昨日は怒涛の勢いでMANKAIカンパニーの劇団入りを果たし、帰宅した直後、私は愛犬に餌を上げて癒しの抱擁をかますと死んだように眠ってしまっていた。思った以上に疲れが溜まっていたらしい。
けれど、目が覚めたのは想像以上に早く、午前中には家の用事を済ませて余裕を持って出られるぐらいの時間だった。
昨日の夜は肌寒かったが、今日は気温が暖かくなるらしい。お出かけ用のロングスカートとGジャンを引っ張り出し、簡単に化粧を施す。

「ハル、ごめんね。今日はもう少し早く帰れるようにするから、いい子で待っててね」

広めのゲージの中に入れられたハルが「くうん」と寂しそうな泣き声を溢す。その声に後ろめたい気持ちになるが、今日は私の役職を決める大切な約束をしている。
「ごめんよォ…すぐ帰るから」とたくさん撫でて、名残惜しさを胸に部屋を後にした。玄関のカギをしっかりと確認し、昨日利用したばかりの駅に向かって歩いた。




08.



昨日訪れたばかりなので、MANKAIカンパニーへの道のりは頭の中に鮮明と残っている。団員寮は劇場からすぐ近くにあり、地図がなくとも簡単に辿り着いた。
昨晩、いづみから「団員寮に着いたら連絡してください」と言われていたので、天鵞絨駅に着いた時にもうすぐ着くことを連絡しておいた。

「ここ…よね」

少し古いけど、しっかりとした造りの大きな建物を見つける。表には団員寮の名称が書かれた立て札があったから、間違いないはず。
間違いじゃありませんように…と、少しドキドキしながらインターホンを鳴らす。…すると、間もなく向こう側から物凄い騒音が鳴り響き、目の前の扉がバンッ!と勢いよく開いた。

「**先輩!おはようございますっ!」
「わっ」

扉と同じぐらいの勢いで飛び出してきたのは、可愛い私の後輩――いづみだった。勢いよくハグをしてくれたいづみを抱き留め、「おはよう」と返して背中をポンポン叩く。
すると、続くように扉の向こうから咲也くんがひょこっと顔を出してきた。

「**さん、おはようございます!」
「おはよう、咲也くん。…とは言っても、もうお昼だから“こんにちは”だね」
「あははっ、そうですね。もうお昼は食べました?」
「ううん。いづみから、お昼を一緒にしたいから抜いてきてほしいって頼まれてたから、まだ食べてないよ」
「そうなんですね!オレ達もこれから食べるところだったんで、一緒に食べましょうっ」

にこにこと可愛らしい笑顔でずっと話してくれる咲也くんに心の底から癒される。世界中に咲也くんの笑顔をネット中継で流せば、皆心が穏やかになって争い事もなくなるんじゃないかしら?
そんなしょうもないことを考えながら「先輩、上がりましょう!」とやけにご機嫌ないづみに手を引かれ、私は玄関を潜った。

…潜ったことをすぐに後悔した。

「…………あの…真澄くん… 何で玄関先で影背負って体育座りしてるの?」

玄関の前までは咲也くんの春のような温かいオーラに包まれていたのに、玄関を潜った瞬間お墓にでも来たのかと見間違うほどの暗いオーラが漂っていた。
その根源を辿ると…そこには滅茶苦茶暗いオーラを背負って体育座りしている真澄くんと、そんな真澄くんの肩を慰めるように叩いている綴くんがいた。
一体全体何があったんだろうか。私の視線に気づき、綴くんが言いにくそうに苦笑を漏らした。

「いやあ、実は……**さんが到着するって言うのを聞いてから、監督と真澄が『どっちが先に**さんを迎えるか』で言い争いになっちまって…。で、インターホンが鳴ったから、二人ともが競うように走って行ったんすけど、少し出遅れた真澄が出られなくて……こんな状態に」
「うん、なるほど。ものすごくどうでもいい理由だったわ」

