臙脂色の爆弾魔


「すんません!東さん!」

そう言って土下座の勢いの後輩に若干顔が引き吊るのが分かった。ポタポタと滴るのは先程からペンを走らせていたレポート。そして茶色い染みが濃くなるにつれ、顔を青くする目の前の後輩。溜め息をつきたいところだが、そんなことをすれば更に凝縮してしまうだろうから寸でのところで止めといた。

「あー、いや、気にするな。まだ期限はあった筈だから。だから、な?顔を上げろ、諏訪」

後輩、もとい諏訪はそれでも気が収まらないのか「いや」と声を荒ぶらせる。ここはボーダー本部のとある廊下。曲がり角で運悪くぶつかってしまい事が起こってしまったのだが、どちらにも非はある。だからそんな顔面蒼白で慌てなくてもいいだろうと思うも諏訪は一向に落ち着こうとしない。茶色だらけになったこのレポートを拭きたいのだろう。手振り身振りでポケットなどの懐を漁くるも何も出てこない。それが慌て振りに拍車を駆けている。

「諏訪、ホント大丈夫だからな」
「大学のレポートッスよね!?」
「まぁ、そうなんだが」
「あああああなんもねぇ!」
「……諏訪ー?聞いてるかー?」

人通りが少ないとはいえ視線がちくちく痛い。ここは場所を変えるか話を終わらせるかだが、どちらも無理そうだな。どうしたものかと、朝から何も食べていないのと昼時なのも相まって鳴りそうな腹を押え視線をさ迷わせているうちに、目を離したのがまずかった。諏訪がこれぐらい!とか言い出し、たかと思えば茶色く染まったレポートを自分の服で拭おうと力任せに擦り付け出したのだ。

「ちょ、まっ!」

制止の声も届かず、必死な諏訪の手によって更に悲惨な姿に変貌を遂げた俺のレポートはレポート(仮)に成り果てた。ようはビリビリに破けさった。もはやレポート(仮)どころではない、レポート(?)だ

「………あー」

これはフォローの使用もなく、最終的に言葉も出てこない。染みが付いてしまった時点でもう提出は出来なかったのだしそこまで慌てなくてもいいのだが、顔面蒼白を通り越して真っ白な灰となるこの後輩をどうしたものか、俺が悩むんだが諏訪よ。

「あー、なんだ、諏訪。気にするなよ?本当に期限ならまだあるし、………あ!そろそろ昼だろ。久々に一緒に食うか」
「…………ぉ、奢ります」
「いや、そんな悪いよ」
「俺の方がわりぃんで!詫びなんで!」

奢らせてください!

そんなつもりで誘ったわけではなかったが、土下座もしそうな勢いでこう叫ばれちゃ頷かざるおえない。だから諏訪、顔を上げてくれ。視線が痛い。



☆ ☆ ☆



丁度昼時を迎え、飲食店の系列は賑わいを見せようとしている。そんな時間帯だった。

「どこにします?」

事故、とは言えやらかしてしまった事へのお詫びに俺は東さんと外へと出ていた。食堂でも良かったが食堂はこの時間帯は混雑してゆっくりできない。それは外でも同じことかも知れないが食堂よりマシだろう。俺も東さんも幸い急ぎの用事も任務もない。たまには、と意見が一致してのことだった。

ぶらり、ぶらり。

本部に近いとはいえ人の賑わいを見せる雑多の中、俺達の目に止まったのは明らかに『食う』以外の目的の野次馬集団。なんだありゃ。

よく見ればそこはボーダーの面子もよく通う馴染みの飲食店だった。夜の店としても開いているが、見ての通り昼の賑わいにも溶け込んでいるほど遜色ない。開いていないのは朝だけだ。入り口付近を中心に面白いもの見たさの連中が渋滞しているのが遠目からでもよく分かる。

