07.
もうとっぷりと日は暮れ、辺りは暗くなっていた。
今日やることは一旦終えたから、そろそろ皆は団員寮に帰るようで。
「それではっ、早速団員寮にご案内しますね〜!」
まるでツアーのガイドさんのようなノリで支配人が先頭を歩いていく。
その言葉に弾かれ、皆がぞろぞろと移動し始めた。…おっと、その前に。
「いづみ。私の配属とかは明日考える感じでいい?」
「え?あ、はい!**先輩、今更ですけど…巻き込んじゃってすみません」
「いいのよ、そんな。ところで、明日は何時から活動始めるの?」
「公演まで時間があまりないので…7時くらいからにしようかと」
「そっか。私は家のことを済ませてから出なきゃいけないから、少し遅れて行くわね。それじゃあ、また明日」
「……へ? ええっ!?せ、先輩、今から帰るんですか!?」
いづみに手を振って別れようとしたら、酷く驚いた声を出された。
え…寧ろ、何で帰らないと思ったの?
07.
「いやまあ…ほら、家のことも放ったらかしてる状態だし、そろそろ帰らないと」
「アンタ、寮に住んでるんじゃないの?」
「あ、それ俺も思った。**さん家持ちなんすか?」
いづみの大声に気づいた男性陣がぞろぞろと戻ってきた。いや、戻ってこなくていいのに……そのままいづみ連れて寮に帰ってくれた方が助かるんだけど。
「私マンションで一人暮らししてるの。だから帰らなくちゃ」
「アンタが行くなら、俺も行く」
「いやいやいや……いくら何でもそれは無理だわ」
「でも…もう暗いですし、今から帰るのは危ないですよ?」
「咲也くんの言う通りです!先輩、もう今日は寮に泊まって行ったらどうですかっ?」
キラキラした目でいづみが私の腕を引っ張ってくる。後ろを見れば、同じく“じーっ”とこちらに無言の『帰るな』アピールをしている真澄くんが見えた。
可愛い後輩のお願いは聞いてあげたいけど、私は苦笑いを溢す。
「そうしたいのは山々だけど…家でハルがお腹を空かせて待ってるから。帰らないと」
「ハル…?誰っすか、それ?」
「…まさか……子持ち…?」
「違うわよ。家で飼っている犬の名前。どうして真澄くんがこの世の終わりみたいな顔してるの…」
子どもの名前と勘違いしたのか、真澄くんは顔を真っ青にして一歩後ずさった。犬の名前と聞いたら「何だ…寝取りにならなくて良かった」と恐ろしい言葉を吐きながら胸を撫でおろしていた。
彼の言葉はスルーして、腕時計を確認する。もうそろそろ駅に向かわないと、ハルが心配だ。
「ま。明日になったらまた来るから。それじゃ、皆おやすみなさい」
「あっ、ちょっ待って!」
頭を下げてお別れをしようとした矢先、慌てた声を出して綴くんが駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
「いや、流石にこの時間一人で帰らすのは心配なんで…。せめて、駅まで送らせてください」
「あ!じゃあオレもっ」
「俺も行く」
「そ、そんな大勢来られても…」
流石に困るんだけどなァ。有難い申し出だけど、どうしたものか。
困っていると、見かねたいづみ監督が「もうっ」と怒ってこちらへ歩いてきた。
「**先輩を一人にするのは確かに怖いから、綴くん行ってきてあげてくれる?咲也くんと真澄くんは、私と支配人と一緒に団員寮に先に帰ってよう」
「了解っす!」
「俺は**と一秒でも一緒にいたい…」
「きみが一番目を離すと危ないの!それに、もうこんな時間だからお腹も空いてるでしょ。育ち盛りの男の子なら、ちゃんとご飯食べないとっ」
「それは綴くんもなんじゃ…」
いいのかな。ちらり、と長身の彼に目をやると、彼は汲み取ってくれたようで「俺は帰ってから食べるんで。大丈夫っす」とイケメンな台詞をくれた。
好意を有難く受け取り、あまり遅くなっては申し訳ないから、綴くんと一緒に駅に向かうことにした。
「それじゃ、綴くんを少しお借りします。皆、おやすみなさい」
「先輩、おやすみなさい!綴くん、よろしくね」
「**さん!今日はありがとうございましたっ。明日からよろしくお願いします!」
「今夜、夢の中で待ってるから…会いに来て」
「明日から一緒にMANKAIカンパニーを復興していきましょうね〜!!」
皆から見送られ(一部妙なものが混ざっていたけど)、私は綴くんと一緒に駅に向かって歩き出した。
ビロードウェイは街灯で道が照らされているが、昼間の賑わい具合からすると寂しいものがあった。この道を一人で帰ることにならなくて良かったかもしれない…。
「綴くん、本当にごめんね。お腹空いてるでしょうに、わざわざ送ってもらっちゃって…」
「いやあ、女の人を一人で夜道歩かせる方が申し訳なくなるっつーか…。兎に角、気にしないでください」
「……何を食べたらそんなに身長も伸びて中身がイケメンに育つの」
「い、イケメンって…んな大げさな」
綴くんは照れてほんのりと赤くなった頬をぽりぽりと掻いた。彼の気遣いに“じーん…”と感動に浸っていると、思い出したように綴くんが「あ」と声を漏らす。
「そう言えば、**さんは明日からなんの役職に就くんすかね?」
「うーん……何だろうねェ」
「確か、演劇経験がないんですよね?」
「ええ。演劇どころか、劇団に携わったことすらないわよ」
知識も経験もゼロのド素人MAXな自分を入団させるメリットってあるのだろうか…。うわあ、自分で思って悲しくなってきた。