と言うか、いづみも年下(しかも高校生)相手に何を大人げないことしているんだ。
そういう意味を込めて隣にいるいづみに目を向けると、いづみは素知らぬ顔でルンルンと笑っていた。…あんたの機嫌がいい理由、コレだったのか。
兎も角、このままだと中にすら入れない。これから色々と話し合いもしなくてはいけないだろうし…何とかしないと。
私は闇のオーラを背負っている真澄くんの傍に恐る恐る近寄った。ド至近距離だと負のオーラの圧が半端ないな…。

「ま、真澄くん?えーっと…お、お出迎えありがとね。嬉しかったよ」
「…アンタの一日の始まりに視界に入れないなんて、もう生きる価値もない」
「いや、重すぎるわ…。そもそも此処に来るまでにもう色んな人見てきてるから、どのみち一番とか無理でしょう」
「俺は夢の中でアンタと会えて、寝ても覚めてもアンタでいっぱいだったのに…アンタは誰でもいいんだ……」
「やめて。まるで私が軽い女みたいな言い方。誤解受けるわ」
「ねえ、此処に来るまで見たやつの顔教えて。俺が今すぐ息の根止めてくるから」
「やめろおおおお!!ちょっと落ち着け碓氷真澄!!何でそうスプラッタな方向に思考が働くの!?」
「アンタが此処に来るまでに見た人間を消せば、今日最初に会った人間を俺に上書きできるだろ?」
「このヤンデレ怖い!!誰か彼を止めて!!」
「**先輩の許可が下りるなら、私が真澄くんを止めます!」
「待てい、いづみ。その金属バット何処から持ってきたの。しかも止めるって息の根を止めるって意味じゃないからね?」

何で真昼間からリアルサスペンスを目の前で見なくちゃいけないんだ。そうならない為に、私はいづみの手から金属バットを奪い取った。
このままじゃ本当に埒が明かない。ずっと玄関先でこんな光景を見させられている咲也くんと綴くんにも申し訳が立たなくなる。悩みに悩んで、私はそっと真澄くんの横にしゃがんだ。

「えーっと…お、お腹空いたナ〜。私、真澄くんの隣で一緒に!いっ、しょ、に!ご飯を食べたいナー!」
「早くリビングに行こう」
「お前の切り替えの早さ凄いな!?寧ろ凄すぎて気持ち悪いっつの!」

すくっと立ち上がった真澄くんに綴くんの切れ切れなツッコミがさえわたる。
自分に向けて放たれたツッコミも無視して、彼はさっきまで落ち込んでいたのが嘘のようにすたすたと歩きだした。
や、やっと進める…。まだそんなに時間が経ってないのに、どっと疲れた。



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「**先輩。先輩の役職について、昨日ずっと考えてみたんです」

いづみ特性のスパイスから手作りされたカレーの匂いに包まれ、お腹の虫が素直に鳴いた。私も一緒に食卓に座らせてもらい、皆で「いただきます」とカレーを口にした時、いづみが話を切り出した。
…正直、空腹のお腹にカレーが染みわたっているところだからもう少しゆっくり食べたいけど。いづみの真剣な顔を見たら、そっとスプーンを置くしかなかった。

――因みに、私の隣にはぴったりと寄り添うぐらいの近さで真澄くんが座っている。カレーを食べている時もずっと隣から視線を感じてて「…真澄くん、冷めるよ?」と教えるも、「アンタへの熱は一生冷めない自信がある」とうっとりされた。…カレーのことを言ったんだけど。

「先輩はこれまで観劇経験はあっても、先輩自身が演劇の世界に関与することはありませんでしたよね?」
「んー…そうね。あったとしても昨日のストリートACTぐらい、かしら」

あれはお芝居に換算されるのか怪しいレベルだったけど…。その考えが顔に出ていたのか、咲也くんが身を乗り出した。

「オレ、**さんの演劇好きですよ!凄く声に張りがあって、聞いてるだけで勇気を貰えました!」
「あはは、褒め上手だねえ咲也くん。でもあれは演劇と言うより、演説に近かったわよ」
「どのみち、役者は男性しか無理だから、**先輩は役者の枠には入れられないんです。…それで…私から、**先輩にお願いしたい枠があるんですけど」
「? 私にお願いしたい枠って…?」

