『何のですか?』
『この間一緒に買いに行った服の』
『あ、あれ着ましたよ。ありがとうございました!』
『写真は???』
『撮ってないです』
『じゃあ着て来てよ』
『どこにですか?』
『温泉。チケット送るから』
シュッポシュッポとハイペースのラリーが突如止まったかと思うと、三分ほど後に予約完了と書かれたメールのスクリーンショットが送られてきた。続け様に送られてきた旅程表にはご丁寧に自宅の出発時間まで書かれている。「駅に着く時間に合わせて迎えに行くから待ってるね」で締め括られたメッセージに、私の拒否権はない。相変わらずの力技に苦笑を零しながら、急な旅行の予定に心が踊ったのも事実だった。
***
指定された特急に揺られること一時間半。目的の温泉地は連休で賑わっており、家族連れや海外からの観光客、そしてカップル達に揉まれながら改札を出る。
迎えに来ると言っていたが何処だろう。辺りを見回していると、不意に肩を叩かれビクリと身体が跳ねた。振り返ると、思っていた人物とは違う人が眉根を下げて笑っていた。
「なまえ、こっちだ」
「五条くん!お迎えって五条くんだったんだ。雑渡さんは?」
「尊奈門達と卓球大会が盛り上がってて……」
「ひ、人のことを呼び出しておいてフリーダム過ぎる」
「押都部長が車出してくれたから、下で待ってる。荷物持つよ」
「わ、ありがとう!」
雑渡さん一族(正確には血縁関係があったり無かったりするらしいが、よく知らない)は皆スマートだ。流れるような動作で持っていたキャリーを持つと、人混みではぐれないように手を繋いで先導してくれる。
緑がかった癖毛に困り眉が印象的な五条くんは、歳が近く小学校から大学まで同じだった。クラスや学部も違うからすごく仲が良いというわけではないが、帰る方向が同じだったので椎良くん、反屋くん共々交流の機会は多い。幼馴染のような親戚のような、そんな存在だった。
手を引かれるがままに駅前のロータリーに停められた車に近付く。自然な流れで扉を開けてもらい、モテるんだろうなぁとぼんやり思った。
「お前も休日に呼び出されて大変だな」
「あ、押都さん! 生身ではお久しぶりです」
「そうだな、社員証の顔以外を見るのは久しぶりだ」
「あれ写り悪いからあんまり見ないでくださいよ」
入社した時から変わっていない社員証の写真は、自動的に社内チャットのアイコンにされてしまうのだ。ほぼ毎日雑談のチャットをしているから久しぶりな感じはしないが、対面は二ヶ月ぶりな気がする。
弊社の法務部に所属する押都さんは、滅多に顔を出さないことで社内でも有名だった。何をしているのかもよくわからないが、人前に出る業務は大抵五条くん達三人がこなしている。仕事が忙しいのかと思いきや、チャットの返信はめちゃくちゃ早い。早い上に正確な答えやアドバイスが返ってくるから、私は密かにChatOSTと呼んで頼らせていただいている。会議中であろう時間に『今日のご飯何がいいと思います?』と送ったら秒で『この間冷凍の根菜ミックスを買って余らせていただろう、筑前煮はどうだ?』と返ってきた時は、本当にAI化してしまったのではないかと思った。
「押都さんは卓球大会出ないんですか?」
「優勝賞品は湯けむりプリンだからな、興味無い」
「あー、実質尊奈門くんと雑渡さんの一騎討ちなやつだ」
尊奈門くん、この間も冷蔵庫のプリン争奪戦してなかったっけ。プリンブームなのだろうか。どちらが勝っても結局もう一つプリンを買ってきて並んで食べる姿しか浮かばず、笑ってしまった。
観光シーズン真っ只中の道路はなかなかの混みようで、車はゆっくりと山道を進んでいく。
「最近どうなんだ?」
「何ですかその思春期の娘と久しぶりに話す父親みたいな振りは」
「押都部長、否定できません……」
「そうか……数年ぶりの浮いた話を聞きたかったんだが……」
「なななななななんの話ですか???」
「こっちもこっちでわかりやす過ぎる」
ペットボトルを開ける前で良かった。開けた後だったら車内にぶちまけていた。ナイスキャッチ五条くん。君は高校生の時から運動神経がピカイチだったね。
「そんな地獄耳だからパパラッチ部長とか言われるんですよ」
