「――えっ?綴くんの脚本が、完成した?」

PCと睨みあっていた私のところに、いづみがやってきて開口一番その報告を告げた。
脚本の期限が今日で丁度一週間だった為心配していたけど…完成できたんだ。いづみの口から聞いた結果に、自然と胸を撫で下ろす。

脚本家になるのが夢と言っていた彼の気持ちを考えると、期限切れという理由で諦めさせる結果にならなくてよかったと心底思う。

「今、皆で脚本を確認して、配役も当ててきたところなんです。**先輩にも脚本を確認してもらう為に持ってきました!」

いづみが手渡してくれた冊子を受け取り、ざっと目を通す。
前に聞いていた通り、内容はロミオとジュリアスを少しアレンジした友情物語だった。

「主役のロミオが咲也くん、ジュリアスが真澄くん、マキューシオが綴くん、ティボルトが至さん、ロレンス神父がシトロンさんです」
「成程…。内容は今晩じっくり読んでおこうと思うけど、ざっと見ただけでもかなりの量ね…よく一週間で仕上げられたわね」
「はい!綴くんに任せる選択をしてよかったです。これで明日から早速稽古に取り組めます」
「うん。時間も限られているし、早々に取り組んでいかなくちゃね」

ちらり、と時計を見ると、時刻はもう就寝時間に差し掛かっていた。

「私の仕事も、もうそろそろ始まるわ。明日は半日出勤だから、午後から帰宅して作曲の準備に入ろうと思うの。」
「そっか…。**先輩も、これからが忙しくなりますね」
「それでね?劇の雰囲気を知ればもっと舞台に合ったイメージの曲が作れるんじゃないかと思って…良かったら、明日の稽古から私も見学させてもらってもいい?」
「もちろんです!実際に見てもらったほうが、全体の雰囲気も掴みやすいと思います」
「ええ。ありがとう」

「それじゃ、私は至さんに台本を渡してきますね」
「…? 至さん、脚本の確認の時いなかったの?」
「うーん、それが体調悪いみたいで…。今日は稽古もお休みするって」

至さん、具合でも悪いんだろうか。
先日、近々ハマっているゲームのイベントがくるので忙しくなる…みたいなことを言っていた筈なんだけど…。

「環境の変化で体調が崩れたのかもしれないわね。また私も様子を気にかけておくわ。いづみもお疲れ様、早く休んでね」
「ありがとうございます!**先輩もゆっくり休んでくださいね」
「ありがとう。おやすみなさい」

挨拶を交わし、扉を閉める。部屋に戻ると、さっそくもらった脚本に目を向ける。
明日の準備を簡単に済ませ、私は台本をじっくりと読みふけった。





18.





翌日。
私は始発の電車に乗る為、誰とも顔を合わさないまま朝早くにMANKAI寮を出発した。
迷惑をかけた職場の方たちにお詫びとお礼の品を渡し、一人ひとりに頭を下げて回る為である。
小規模のカフェなのでそれ程人はいないが、ご迷惑をかけたことを全員に挨拶したかった。

「急なこととは言え、今回はご迷惑をお掛けして本当にすみませんでしたっ」
「**ちゃん、気の毒だったわねえ。お家、燃えちゃったんですって?」
「何か困ったことがあったら、いつでも言って来いよ」
「…はい。ありがとうございます!」

店長を始め、店員の人たちだけでなく、常連のお客さんからも励ましの言葉を頂いた。優しい人たちの温かい親切心に心から感動した。ありがとう。
あっという間に午前が終わり、店長の気遣いで私は早退させてもらうことになった。

「店長、すみません…。何かと気を遣ってもらって」
「ああ、気にするな。ゆっくりと新しい環境に慣れてこい!終わったらまた色々と助けてもらうからなっ」
「はい、もちろんです。それじゃあ、お先に失礼します」
「おう。お疲れー」

気さくな店長に見送られ、店を後にする。
それから電車に乗って数十分後、天鵞絨駅に着いた。正午というだけあって、まだ日は高い。暖かい春の日差しを浴びながら帰宅するのは、ちょっとした優越感に浸れるものがあった。

「折角だし、少し散歩して帰ろうかしら」

いつもと違う光景を見たら、何かいい作曲のヒントを掴めるかもしれない……と、自分に甘い言い訳をつけて、今日は公園周りを歩くことにした。
平日なだけあって、公園近辺の一通りはほぼない。一人で公園を独占したような気分になって、ルンルンで歩いていた時――