そもそもあの大根役者っぷりでは万に一つの可能性もないと思うけど。そう心の中で呟きながら、こちらの様子を窺うように見てくるいづみと目を合わせた。

「私…―――先輩に、作曲家になってもらいたいんです!」
「……へ、」

予想外すぎる専門枠に、思わず変な声が漏れた。
驚いたのは私だけじゃなく、話を聞いていた他の子達もだったようで

「**さん、曲作れるんすか?」
「えっ?ま、まあ…一応……?」
「本当ですか!?凄いですね!」
「で、でも…私のは個人的に趣味で作ってるものであって、舞台とかで使うようなものは一度も作ったことがなくて……」
「アンタの曲…聴いてみたい」

何も知らない三人がキラキラした目で見てくるが、私は内心困っていた。確かに私は趣味で作曲をしている。でもそれは『ミュージックロイド』と呼ばれる電子音声を音楽に合わせて歌わせているもので、ミュージカルや演劇とは程遠いジャンルだ。
いづみは、私がミュクロPとして活動していることを知っている数少ない人間の一人だ。演劇とはかけ離れたジャンルであるのに…それを知っていて、どうして私にその枠を当てはめるのか?
私のその疑問を感じ取ったようで、いづみが口を開く。

「私は…先輩が自由に作ってくれた曲があれば、もっと舞台が華やかになると思ったんです。何も型に当てはめることだけが重要じゃないと思うんです。今の廃れたMANKAIカンパニーを復活させるには、現代の特色を混ぜて舞台全体をグレードアップさせることが必要だと思います」
「そ、それにしたって…」
「……本当は、**先輩の生の演奏で舞台を彩れたら一番いいんですけど…。それは**先輩が一番嫌いますもんね?」

生演奏…。その言葉を聞くと、過去の嫌ーな思い出が脳裏に過ぎった。
いづみもそれは汲んでくれているようで、彼女に無言で苦笑いを返すと黙って頷いてくれた。

「あ、あのっ。**さんは何かの楽器が得意なんですか?」
「……得意って訳じゃないけど…。ピアノをね。昔少しやってた程度なの」
「今はもうやってないんすか?」
「や。やってないわけじゃないよ。趣味で曲を作る時、ちょこちょことはやってる。でも、人前で演奏できるようなものじゃないの」

私からの返答に、咲也くんと綴くんは「へえ」と感嘆のため息を零した。すぐ隣から無言で見続けてくる真澄くんの視線が痛い…。彼の目は何かを見透かされているようで、変にドキドキする。勿論ときめきじゃない。冷や冷やのほうだ。

…まあ、此処の劇団において私が力になれるとしたらその枠ぐらいだろう。正直言って自信がないが、ここ以外で私が役に立てそうな所は思いつかない。

「……分かった。役に立てるかどうか分からないけど…とりあえず、やってみる」
「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!」
「その代わり、舞台で使われる音楽がどんなものか知りたいから、過去の資料映像とかあれば見せてもらえる?もし譜面とかあるならそれも貸してほしいんだけど」
「分かりました。支配人に聞いておきますね!」

いづみが嬉しそうに笑って「それじゃあ、早くカレーを食べて午後から動き回りましょう!」と言ったのを皮切りに、皆が穏やかに食事を再開した。
正式に、作曲家としての道が決まった。曲を作るのは好きだ。でも、今までとは違う音楽のジャンルに、心の中では不安と戸惑いが渦巻いている。

(それに、昔のことを思い出すと…)

少し前に思い出した嫌な思い出が蘇る。人前で演奏することが苦手になった思い出が…。
……今更そんなことを想いだしたところで、過去が清算されるわけでもない。それに、人前で直々に演奏するわけじゃないんだから。
不安がる自分にそう言い聞かせて、私は空腹を訴える胃にカレーを流し込んだ。

―――昼食を食べ終え、私たちは次の目的を果たすべく町へと繰り出した。


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