「勝手に言わせておけ。しかしその反応、本当だったんだな」
「もしかして引っ掛けました!?」
ミラー越しにニヤリとした顔と目が合う。完全に嵌められた。もう何年も同じようなやり取りをしているのに、毎回上手い具合に嵌められてしまう。
「素直なのはお前の美徳だが、もう少し疑うことを覚えるんだな」
「悔しい……何も言い返せない……」
「五年前の男は依存してくるタイプだったからな、自立した男にするんだぞ。少なくとも自分から好きになった男を選べ」
「なんで当たり前のように私の恋愛遍歴知ってるんですか?本人ですら何年前か覚えてないのに?」
「ナンデダロウナー」
わざとらしい言葉に横を向くと、物凄い勢いで顔を逸らされた。五条くん、君だったのか。確かに五条くん達三人には話した気がする。別に口止めをしていたわけではないが、身内に過去の恋愛を把握されているのは気まずい。
「そう拗ねるな。着いたぞ」
「解せない……解せないけどありがとうございます……」
「ちゃんと礼を言えて偉いな」と撫でてくる押都さんは、私のことをまだ小学生だと思っているに違いない。釈然としない気持ちで連れられるままに旅館の廊下を歩く。
押都さんや雑渡さんたちの滞在するフロアの別の部屋を確保したこと、夕食は雑渡さんの部屋で揃って用意することを説明され、段取りの良さに休日なのに仕事を思い出してしまった。しごできピーポーしかいないもんな、今。
「夕食まで時間があるから、大浴場でも行ってきたらどうだ?」
「そうですね、そうします。押都さん、五条くん、お迎えありがとうございました」
部屋に戻っていく二人を見送り、用意された部屋で荷物を広げる。一人で泊まるには広くて何だか落ち着かないが、露天風呂付きなのはテンションが上がる。部屋のお風呂は夜か朝入るとして、提案された通り大浴場で一風呂浴びるとしよう。
***
「やぁなまえちゃん、楽しんでる?」
「つくづく社員旅行じゃなくて良かったなぁと思いますね!コンプラのコの字もない!」
「家族旅行みたいなものだからセーフセーフ」
ガラス越しに見える死屍累々を見ると笑うしかない。身内ノリの悪ノリは本当に良くない。良くないが、良くないことは往々にして楽しいのだから厄介だ。部屋中に倒れている大の大人はどこか幸せそうですらあった。
遡れば二時間前。宿の美味しい夕食に舌鼓を打ち、和やかな内に妻子連れで来ていた山本さん一家が部屋に戻った後に無礼講祭りは始まった。
きっかけは「なまえに飲み勝ちたい」と言う尊奈門くんの発言だったと思う。昼間の卓球大会で見事に負けた尊奈門くんは夕食開始の時点でだいぶ酔っていた。突然悔しさに泣き出したと思えば飲み比べをしようと吹っかけられ、そしてまた負けた。逆になぜ勝てると思ったのかのか聞きたかったが、挑んできた時点で酔っていたから仕方がない。
「尊奈門は兎も角、陣左達は結構強いのに見事なもんだねぇ」
「こればっかりは体質ですからねぇ」
アルコール耐性は武術のように鍛えてどうにかなるようなものでも無い。尊奈門くんがそこまでお酒に強くないように、私はいくら飲んでも酔わないし、酔えない。所謂ザルだった。尊奈門くんとの飲み比べを見ていた高坂くん、五条くん、椎良くん、反屋くんも面白がって挑んできたが全て返り討ちである。
アルコールで酔わないが、飲み過ぎ食べ過ぎで胃が苦しい。飲んだ後は気分がスッキリするまで夜風に当たるのが恒例だった。
「ま、弱いよりは強い方が安心だけどね。特に女の子は飲まれたら危ないから」
「そうですねぇ、この体質に産んでくれた両親には感謝しかないです。……で、本題はなんですか?」
「うーん、そういう聡くて逞しいところも魅力的」
片手を頬に染めて小首を傾げる雑渡さん、街で見かけたら二度見する大男じゃなければ萌えキャラだったかもしれない。
それはさておき、すっとぼけておどける姿には苦笑するしかない。雑渡さんだって私が察していることくらい気が付いてるだろうに、随分と回りくどい方法を取ったものだ。
「なまえ、かれこれ5年は彼氏いないじゃない」
「当たり前のように恋愛遍歴把握されてる……」
「舐めるなよ、初恋相手の高橋くんのことも覚えてる」