「……?」

中央付近のベンチに、何かがもたれ掛かっていた。後ろ側からだったので、ベンチ越しから見えるツンツンしたものが人の頭だと認識させる。
やけに静かだ…お昼寝中だろうか? 気持ちよく寝ているのなら邪魔してはいけない、と静かに横を通り過ぎようとした。

けれど、近づくにつれて様子がおかしいことに気が付く。
傍を通りがかった時、少し唸るような声が聞こえ、思わずちらり、とのぞき込み…驚いた。

「――え…っ? ちょっ、きみ、大丈夫!?」

覗き込んだ相手は、高校生ぐらいの男の子だった。
平日なのに学校は?という疑問は、彼の青く腫れた顔や口の端に滲む血を見て吹き飛んだ。明らかにちょっとできた傷ではないそれに、思わず私は声をかけた。
私の声が聞こえたようで、目を閉じていた男の子の瞳がゆっくりと開く。

「…っ、大したこと、ないっす…」
「え、ええ…?で、でも、口から血が出てるわよ?顔も腫れてるし…」
「これぐらい、すぐに治る…」
「そ、そうだとしても、念のため病院に行ったほうがいいんじゃない?もし一人で歩くのが無理なら、連れて行こうか?」
「っ俺に関わるな」

ギロリ、と音がつきそうな程の剣幕で睨まれ、思わず伸ばそうとしていた手を引っ込める。病院に行くのは嫌なのかしら…。彼はまた目を閉じると、眉間に皺を寄せた。

…明らかに大丈夫じゃない。痛みに耐えているんだろう。
若い子は回復が早いとは言え、若いからこそ何かあってからでは遅い。でも、嫌がるのを無理やり引っ張っていくことは出来ないし…どうしたことか……。

「……ちょっと、待ってて」

男の子に一言だけ声を掛け、私はその場から駆け出した。
そのまま公園の出口近くにあるコンビニに入り、飲み物コーナーで冷たいポカリと絆創膏と湿布を買う。
「ありがとうございましたー」と覇気のない店員の声を背に、私は小走りでさっきの場所へと戻る。

もしかしてどこかに行ってるかと思ったけど、男の子はさっきと変わらずにベンチに凭れ掛かっていた。
私が戻ってきたのに気づくと、またしても鋭い目つきで見てきた。
…そんな睨まんでも。怖いわ。

「…なんだ」
「これ。絆創膏と湿布と、あと水分摂れるようにポカリも入ってるから」
「……? は…?」
「いや、お節介だとは思うんだけど…怪我してる若者見て放置するのも気が引けるから。病院行くの嫌そうだし、せめてこれぐらいさせてもらえないかしら?」

そう言うと男の子は今まで鋭くさせていた目を大きく開いた。
驚いた表情を見ると一気に幼さが増し、年相応な姿をようやく見られたことに少し肩の力が抜けた。
袋を差し出すと、男の子は少し黙ってビニール袋を見た後、おずおずと受け取った。

袋の中から絆創膏を取り、患部に貼ろうと腕を持ち上げてぐっと眉間に皺が寄った。
…やっぱり相当痛いんだな。
結局もたついて絆創膏は変にくっつきあってくしゃくしゃになった。
私は男の子が持つビニール袋から絆創膏を一つ拝借すると、包装を破って彼と目を合わせる。

「顔の傷に貼ってもいい?」
「……っす」

これまた以外にも素直に了承がもらえた。男の子の整った顔に手を伸ばし、一番酷い口から顎にかけての部位に絆創膏を貼る。
それから両手の指や手の平にできた傷にも貼っていき(流石に手は自分じゃ貼れないだろうから)、何とか外傷の酷い部分は保護することができた。
最後に湿布を取り出して大きく腫れている頬に貼る。一瞬湿布の冷たさに驚いていたが、腫れた患部に効いてきたのか表情が少し和らいだのが見えた。
私が出来るのはここまでだろう。

「……あの…」
「ん?」
「………あざっした」
「え? ああ、気にしないで。寧ろ、知らない人からのお節介を聞いてくれてありがとう。」

先ほどまで睨んできていたのが嘘のように、男の子は素直に頭を下げてきた。
義理人情に篤い子なんだろうなァ。今どきの子にしては珍しい良い子だ、と内心癒されながら時計を見る。

「私、そろそろ行くけど、一人で帰れそう?あれだったらタクシーでも呼ぼうか?」
「いや、大丈夫っす。少し休んだら、自分で帰れます」
「そう? じゃあ、無理しないでね。それじゃ」
「…っす」

