺は何もできなかった。あのまま…アンタが戻らなかったらどうしようって思ったら、目の前が真っ暗になった」

真澄くんは絞り出すような声を出して、顔を上げないままぎゅう、と私に抱き着いてきた。まるで親元から離れていた子どものような甘え方に驚きながら、彼が私を心から心配してくれたのが伝わって思わず口元が弛んだ。

「心配してくれてありがとう。大丈夫、私はここにいるよ」

ぽんぽん、としがみついてくる背中をあやすように叩く。すると、彼の背中越しから数人の影が見えた。

「**先輩!おかえりなさいっ。」
「大丈夫でしたか?大変な目に合っちゃいましたね〜」
「いづみも支配人も…皆にも、心配かけてごめんなさい。ハルは無事だったわ。家は跡形もなかったけど」
「そ、そう言われると…何て返しゃいいのか困りますよ」
「**もサクヤもおかえりダヨー。」
「……誰、このイケメン」
「オーノー!**、もう旦那のツラ忘れたノ?シトロンダヨ〜!」
「いや、だから旦那になった覚えは…。って言うか、シトロンさんなんですか!?」

「そうダヨ〜」と朗らかに笑うのは、昼間覆面で顔を覆っていたシトロンさんだった。まさか覆面の下にこんな甘いマスクが隠れていたなんて…。
呆気に取られながらも外から聞こえてきた鳴き声で我に返った。

「あ、伊助さん。咲也くんからペットのことを聞いてるかと思うんですが…ハル、室内犬でして。ご迷惑を承知で聞きたいんですが、中に入れることはできますか?」
「そうですね〜…。本来団員寮には動物や生き物等の持ち込みは禁止しているのですが…今回は急なことですしね。それに、**さんのペットは暫く室内犬として躾をされていると思いますので、大丈夫でしょう。今回は特別に許可します!」
「ありがとうございます。それじゃ、外に繋いでいるので連れてきますね。真澄くん、ハルを連れてこなきゃだから、ちょっと離れてくれる?」
「…分かった」

「亀吉はオッケーなのか…?」と綴くんのツッコミのような独り言を聞きながら、外で待っていたハルを連れて中に入る。
抱き上げて中に入ると、数人は目をキラキラ輝かせた。

「わーお!とってもキュートな綿毛ネ〜!」
「いや、綿毛っぽい毛並みだけど、違うっすからねシトロンさん!?」
「犬と並ぶと更に可愛い……え、可愛い。やばい」
「これ…ポメラニアンですか?大人しい子ですね〜!亀吉とも友だちになれそうです!」
「もうご存じでしょうが、名前はハルって言います。伊助さんの言う通り、犬種はポメラニアンです。基本的に人懐っこいので、害はないと思います。」

これだけの大人数に囲まれてどうなるかと思ったけど、ハルは尻尾を振ってきょろきょろしている。
「かわいいネ〜!お手玉できるカナ?」「お手、ですよね?オレも撫でたいです!」と特に目を輝かせる咲也くんとシトロンさんに嬉しそうに撫でられている。これなら慣れるのも早いだろう。

「あ、いづみ。至さんなんだけど、引っ越しの準備をするから今日は一旦帰ったわ。明日から稽古に参加するから伝えておいてって。はい、これ至さんの連絡先」
「分かりました。先輩たちは、帰ってくるまでにご飯は食べました?」
「途中コンビニに寄っておにぎりとか食べたから、私は大丈夫。咲也くんはまだ足りないだろうから、何か食べさせてあげてほしいんだけど…」
「大丈夫です!昼間に作ったカレーが残っているので、それを温めますねっ」

そうしてもらえると助かる。いづみにお礼を言うと、「**さん」と伊助さんから声を掛けられた。

「**さんの部屋を、監督と相談して決めたんです。**さんには一階の元倉庫だったお部屋を使ってもらおうと思って、片付けておきました!」
「えっ?でも、寮は基本的に二人部屋なんですよね?私が一人で部屋を使うような形になってもいいんですか…?」
「最初は、私と先輩で二人部屋にしようかと思ったんです。でも、元々私の部屋は父が使っていた所でそれほど広くなくて…。ハルちゃんにもストレスかかっちゃうかもしれないので、先輩は一人部屋の方がいいかと思います」
「な、なんか…本当に色々と気を遣わせちゃって、ごめんなさい…。」

有難い気遣いに頭が上がらない。二人に頭を下げると、いづみも伊助さんも「気にしないでください」と笑ってくれた。優しすぎる世界…涙でそ。

「先輩。これから皆で来月の公演の演目を決めるミーティングをしようかと思うんですけど、先輩も参加されますか?」
「うーん…それって、参加してないと支障をきたすかしら?」
「そうですね…大事なテーマ決めですけど、先輩の場合作曲担当なので、今日の話し合いには参加していなくても後でお伝えできますよ。」
「じゃあ、今晩はお休みさせてもらってもいい?ハルと新しい部屋に慣れておきたいのもあるから」
「そうですよね。大変なことがあって疲れているでしょうし、今日は休んだ方がよろしいかと。それじゃ、僕がお部屋まで案内しますよ!」
「お願いします。…あ、いづみ。もし良かったら今晩だけ寝間着借りてもいい?」
「もちろんです!後で部屋まで持っていきますね」
「ありがとう」

いづみ達と話を付けて、可愛がってくれている咲也くん達には申し訳ないけど、ハルを預からせてもらい、春組の皆に今日は休ませてもらうことを伝えた。

「参加、しないの…?じゃあ、俺もアンタと一緒に寝る」
「何言ってるの真澄くん!!きみはこれからミーティング!そもそも駄目だから!!」
「ま、そうっすよね。今日は疲れたでしょうし、早く休んだほうがいいでしょ」
「ごめんね。また明日から参加させてもらうから…。咲也くん、今日は本当にありがとう」
「いえ!**さんとこれから一緒にできるのが楽しみです!ゆっくり休んでくださいね」
「おやすみダヨ。」

