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再び車に乗って向かった先は東京のビル群の中にひっそりとある庭園だった。ベルモットが由緒正しい日本庭園に来るなんて、まったく想像もつかなかった。
車を降りる前に、ベルモットは美しくウェーブのかかった髪をゆるく一つに結び、ツバの広い帽子の中に隠してしまった。そしてボストンタイプの眼鏡をかけた。仕上げに化粧直しを軽くすれば、そこにはもうベルモットはいない。若々しいベルモットではなく、年老いた女性にしか見えない。その老年の女性は見覚えがあった。映画の中で。
ベルモットは私の目をじっと見つめた。
「いい? 今から私はシャロン・ヴィンヤードよ。あなたは余計なことは喋らなくてもいいから、適当に笑ってなさい」
それだけ言うと、さっさと車から降りてしまった。本当にベルモットってシャロンだったんだ! テレビ越しにしか見たことのない大女優の姿に興奮を抑えきれない。
余計なことを考えてミスしないように深呼吸をして息を整えた。
ベルモットは何をしに来たのか、どうして変装するのか、細かいことは何も教えてくれない。それはいつものことだけど、ぴりぴりした空気にいつもとの違いを感じた。失敗してほしくないなら、ちゃんと指示をしてほしい。私の心の準備だってあるのに。シャロンになるなら言ってくれないと。って、六歳の少女がシャロンを知っているのはおかしいんだけど。
ため息を一つもらしてから、私もベルモットを追いかけて車を降りた。
ベルモットは一人勝手に歩いていく。足の長さが違うのだから少しは考えてほしい。
木々の間からマンションやビルが顔を覗かせる小径を歩いていると、立派な日本建築の家が現れた。ベルモットはそこに入ることなく前で立ち止まった。
しばらくすると、歳を取った男性がずらずらと出てきた。和やかな雰囲気と私の横を通ったときの匂いから、会席料理でも食べていたのだということがわかった。
何人かが通り過ぎたあと、一人の老人がベルモットを見て笑顔で手を振った。
「須藤会長、お久しぶりです」
普段の妖艶な声音と違って、真面目そうな声だ。シャロンの性格に合わせているのだろう。
ベルモットに須藤会長と呼ばれた老人は髪は真っ白で、腰も曲がっているが表情ははつらつとしている。
「やあシャロン。来てたなら入ってくればよかったのに」
「みなさんのご歓談の邪魔はできないわ」
須藤会長は、シャロンならみんな盛り上がるのにと残念がる。そのあと、私を見て「この子は?」とベルモットに尋ねた。
「孤児院にいたのを引き取ったのよ」
ぎょっとしてベルモットを見上げた。そんな特殊な設定だとは思わなかったから驚いてしまった。
須藤会長は感心したように頷いている。
「おお、養子にしたのか?」
「いえ、今は孤児院の代わりに世話をしているだけなの。……愛子、挨拶しなさい」
「はじめまして。愛子です」
他に言うことは思いつかなかった。打ち合わせがあればなんとでもできるけれど、ベルモットの計画がわからないことには不用意な言葉は吐けない。ベルモットも余計なことは言うなと言っていたし、ひたすら笑顔を浮かべた。
にこにこ須藤会長を見ていると、須藤会長もにっこりと笑い返してくれた。この人からは、裏社会の気配がしない。
「はじめまして」
「愛子、この方は須藤ブランドの会長さんよ」
「こらこらシャロン、こんな小さなお嬢さんが私のことなんて知っているはずないだろう? お嬢ちゃん、おじさんは運動するときの服を作っているんだよ。お嬢ちゃんも小学生や中学生になったら使うかもしれないね」
会長の説明を聞いて、スポーツメーカーのコマーシャルを思い出した。国内最大手のスポーツメーカーの、あの須藤か。並盛高校の指定ジャージも須藤のものだった。日本の最先端技術を手ごろな価格で販売していて毎年黒字だとニュースでやっていた。
ベルモットの人脈はどうなっているんだ。
会長がベルモットに「中でお茶でもどうだい」と誘った。悪い人ではなさそうだけど下心を持ってそうな顔をしている。
私はいない方がいいかな、と距離を取ろうと一歩後ろに下がった。遊んでくるとでも言えばいいかと口を開くと、私より先にベルモットが「愛子、ちょっと須藤さんとお話しているから散歩していらっしゃい」と私の肩を叩いた。
「一人で大丈夫かい?」
「護衛もいるから大丈夫よ」
会長も無理に引き留める気はないみたいで、笑顔で私を見送った。
私は立派な建物を背にして公園に向かう。ここは池がたくさんある。池の周りには大勢の観光客。建物のそばは観光客はいなかったのに。
家族連れの集団に紛れて、池に浮かんだ石の上を歩いたり、小さな橋を渡ったり。幼少期の探検みたいなことを楽しんだ。
まだ気温は高くない季節だけど、太陽の下で動く回っているとじんわりと汗をかく。ちょっと休憩しようと木陰を探すと、黒いジャージの男性が木の根元に寝転がって、ぼうっとしていた。サングラスで目もとは見えないけれど、たぶん眠っているわけじゃなさそう。
「おじさん、何しているの?」
声をかけると、男性はゆるゆると私を見上げた。
「おじさんじゃなくて、お兄さんだ」
「おじさんみたいなお兄さん、何してるの?」
「空見てんだ」
そう言って上を指差すが、葉が生い茂っていて空なんて見えない。
「今日、平日でしょ。お兄さん大人なのに働いてないの?」
「お休み中だ」
「ふーん」
無愛想だけど、なんとなく親近感を覚える男性だ。おしゃれサングラスにジャージというチグハグさが私に合っているのかもしれない。
妙な居心地のよさを感じて、私はお兄さんの隣に寝転がった。
「なんで横に寝ころぶんだ」
「お兄さんが寂しそうだから〜」
ベルモットが建物から出てくるまで、私はお兄さんの横で見えない空を眺めて時間をつぶした。