立ち上がって男の子に声を掛けると、男の子は私と目を合わせてからぺこりと再び頭を下げた。
怪我人を置いていくのは気が引けるけど…これ以上介入し過ぎても悪いだろう。
私は公園の出口に向かいながら、男の子が無事に家に帰れることを願った。



-------



「それでは、今日からいよいよ読み合わせを始めます。みんな、脚本は読んできたよね?」
「はい!宜しくお願いします!」

夕方。春組メンバーが全員帰宅し、早めの稽古が始まった。
皆が台本を手に持って並んでいるのを見ると、本当にこれから演劇が始まるんだ…と改めて実感させられた。

「あれ?今日は**さんも稽古に参加するんすか?」
「ええ。皆の稽古風景から、舞台の雰囲気とか掴めると思って。今日から作曲作業の為にちょこちょこと見学させてもらうから、よろしくね」
「アンタに見てもらえるなら、何時間でも稽古する」
「オー…ワタシの台詞5つしかなかったヨー。**にいい所見せられる場面少ないネ」

それぞれの反応を聞きながら、支配人から貰った予備のノートパソコンを広げる。
視界の隅で、至さんがいづみに寄って行ったのが見えた。

「監督さん。昨日は台本届けてくれてありがとう。寝ぼけてたんだけど、変なことしなかったかな?」
「い、いえ!大丈夫です」
「…?」

にこやかにお礼を言う至さんに、いづみがギクッと肩を強張らせたのが見えた。見るからに汗だらだらだけど…何かあった?
それに、至さん稽古に参加できると言うことは体調良くなったのかしら。

彼の体調の変化を観察すべくじっ…と見ていると、視線に気づいたのか至さんがこっちを見た。
かと思うとにっこりと笑みを浮かべて手をひらひらと振ってきた。何で?と思ったけど、反射的に手を振り返す。

「…ちょっと。何急に馴れ馴れしくしてんの」
「ん?別に急じゃないよ。この間一緒にデートだってしたし、**ちゃんとは元々仲良くしてたけど?」
「…うざい…」
「ま、真澄くん。これから一緒に稽古するんだし、仲良くしよう?ね?」

真澄くんと至さんの間でバチバチと火花が飛んだように見えた。
仲介に入る咲也くんも大変だなあ…。他人事のように見て、私は立ち上がったPCに目を向ける。
いづみの合図と共に、いよいよ春組の稽古がスタートした。




(これは……稽古以前の問題、だな…)

空気が悪い。一言で説明するならそれだ。
自分の台詞を完璧に暗記してすらすらと言える真澄くん。対して咲也くん、綴くんは台詞がつっかえつっかえになって通しが上手くできず、それに真澄くんが棘のある指摘をして空気が悪くなる…と言う悪循環が繰り広げられていた。
シトロンさん、至さんは読むことが出来ている。けれど、全員が未経験者と言うこともあり、通し稽古だけでも苦難の連続だ。

「ご、ごめん…。俺が足を引っ張ってるよね」
「真澄、和を乱すなよ」
「アンタらと同じように下手になれってこと?」
「そういうことじゃねえだろ」

また真澄くんが突っかかって、綴くんが神経を鋭くさせる。咲也くんもミスが続くあまり、更に萎縮して声が出なくなっている。
これは、良くない状況なんじゃないか…。
いづみも気づいたのか、「少し休憩にしよう」と一旦場を切り替えることにした。

「ごめん、まだ本調子じゃないから、俺はこれで早退させてもらってもいいかな」
「え? あ、はい…」
「ごめんね」

至さんが一言謝って稽古場から退室していった。
至さん、今日見る限り、そんなに顔色は悪くなさそうだったような気がしたけど…?
彼の言動に不思議がっていると、いづみが「先輩」と小さな声で呼んできた。

「どうしたの?」
「昨晩…至さんの部屋に行ったら、ゲームに熱中していたんです。」
「え? 体調が悪かったんじゃないの?」
「そうだと思ったんですけど…」

言いづらそうにもごもごとしているいづみを見て、至さんの早退が体調不良によるものではないんじゃないかと言いたいことを察した。
確かに、彼がゲームのイベントが近いことを言って楽しみにしていたことを私も知っている。
もし私たちが想像している予想が当たっていたとしたら…それは、幾らなんでも無責任なんじゃ……

ちらり、と稽古場を見渡す。
全員が距離を離して休憩している光景に、結束力以前の問題を感じた。

(…幸先悪いわね)

春組の旗揚げ公演まで残り数週間。
果たしてどうなるのか…。一寸先は闇状態に、私は無意識にため息が零れた。


prev next

 


 top