皆に見送られ(いづみと真澄くんは最後まで言い合ってたけど)、私は伊助さんとハルと一緒に中庭へと向かって行った。
中庭はそれほど離れていなくて、私の部屋はすぐに辿り着いた。

「此処が、今日から**さんとハルちゃんのお部屋です。」

ガチャリ、と鍵を開けてもらい中を覗く。元々倉庫に使われていたということもあって、中は思ったよりも広かった。

「**さんが来られると言う連絡が来てから急きょ片付けたので、まだ整理しきれてなくて申し訳ないんですけど…。とりあえず、今日寝る場所は確保しておきました。生活に必要な日用品は、明日買い物に行かれてはどうでしょう?」
「ええ、そうさせてもらいます。急なことだったのに…此処までしてもらってすみません。」
「いえいえ〜!**さんは我が劇団の大切な一員ですからっ。これぐらい当然です!」

「ありがとうございます。…あの、伊助さん、ついでにお願いしたいことがあるんですけど」
「はい、何でしょう?」
「いづみにもお願いしてるんですけど…歴代の演劇曲がどのような感じだったのか雰囲気を知りたいんです。過去の資料映像や、曲の譜面とかあれば助かるんですけど…そういうものってありますか?」
「ああ、なるほど!そう言うことでしたら、昨日の夜皆さんに見せた初代のビデオがありますよ。譜面の方は前に倉庫で見かけた記憶があるので…また探しておきますね」
「助かります!何から何まで、すみません」
「いやー、そんな。僕に出来ることは、こんなことしかありませんので…はは」

今まで明るかった彼が、急に声を落としてそう言った。自分の力量に自信がないのだろうか?
伊助さんの自分を卑下するような言い方に、私は首を横に振った。

「何を言うんですか。伊助さんやいづみが裏方でフォローをしてくれるからこそ、劇団員たちが舞台で華やかに魅せることができるんですから。」
「そ、そうですかね…?」
「そうですよ。支配人には支配人にしかできないことがたくさんあるんですから…自信持ってください」

伊助さんは恐らく、人の前に立って引っ張るリーダータイプではない。けれど、裏に回って皆を支える陰の功労者となれる人だ。
飄々とした雰囲気はムードメーカーにもなり、人を褒めたり心配できる性格が裏でフォローするのが上手い為人を表している。ただ、空回りが多くて人から評価をされることに慣れてないんだろう。
その証拠に、私の言葉に照れ臭そうに目を泳がせている。

「ははっ。なんか…褒められることがあまりないので、変な感じです」
「これから劇団員も増えて、人も増えます。そうしたら伊助さんの頑張りを認めてくれる人も増えますよ。私も、伊助さんに頼っている一人です。これからMANKAIカンパニーのこと、色々と教えてくださいね!」
「…はい!お任せください!――それじゃあ、僕は歴代の譜面などを探してきますので。ゆっくり休んでくださいね」
「ありがとうございます。おやすみなさい」

伊助さんは頭を下げると、軽やかな足取りで本館へと戻って行った。彼の姿を見送ってから、ハルと一緒に新しい我が家に入る。
さて…明日から生活に必要なものを買いに行かなきゃならない…。
ハルの餌は途中のコンビニで買ってきたものの、居住スペースも必要だ。必要な物やこれからのことを考えて、一つ大事なことを思い出した。

「あっ、そうだ。暫くミュカロ活動できないことをお報せしとかないと。インステで呟くかな…」

スマホからインステを開き、自分のアカウントを開く。落ち着いて考えれば、機材も全部燃えちゃったんだ……嗚呼、これは暫く活動復帰が難しそうだ…私の癒しが……。
内心落ち込みながら手元は止めず、簡素ではあるが現状報告をポストする。投稿してからそんなに時間を経たずして、ポコンと通知音が鳴った。

「ん…あ。たるちさんだ。すごい…反応早いな」

リプの通知を見ると、見慣れたユーザーのアイコンが出てきた。内容は「活動休止は寂しいですが、cosmosさんが元気に復活される日を応援しながら楽しみに待っています。」というものだった。
この人は私がミュクロPとして活動を始めた時からずっと応援してくれている。アカウントを拝見させてもらったが、私とは違って物凄い桁のフォロワーを持っている、所謂実況プレイヤーの有名人だった。そんな凄い人が応援してくれるとは…有難いことだ。
温かいコメントにじんわりと胸が温かくなり、いつもはあまり送らない返信を打ち込む。ついでに“ええな”もしとこう。ありがとうの気持ちを込めて。

返信を打ち終わり、背中から布団に倒れる。腕を伸ばすと、今日一日の疲れがどっと出てきた。

「…はあ…。ほんと、この短期間で色々起きたなァ……」

劇団に入り、作曲家になり、家が火事になって新しい家ができて……。
まるで漫画の主人公にでもなったかのようなドタバタっぷりに、思い出したら笑えてきた。

明日から、ここでの新生活が本格的にスタートする。どんな生活が繰り広げられているか、不安と期待で胸が躍る。
明日の予定を考えながら天井を見ている内に、どんどん瞼が落ちていく。いづみが着替えを持ってきてくれるから、起きてないといけないのに…。

そう思っても、瞼は自然と降りていき、いつの間にか私はハルと一緒に眠りに落ちていた。

こうして、MANKAIカンパニーでの最初の夜が更けていった。

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