二人して顔を見合わせて、そしてまた視線を戻す。行ってみたい気もしなくもないが、腹の虫が鳴るほどには減っている。あんなに人が集まっていて席は空いているのか、中も見えないから行きにくい。いや、野次馬の中の正体を見に行くくらいなら………。

「あそこにするか」

どうしようか、ほんの少しの迷いも意味もなく、東さんからGOサインが出た。




「おっちゃん!これ旨いなぁ、おかわり!」

溌剌(ハツラツ)とした元気な高めの声が店内に響く。女の子の声だ。まだ幼いと分かる、子供の声。

人集りを掻き分けてやっと店内へと辿り着けば、広がる皿の山に絶句。細っこい身体の何処にそんな大量の料理が入るのかと思うほど流れ込んでいく光景に、さっきまで腹の虫が鳴るほどに空腹だったそこは、胃もたれでもしたかのように重く食欲を感じなくなっていた。見るからに連れは居らず一人だ。ということは、目にしている情報通り今の料理以外に左右に並ぶ皿の山をも平らげたのはこの餓鬼、ということに。

「凄いな」
「そっスね……」

見ているだけで満腹になるとは思わなかった。いや食うけど、食う気が削がれるとは。

入り口の野次馬はただ単にこの餓鬼の食いっぷりに歓声を上げているだけで、食事をしようとはしないようだ。だからか、席がガラガラに空いていた。店主は食事目的ではない野次馬とこんな現状を作り、食材をどんどん消費しまくる餓鬼に同情しそうなくらい泣きそうだ。

「おっちゃん!」
「まだ食うのかこの餓鬼!」

おかわり!と普通なら微笑ましい光景も目の前に広がる皿の山で台無しだ。しかも、あとこれとこれとあれと……これのおわかりある?などと追加する始末だ。まだ食うのかよこいつ。恐らく周りの大人たちは満場一致でそう思った筈だ。

「あの子、よく食べますね」
「東ちゃん………よく食べるなんて可愛いもんでしょ。この分じゃぁ店のもん食べ尽くされそうだよ。もう今夜は閉めねぇとな」
「だよなぁー、今夜は別のとこすっか」
「なんだ、飲むのか?」
「の、飲まねぇ、っすよ?」
「諏訪ちゃんは毎回飲んでるよなー」
「た、大将!」
「諏訪はまだ駄目だろ」
「だから、飲んでねぇすってば!」

餓鬼の向かいに当たるカウンター席に座れば、忙しいながらも水を準備しくれる店主。馴染みの店とあって気兼ね無く話せるとこは利点だが、知られては不味い事までペラペラと憎めない笑顔付きで話されちゃもうお手上げだ。隣でニコニコしいる東さんだが多分、いや、確実に本部までの道すがらお説教コースってやつだ。やっちまった……。

「おっちゃん、おっちゃん」

予想外な不意打ちに沈んでいれば、俺たちの方へ来ていた店主を呼ぶ声。その呼び掛けに俺同様沈む店主。「行ってくるよ。決まったら声掛けて」そう言って餓鬼の方へ渋々ながらも行ってしまった。

「あの子、見ない顔だな」

カチャン、氷の入ったグラスが軽快な音を奏でながら布製のコースターに落ち着く。そう言われてみればそうだと思う。ここは三門市。出ていく奴らの方が多く新顔なんて久しく見ていない。

じっと見ていれば、壁に貼られている手作りのチラシを指差して何やら言い合っている。おいおいまさか。

「あれ、まだ食うとかレベルじゃないっスよね…」
「まぁ………、あの子ならいける、かも?」

事の成り行きをただ静かに見守っていれば、大きな歓声が広がる。案の定、予想は的中したようで近い声が更に盛大に上乗せされたボリュームで届く。

「よし分かった!時間内より10分早く食べきれたら今までの分もチャラにしてやる!但し1秒でも過ぎればこの分も払ってもらうからな!」
「よっしゃキタ!!その勝負のったるわ!」
「お前さんから言い出したんだろうが!!」

