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 夕方、ベルモットから須藤会長宅に行くと電話が来た。ついてこいとは言わなかったが、わざわざ連絡して来るということはそういうことだ。携帯電話のおかげで、急に部屋に来て「今から行くから」ということはなくなりそうだ。
 研究所に迎えにきたベルモットとともに、何度目かの須藤会長宅を訪れるといつになく上機嫌な須藤会長に出迎えられた。
 東京にあるとは思えない広い家で、通されたリビングダイニングは中庭に面している。そこから四角に切り取られた夜空が見える。
 今日、ベルモットが須藤会長に会いに来たのは別れを言うためらしい。明日、日本を発つと聞いた須藤会長は残念がったが、すぐ笑顔を浮かべて「飛びきり楽しんでいってくれ」とテーブルに並べられた奥さんの手料理を示した。
 須藤夫妻にすすめられるままに食事をとる。奥さんのオーブン料理は香辛料がいいアクセントになっていて、とても美味しい。
 須藤会長はいつもよりたくさんワインを飲んでいた。それも年代物の高そうなものだ。ベルモットがわけを尋ねると、須藤会長は嬉しそうに目を細めた。

「リーペロが再起したんだ。旧友の再出発を祝って、今日は祝杯だ」
「リーペロってイタリアの……」

 裏と繋がりのあった資産家の不動産ブランドだ。

「お嬢ちゃん、知ってるのかい?」

 知らないはずない。リーペロは数年前に経営破綻した。そうしたのは私だ。厄介なファミリーのパトロンになったから、私がリーペロの中に潜入して細かい悪事を暴いてリークしたり、資金繰りをできなくしたりした。リーペロはマフィアにお金を流すのが問題だっただけだから経営破綻させるだけで済ましたが、それが再起した?
 どういうことだろうと詳しく聞こうとしたけれど、ベルモットに睨まれていることに気づいて、慌てて「ニュースで……」と取り繕う。ニュースで見たのだって、リーペロが経営破綻したのは数年前だからおかしいんだけど、ありがたいことに須藤会長はあまり気にしていなかった。
 
「リーペロの会長はイタリアの資産家だったやつだ。不動産で事業を大きくしてたんだが、離婚騒動やら詐欺被害、事業失敗が重なって一文無しになっていたんだ。それがまたジャーダクラブの一員さ」
「あら、すごいわね。何があったの?」
「やつは元々服が好きだったんだ。リーペロってブランド名も本当はアパレルブランドに使うはずだったんだが、親に反対されて泣く泣く不動産ブランドの名前に使ってた。今では親も死んで、しがらみもなくなったからアパレルブランドを立ち上げたんだよ。それが軌道に乗って……、やっとだ」

 須藤会長は目を閉じてワインを口に含んだ。
 そして須藤会長はリーペロの会長との出会いや今までに行った業務提携なんかを話し始めた。須藤会長もマフィアと繋がりがあるのか思ったけれど、ただスポーツウェアのデザインの勉強のためにイタリアに渡ったときに意気投合したクリーンな友人関係だった。そのときからリーペロの会長はアパレル業界を夢見ていたらしく、須藤会長は感極まって涙をこらえながら話している。
 ベルモットはそれを親身に聞いているが、私は「あのおじさんにも友達いたんだ」と記憶の薄いリーペロの会長の顔を思い出しながら美味しいステーキを食べていた。

「俺は旧友のために祝杯を挙げるが、もちろん君たちは関係ないから好きに過ごしてくれ」
「そんな。須藤会長のご友人のことですから、私もお祝いするわ」
「ありがとう」

 ベルモットと須藤会長が、カチャンとワイングラスで乾杯した瞬間、リビングダイニングの扉が開いた。入ってきたのは須藤夫妻の次男、須藤竜太郎だった。
 首藤会長と初めて会ったとき、「うちの子ども部屋」と言っていたからてっきり息子は小さいとばかり思っていたが、実際は長男と次男が三十代、三男は二十代半ばだった。よく考えれば首藤会長は老人だから子どももそれなりの年齢な方が自然なんだけど、初めてパーティに招かれたときは驚いて固まってしまった。
 部屋に入ってきた竜太郎さんは挨拶もそこそこに、私に「もうご飯食べたなら子ども部屋で遊ぶ?」と私の腕を掴んで無理やり部屋から連れ出した。部屋を出る前に首藤夫妻とベルモットの顔を見たが、全員和やかに笑って私を見ていた。
 竜太郎さんは廊下を歩いているときは無言だったが、子ども部屋に入って床に座ると「ごめん」と謝ってきた。竜太郎さんは表情があまり変わらない。だけど感情が声に表れる。とても申し訳なさそうだ。
 強引に連れてこられたけど、その意図を知っているから別に怒ったりはしない。

「父さん、めんどくさいだろ?」
「ううん。お話すごく面白いよ」
「変わってるな。俺は父さんの話に付き合うのはごめんだ。自慢話ばっかりだし長いし。まだ母さんの方がまし」

 そう言って竜太郎さんは息を吐いた。そして「座りなよ」と竜太郎さんは自分の横の床を叩いた。
 この家に来て、会長の長話が始まるといつも竜太郎さんが子ども部屋に避難させてくれた。慣れた様子からして、この家に招待された子どもはみんな竜太郎さんがここに逃がしているのだろう。

「奥様もお話は長いんじゃないの?」
「長いけど、父さんみたいに一方的に話さないから。ちゃんと会話してくれるし」
「でも光太郎さんのサポートをするならお父さんの話を聞いていた方が……」

 光太郎さん――長男の仕事を支えるなら、ある程度社交的な方がいい。その点で言えば首藤会長はとても優れている。竜太郎さんは口下手だし表情も乏しいから、会長の話を聞いて勉強した方がいい。

「兄さんのサポートは弟がするから。俺はお役目御免なんだ」

 え? と驚くと、竜太郎さんは唇の端を上げた。私の反応を楽しんでいる。

「来年、弟が大学院を卒業したら俺の仕事を弟が引き継ぐんだ。だから来年からどうしようかって考えているところ」
「お父さんの仕事は好きじゃないの?」
「好きでも嫌いでもない。弟もそうだけど、弟は権力とか好きだからね。俺はそういうの興味ないし、頑張ってお金を稼ごうって思わないんだ。ほどほどに頑張って、ほどほどに楽をして、ほどほどに幸せな人生が理想だよ」

 力のこもっていない声に気が抜けた。
 ベルモットは須藤一家を私のコネクションにするなと言っていたけれど、竜太郎さんくらいなら、なんて思っていたのだ。なのに来年には弟に譲るなんて。無気力な人だとは思っていたけれど、予想以上だった。

ヒトリヨガリ