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「次はどこに行くんだ?」

 運河を走る水上バスの上でバーボンが聞いてきた。もう何度かヴェネツィア観光をしているので目ぼしい場所はない。今日もすでに教会や、気に入った場所を回ったのでどこに行くか迷う。
 悩みながら、とりあえす水上バスを降りて観光客がごった返す道を歩く。

「ベルモットとバーボンはどこか行きたいとこないの? いつも私の行きたいところに行ってるよね」
「行きたいところ……。ベルモットはありますか?」
「ないわ」
「ですよね」

 一言で返したベルモットにバーボンが苦笑いを浮かべた。
 時間は昼過ぎ。帰るには少し早いけれど、もう今日はこれで終わりかと思ったが、腕時計を見たバーボンは「たまには目的もなく歩くのもいいかも知れませんね」と笑って言った。ベルモットも異論がないようだ。
 おかしい。普段の二人なら絶対にホテルに帰りたがるのに。これは何かあると直感した。そして、その何かはきっと二人の任務に関わることだ。
 先頭を切るバーボンについていきながら、子どもの私を連れて歩くことでターゲットに勘づかれないようにしているんだなとあたりをつけた。まあ私には関係のないことだと、ぼうっと露店を見ていると仮面を売るお店を見つけた。気になったのでバーボンを止めて仮面を指差した。

「仮面?」
「カーニバルで使う仮面だね。見てみようか」
「うん!」

 近づくと、貴族が仮面舞踏会にでもつけていくような装飾のマスクに圧倒された。綺麗だけどそれと同時にどこか不気味な感じがする。美しい日本人形と同じで、なにか不思議な力を秘めていそうで触るのを躊躇してしまう。

「仮面舞踏会の仮面みたいだね」
「みたい、じゃなくて仮面舞踏会なのよ、ヴェネツィアカーニバルは。仮面をつけてドレスを着たり仮装をするの」
「楽しそうね! 行ってみたい!」
「年に一度、春先にやるから行くのは無理ね。大人になったら行ってみなさい?」
「うん、楽しみにしてる」

 この任務が終わったら、京子ちゃんやハルちゃんたちを連れて参加してみようと決めた。
 目の周りだけのアイマスクや、顔全体を隠すフルマスク、マスクの装飾の種類も様々ある。壁に飾られている仮面を見ていると、一つのフルマスクが目にとまった。それは装飾がすべて白色の仮面で、顔の右側に大きな蝶がとまっているデザインのものだった。シンプルだけど、翅の細工は繊細で、真珠やキラキラと光る素材が使われていて見ていて綺麗だった。

「これほしい!」
「じゃあ、それを買いましょうか」

 五歳の子どもがフルマスクなんて、とでも言われるかと思ったがあっさりとベルモットが支払いをした。さすがあんなホテルに泊まる組織だけある。太っ腹だ。
 店の中でも高い仮面だったようで、店主はにこにこと愛想よく接客して上機嫌で送り出してくれた。
 再び細い路地を歩き、雑談をしながら時間をつぶしていると急にバーボンが足を止めた。

「あ、すみません。どこかに手帳を忘れてきてしまったみたいです」
「あらそれは大変じゃない。どこに忘れたかわかる?」
「おそらくジェラートを食べたところあたりだとは思うんですけど……、あまり自信はありませんね」
「今日は色々なところを歩いたから、探し回るのは骨が折れるわよ? ジェラートを食べたところもここから遠いし。……そうだわ、愛子に探してもらいましょ? できる?」
「え? わたし?」
「そうよ。千里眼でジェラート店を見られないかしら?」
「それならできるよ」
「じゃあお願いね」

 ベルモットの言葉に頷き、目を閉じて集中した。ここは人が多いから目を開かずに、分身だけジェラート店に飛ばした。
 手帳はすぐに見つかった。だけど、その手帳は誰か知らないおじさんが持っていた。