それは一種のバトルロイヤルだった。

「カツカレー10人前を30分で完食すれば一万円プレゼント。それを10分前だから20分?大将も無茶苦茶言うッスね。前にもあんな量食ってんのに」
「だから、あんなの可愛いもんなんだって。二人はもう決まったか?」

暫く籠るから今のうちに、と二人して同じみのものを頼む。多分かなり待つことになるが差して気にはならない。寧ろこのバトルの結末を見届けなければと意味不明な使命感さえあった。それは後ろの営業妨害にもなっている野次馬たちも同じなのだろう。食いきるかか食いきれないか、賭け事になるほどに盛り上がっている。俺は食いきれない方に賭けるぜ。

「腹は大丈夫なのか?」

ん?

東さんの声だ。どうやらあの餓鬼に話し掛けている様子。まぁ、料理が来るまでに暇ではあるし気にはなっていたが、まさか話し掛けるとは。最初から警戒心らしき警戒もなく、東さんの揺ったりとした物腰で話は進んでいく。

「これぐらい大丈夫やろ」
「いやぁ沢山食べるな、と思ってな。今から来るの入るのかと」
「まぁ、いつも友達に腹八分目までに止めろ言われてたからなぁ、あれで最後にはなると思うで」

この量とあの量で腹八分目って、後の二分目はどんな量だよ。

「にしてもお前なんでこんなとこ来てんだよ。初めて見る顔だが?」
「……………観光?みたいな?」
「観光、ってなんもねぇぞここ」
「あー……いや間違えた。お引っ越し?みたいな?」
「いやいやどっちも有りえねぇだろ。それか何か?親戚の家でもあんのか」
「おん、それもあるんやけどちょーっと行きたいとこあってな。あ、やっぱり観光や」
「観光って、だからそんな観光する場所なんて此処にはねぇって」
「あるやん。ボーダーちゅうとこなんやけど、おっさんたち知らんの?」
「おっ……!?」

二十歳にもなってねぇのにおっさん呼びにショックが隠しきれない。声を上げて爆笑する東さんだが東さんだってまだ20代前半だろ!東さん!笑ってる場合じゃないッスよ!

「俺はまだ19だ!」
「なんや、やっぱりおっさんやん。うちと5歳も違うもん」
「たった5だろ!」
「いやいやおっさん、5歳差は大きいでぇー」

うちはまだピッチピッチやもん。ってお前はピッチピッチどころかまだツヤツヤの部類だよ!こんな事を叫んでしまえば俺が変態みたいで叫べなかった。叫べなかったから釈然としない気持ちしか残ってない。こんの糞餓鬼!

「アハハハハハ!!!諏訪、言われてんな」
「東さんも言われてんすけどいいンスか!?」
「まぁ、小、あ…いや違うか。中学生からしてみれば俺たちだっておっさんなんだろ?」
「なんや今小学生言おうしよった?おっさん喧嘩売っとんの?」
「いやいや、こりゃ失敬」

悪い悪いと餓鬼の頭をポフポフ撫でながら、笑いが一頻(ヒトシキ)り治まるのを待っていれば、東さんは飛んでもないことを提案しだす。いや、この場合この餓鬼が気に食わないと言うだけで本来は正しい選択な筈だ。現時点で素質があるかどうかは分からないが、興味がある奴を連れて行ってやることも稀にある。

「ボーダーに行きたいんだったら俺たちが案内してやろうか?」
「は!?」

でも、やっぱり気に食わない。


餓鬼は一瞬、意表突かれたかのように瞬きも忘れ真顔の状態になっていた。かと思えば視線が宙を行ったり来たりとさ迷い、何かの言葉が通り過ぎたのか数秒後には謎が解けたかのようにスッキリとした表情で、爆弾を投下しやがった。


「うち知ってんで!」


次の言葉で、おっさん呼びをされても笑っていた東さんが、固まってしまった。


「そーゆうのロリコン言うんやろ!」


あ、東さんさああああああん!

17.9.11
東さんさああああああん!!!!!