「うわ、懐かし過ぎる。今の今まで名前も覚えてなかったのに」
定番の「同じきりん組さんの足の早い男の子」が初恋だった。当時五歳の幼稚園児、当然進展もなければ初恋がどう終わったのかも覚えてないが、つらつらと他人の口から話される自身の恋愛遍歴はなかなかに羞恥を煽る。
「押都さんといい雑渡さんといい、そんなに恋バナしたいんですか?」
「うん」
「そっかぁ、したいのかぁ」
普段仕事漬けで俗物的な刺激に飢えているのかもしれない。恋バナは個人差はあれど人類共通の話題として関心が高いものだから、理解できなくは無い……かもしれない。
「恋バナするのに私ほど不適切な人選いないですよ」
「普段恋のコの字もない人間の恋バナからしか得られない栄養があるんだよ」
「確かに色恋沙汰にてんで縁がない人間ですけど……」
「縁がない、じゃなくて恋に恋してないだけでしょ」
ふざけた調子から一転、口元の笑みはそのままに真面目なトーンになるからドキリとした。見透かされるような気持ちになって、居心地が悪い。口を噤む私を見て、雑渡さんはフェンスに凭れかかると宙に視線を向けた。
「『俺が居なくても平気なんだろ?』」
「ンン……!?」
「『お前って一人でも生きていけそうだよな』」
「わーーっ!! 歴代彼氏の最後のお言葉集は言葉のナイフですよ!?」
「ちなみになんて返したか覚えてる?」
「順番に『うん』『そうだね』です」
「偉い、よく言った」
頷きながら頭を撫でてくる雑渡さんは、押都さん同様私のことを小学生だと思っている節がある。
最早記憶から消し去っていた過去のお付き合いが走馬灯のように脳内に再生されるが、「若気の至り」以外の何者でもなくてなんとも言えない気持ちになった。
「振って振られて正解だったと思うよ」
「そうですね、付き合ってから好きになれるかも……で付き合うのはお互いのためにならないという教訓は得ました」
「そう思うと、なまえから好きになったの高橋くん以来じゃない?」
「そう言われると確か……に……!?」
言葉の通り「たしかに〜」と納得しかけて、手で口を塞ぐ。オイルの切れた機械のように横を向くと、目と口元を三日月のようにした雑多さんがいた。何だかチェシャ猫みたいだと、頭の片隅で思う。
「その相手、付き合いたいと思う?」
「え?いや、全然」
「なんで?」
ズッコケる貴重な雑渡さんに苦笑を漏らす。話の流れ的に自分でもおかしいとは思うが、実際恋心を自覚しただけで、その先を望む段階ではなかったのだから仕方ない。
「他の人には感じない好きだなぁって気持ちはありますけど、自分でも気持ちの整理をしきれていないと言うか……私が好きでもない相手と付き合って失敗したように、相手も同じ気持ちにならないと始まらないじゃないですか」
「好きになってもらいたいとは思わないの?」
「こればかりは相手次第ですからねぇ……もちろん、明確に拒絶されない限りは話したりご飯行ったりしたいなとは思いますよ。でも、今はそれ以上は望みません」
「……相手に対して過度な期待をしないの、お前の美点だけど恋愛においては厄介だねぇ」
雑渡さんはやれやれと苦笑する。過度な期待をしない、に関しては確かに納得感があった。
自分の気持ちは自分の考え方や行動で変えられるが、他人に対しては限度があると思っている。商品を売りたいといくら資料を用意して熱弁したところで、どんな優れた商品でも相手の需要に合わなければ売れない。それと同じで、自分がどれだけ好きでも相手がそれに応えるとは限らないし、答える義理もない。だから自分が恋愛的な好意を抱いているからといって、相手にもそれを求める気はなかった。
「なまえは全部自分の中で完結してるから相手に求めないと思うんだけど、仮に相手が同じ気持ちを返してきたら?」
「勿論、そんな奇跡が起これば喜んじゃいますね」
自分が抱いている気持ちを、好いている人からも返されたら。具体的には、あのどうしようもなく焦がれた声で「私もだ」なんて言われる日が来たら。
「夜空の星に憧れこそすれ、掴もうとは思わないのと同じですよ」
「……意外と手を伸ばせば届いちゃうかもよ」
脳裏に浮かぶスーツ姿を思い出して慌てて頭を振るのを、雑渡さんは面白そうに眺めていた。