今更ながら自分の無能っぷりに遠い目をしていると、綴くんが足を止めた。突然のことだったので、私は彼の2,3歩先に進んでから気づいた。
「? 綴くん、どうしたの?」
「……あの…本当に良かったんですか?」
「え?」
「多分、**さんが入団の件を受け入れたのって、監督さんのためっすよね?その…誰かの為に自分の身を犠牲にするって言い方は大げさかもしんないんすけど……。」
振り返ると、眉を垂れ下げて言いにくそうに口をもごもごさせている綴くんがいた。突然の話題に一瞬頭が追いつかなかったけど、彼の言葉を飲み込んで理解した。恐らく、私もいづみも流されるように劇団に入れられたことに、彼は少なからず不安を抱いているのだろう。これほど人のことを心配できるとは……。
「綴くん、きみ弟か妹いるでしょ?」
「え!?え、ええ。いますけど……よく分かったっすね?」
「ふふ。人のことを心配できるのは、よっぽどのお人好しか世話好きか。綴くんの場合は両方かもね」
「……何か、俺馬鹿にされてます?」
むすっと不貞腐れたような顔になった綴くんに思わず笑ってしまいそうになった。こういうところは年相応な男の子という感じがする。
「まさか!綴くんは人のことを心配できる優しい人なんだなって、改めて思ったのよ。だから、今回の入団の件も受け入れて良かったって思ってる」
「? どういうことっすか?」
「いづみはお父さんの為に、私はいづみの為に劇団に入ったのが大きな理由だと思う。自分がやりたくて、って言う理由じゃなくて入団したから…勿論多少の不安はあったわ。」
春先とは言え、まだ残冬の風が微かに肌を撫でる。少し肌寒さを感じながら、私は綴くんの綺麗な目を見たまま言葉を続けた。
「でも、MANKAIカンパニーの人たちは、どの人も優しくていい人ばかりだから…“この人たちとなら大丈夫かも”って思えたの。不確かなものだったけど、今の綴くんの優しさで確証が持てたわ。綴くん達となら、安心して仲間になれる。だから…自分が選んだ答えに、後悔なんてしてないよ」
「心配してくれて、ありがとう。」…と、私は私が思ったことを素直に言葉に乗せた。すると、さっきまで心配そうに垂れていた綴くんの目が大きく開かれ、ぱちぱちと瞬きをする。
暫く驚いて固まっていたが、彼は「ぷっ」と吹き出すと、小さく肩を揺らして笑いだした。
「な、何で笑うの…」
「っいえ!俺もよく単純って言われますけど…**さんも大概人が好過ぎるなあ、と思って…ははっ」
「ええ……それは褒められてるの?馬鹿にされてるの?後者だった場合、ちょっとむかつくから一発叩いてもいい?」
「いやいや、勘弁してくださいよ!ほ、ほらッ。早く駅に行かないと、終電乗り過ごしちゃいますよ!」
おっと、それはまずい。とりあえず、人が折角いい言葉を言ったのに笑ってきた綴くんへの制裁は保留にすることにした。
少し早歩きで再び駅に向かって歩き出すと、後ろにいた綴くんがすっと隣に並んだ。長身は足も長いからすぐに追いつく…羨ましい限りだ。
「何か…**さんがまだどこに配属されるか分かんないすけど、どんな役職でも安心して任せられそうっすね」
「ええ?私は不安で仕方ないわ…。かっこよく言ったものの、劇団については本当にド素人中のド素人だからなァ。足引っ張ったらどうしよう…うう、考えただけで胃が痛い」
「大丈夫ですよ!もし分からないことがあれば、俺が力になりますから」
「ま、マジでか…!?鬱陶しいくらい綴くんにひっついて聞きまくることにするわっ」
「あはは…そうまで言われると、ちょっと自信なくすな。――あ、駅に着きましたよ!」
綴くんの声に弾かれて顔を上げると、この町に降り立った時にお世話になった天鵞絨駅が目の前にあった。話をしている間に到着していたらしい。
昼間とは違い、人もほとんどいなくなっている。時刻を見ると、今日の便は片手で数えるほどしか残っていなかった。 家に帰れることにほっと胸を撫でおろし、私は綴くんに頭を下げた。
「綴くん、此処まで送ってくれてありがとう!お陰でスムーズに帰れそうだわ」
「こちらこそ。楽しい時間をありがとうございましたっ」
「………きみは天然たらし属性だな。一体そのテクで何人の女の子を誑かしてきたの?」
「た、たらし!?そそっそんなんじゃないっすよ!第一、俺あんまり女の子と付き合ったことないですし…」
「え、嘘!?もしかして綴くん、どどど童貞…!?」
「何てこと聞いてるんすかっ!!もうっ、早く電車乗ってください!便がなくなりますよ!」
「え!?そ、それは困るっ」
綴くんの童貞疑惑も気になる所だが、今はそんなことを言っている場合じゃなさそうだ。
慌てて鞄の中からICカードを取り出し、綴くんに顔だけ振り返った。
「それじゃあ綴くん、また明日ね!」
「あっ――は、はい!また明日」
手を振ってから改札口を渡り、渡ってからもう一度振り返って手を振ると、律儀に彼は手を振り返してくれた。
電車の進路方向を間違えないようしっかりと掲示板を確認し、私は階段を昇って行った。
私の姿が見えなくなるまで、綴くんはずっとそこで待っていてくれた。
「…変わった人だなァ」
と、小さく呟いてから、MANKAIカンパニーの団員寮に向かって歩き出した。
その時の彼の表情は、どこか明るかったようで
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