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念願の自由行動の許可。バーボンには遠くに行くななんて言われたけれど、すでに研究所のそばに遊べる場所がないことは知っている。嫌というほど車で連れ回されてから。なので研究所より並盛に近い場所まで足を延ばした。普段じゃ絶対に歩かない距離。だけど今は時間も体力も有り余っているからちょうどいい。
並盛まで行くのはのんびり散歩の速度だと帰りは夜になってしまうから今日はそこまでは行かない。
知らない道を選んで雑貨屋さんや細々としたお店が建ち並ぶ商店街のようなところを通り抜け、坂道を上ると小さな神社があった。木に覆われた社を見つめ、別に神社に用事はないから鳥居をくぐることなく踵を返した。神社のそばには土産屋がいくつかあり、そのうち一つの軒先のベンチに見知った顔を見つけた。
「お兄さーん」
声をかけると宙を見ていたサングラスの男がハッと私を見た。
風が吹き抜けて木々が乾いた音を立てる。
まだ白昼夢の中といった様子のお兄さんは、無言で私の顔を見てやっと思い出したように口を開いた。
「お前はあのときの……」
「こんにちは、ニートのお兄さん、今日はここでお昼寝?」
「ニートじゃなくてお休みだ。お前、親はどこにいるんだ」
「あ、私携帯電話もらったから番号交換しようよ。なんと家族以外はお兄さんが初めてだよ」
お兄さんの言うことを無視してポケットからスマートフォンを取り出した。もちろんこれは組織からの支給品ではなく自分で用意したスペアだ。お兄さんがいい情報を持っていそうなら組織の人間として接するけれど、裏社会の匂いがしないし権力者というわけでもなさそうだから私を介して組織と接触させるのは危険だ。もしお兄さんが情報提供者になってくれるなら楽なのに。だけどそんな上手くいくはずがない。
なかなか携帯を出そうとしないお兄さんに「はやく、はやく」と急かす。お兄さんは不承不承といった顔でお尻のポケットから携帯電話を取り出した。今時珍しいガラパゴス携帯だ。
アドレス交換の準備をしながら、そういえば自己紹介をしていなかったと思い出して「今更だけど」と自分の名前を伝えた、
「お兄さんのお名前は?」
「……田中太郎」
手元でスマートフォンをいじりながら言った。今考えました、という言い慣れていない言い方だ。
「絶対に嘘じゃん」
「子どもに教える名前はない」
アドレスを交換したらお兄さんの名前くらいすぐにわかるからいいや、と追及せずに交換したが、私の画面に映る名前は「田中太郎」。
お兄さんを見れば設定画面で名前を変更していた。
まさか交換時だけ偽名に変更するなんて思わなかった。何かわけありの人かと観察したけれどそんな様子はない。ただの意地悪のようだった。
そっちがそれなら。
「じゃあ、ロッシって呼ぶね」
「ロッシ?」
「イタリアの田中みたいな名字」
「なんでイタリアなんだよ。そのまま田中って呼べばいいだろ」
「だってロッシの言うとおりにするのは、なんか嫌だもん。田中よりロッシの方が短いし、あだ名みたいで可愛いよ?」
もじゃもじゃした黒髪も、見ていたらイタリアーノに見えなくもないんじゃない? と思ったけれど、どこからどう見ても日本人だ。
サングラスで見えない瞳の色が気になって、ロッシに抱きつくように近寄りサングラスを外した。
「なにするんだ」という言葉が遙か遠くに聞こえた。
素顔のロッシがすごくイケメンだったからだ。
さては意地悪なことを言ってもこの顔のせいで女の子たちがキャーキャーはやし立てるから、こんな傍若無人のまま大人になったのか。そんな失礼なことを考えていないと、変なことを言いそうだった。
イケメンはバーボンで慣れたし、組織には見た目のいい人が多い。だけど組織の人たちは美人、ロッシは男前だ。ジャンルが違うだけでこんなに動揺するなんて。
黙ってしまった私にロッシは怪訝な顔をする。
私は無言でロッシにサングラスをかけなおした。そして冷静を装って全然関係ない話を振る。
「ロッシって普段何してるの?」
「起きて食べて散歩行って寝る」
「ニートじゃん」
睨まれた。
在宅ワークやフリーターというわけでもなさそうだし、そんな生活してるのニートじゃない。それも健康的なニートだ。
「お仕事は?」
「だから休みっつてんだろ」
ロッシはめんどくさそうに息を吐いた。
「色々あって、上から『お前は疲れてるから休め』って言われたんだ」
「ふーん」
休職中か。まだ退職したという可能性も捨てきれないけれど、あまり茶化してかまってくれなくなったら困るから休みだというロッシの言葉を素直に受け入れた。
ブラック企業で体を壊したのかな。
「元気そうなのに」
「ああ。本当に」
そう言ったロッシは苦しそうだった。
今すぐ働きたそうだ。なるほど会社の問題じゃなくて、ロッシがワーカホリックなのか。それなら神聖な雰囲気の神社でのんびり心を休めるのはちょうどいいだろう。
「早くよくなるといいね。でもよくなっても無茶はしちゃダメだよ」
ロッシからの返事はなかった。