「バーボンの手帳は見つけたよ。黒地に赤いラインの入ってるやつだよね?」
「ああそうだ」
「ジェラート屋さんにあるけど、誰かおじさんが持ってるよ。もしかして、落とし物として届けようとしてるのかも」
「じゃあ私が受け取ってくるわ。バーボンは愛子とここで待っていてちょうだい」
「僕の手帳なんですから、僕が取りに行きますよ」

 私もベルモットの言葉に首を傾げていると、ベルモットはバーボンの耳元で「子守りはあなたの役目よ」と囁いた。バーボンも私も納得してしまった。ベルモットがあまり私のことを好きじゃないのは薄々気づいていたから、ベルモットが手帳を受け取りに行くのは当たり前か。

「その男はどんな格好をしているの?」

 ベルモットにそう言われて、慌ててまた目を閉じた。

「小太りで、ベージュのジャケットを来ていてズボンは白色だよ。髪の毛は黒。あと黒のクラッチバッグを持っているよ」
「それだけじゃ特定できなさそうね。もう少しないかしら」
「あ! ジャケットにバッジがついている。なんだろう、カラス?」
「そう、わかったわ」

 バッジのことを言うと、ベルモットは「その男が動いたら連絡してちょうだい」と言って歩いていった。
 ベルモットの背中を見送ってから、バーボンと近くのカフェに入った。私はオレンジジュース、バーボンはエスプレッソを頼み席に座ると、すぐに目を閉じた。男はまだジェラート店にいるが、どこか警戒している様子だ。どうしたんだろうと思っていると、男は店から出て人気のない路地に入った。

「おじさんが路地に入ったよ」

 目を閉じたまま言うと、バーボンはベルモットに電話でそのことを伝えた。

「まだベルモットが着くまでかかるから、おじさんを見失わないようにしてくれ」
「うん。……三つめを右に曲がって、細い路地裏を歩いている」

 路地裏は迷路みたいに入り組んでいるから、一度見失うと大変そう。だけど男が路地裏に入ってからは警戒をといたようで追うのは簡単だ。何度か曲がると、鉄の階段を上ってアパートの部屋に入っていった。ドアの横にはカラスのドアプレートがついている。男もカラスのバッジをつけていたし、男の働く会社だろうか。

「部屋の中も見る?」
「いや、大丈夫」
「あ、路地裏に誰か来た。黒いスーツの男」
「そうか。……ベルモットもそろそろ着くようだから、もう大丈夫だ」

 なにやら、これ以上見せたくないようなので素直に目を開いた。だけど透明の分身は路地裏のカラスの部屋の前に置いたまま。
 バーボンたちは目が赤くなければ千里眼を使っていないと思っているので、元の黒の目を見せて安心させた。だけどバーボンを見ているのと同時に路地裏も見ているのだ。

「ありがとう」
「まだ手帳戻ってきてないよ? ベルモットが着く前におじさんがどこかに行くかもしれないし」
「大丈夫さ、ベルモットだからね」

 黒い男は足音を立てずに階段を上ってカラスの部屋の前に着いた。

「ヴェネツィアは楽しかったかい?」
「うん!」
「それはよかった。そろそろ帰るから思い残すことのないようにね」

 黒い男がゆっくりと扉を開き、中に入った。分身の私もそれに続く。

「でもね、もっといっぱいジェラート食べたかった」
「はは、ジェラートなら帰っても食べられるさ」

 黒い男がリビングでくつろぐ小太りの男に背後から近づく。

「どうかしたのか?」

 小太りの男は頭から血を流して床に倒れた。発砲音は聴こえなかった。

「……ううん、なんでもない」

 黒い男は銃を仕舞い、ソファーの上にあるクラッチバッグからバーボンの手帳を取り出した。それで、ああ、この黒い男はベルモットの変装かとわかった。
 私には関係のない任務だと思っていたのに、まさか巻き込まれるとは。

「さっき、そろそろ帰るって言ってたけど、明日帰るでしょ」
「どうして?」
「なんとなく、そんな気がしたの」

 不審がる様子もなくエスプレッソを飲むバーボンと、ベルモットが戻ってくるまでたわいもない話を続けた。

ヒトリヨガリ