13
突然部屋にやって来た怖い顔した銀髪の男は、「日本へ発つ」とだけ言い放ち踵を返した。慌てて男のコートの袖を掴んで引き留めた。
「だ、誰が?」
「お前だ」
「私が……日本に? え、いつ?」
「今日だ」
「今日! うそ!」
寝転びながら食べていたポッキーの箱を投げ捨て、ベッドから飛び降りた。今日ってそんな急に言われても、と慌てていると銀髪の男に鞄をなげつけられた。これに入れろということか。男がどれくらい待ってくれるかわからないので、大慌てでクローゼットの中身を大事なものから詰め込んだ。
そんな出来事があったのが、もう5時間も前のこと。今は日本行きの飛行機の中。
突然来た銀髪の男にムッとしていたが、空港に着いて機嫌は急上昇した。滅多に乗ることがないプライベートジェットだったからだ。ソファーを倒せばフルフラットで広々としたベッドにもなるようで、乗ってすぐにベッドにして寝転んだ。
「ねえねえ、なんて名前なの?」
そういえば名前を聞いてなかったと思い出して声をかけたが男は答えない。想定内だ。目つきが悪くて不愛想だから、ほいほいと答えるとは思っていない。
「私は愛子って言うんだよ」
こっちが名乗ったんだから次はそっちだと番だという気持ちを込めた。男はやっぱり無言だったので、体を起こして少し離れた席に座る男の元に寄っていき、私も無言でじっと男を見た。
男は鬱陶しそうに私を見たあと、舌打ちしてから「ジンだ」と言った。
「ジンダさん?」
「違う」
「ジン?」
「そうだ」
名前が聞けたのでソファーに戻ると、お互い無言になり飛行機のゴーゴーという機械音だけが響いた。バーボンやベルモットも一緒ならもっとリラックスできたし、いっぱい喋れるんだけど初対面のジンと二人っきりだから気まずい。それにジンは喋りかけるなという空気を出しているから、なおさら気まずい。
しかたなくキャビンアテンダントさんを呼んで、カルピスを持ってきてもらった。愛想よく接客をするキャビンアテンダントさんに心が癒された。
だけど彼女が席を離れていくと、また気まずい雰囲気になった。
「ねえねえ、バーボンとベルモットは日本に行かないの?」
「あいつらは先に行っている」
「だから最近誰も来なかったんだ。それならそうと言ってくれればよかったのに! ジンも急に来るし、ビックリしたんだからね!」
聞けば答えは返ってくるけど、会話をしようと思っても続かない。別にバーボンとベルモットのことが気になっていたわけではないが、話題のために名前を出したけど反応が薄い。
だけど、今まで会った黒の組織の幹部の中で一番裏社会の人間っぽくて安心する。目付きは悪いし態度も悪い、愛想もない。そんな男が安心するなんておかしいけれど、どこか懐かしい感じもする。
子どもの姿になってから、じっとしているのが苦手になってしまった。ソファーベッドでごろごろしていても、もっと体を動かしたくてうずうずしてくる。
ジンにバレないように、そっとソファーから降りて別の席に移動したり、ジンに近寄ったりした。ジンは目を閉じていた。もしかして寝てるのかな? 好奇心に突き動かされて、ジンの目の前まで近づいた。穏やかな呼吸音が聞こえる。これは本当に寝ているのかもしれない。ジンのような近寄りがたい人が寝ている姿はとてもレアなので、ただ寝ているだけなのに珍獣を見るように四方八方から眺めていた。
「なんだ」
ジンが目を閉じたまま口を開いた。
寝ていると思っていたら起きていたなんてよくあるパターンだけど、ジンの口が動いた瞬間、心臓が飛び出しそうになった。
「う、ううん。なんでもないよ」
「なんでもないのに人をジロジロ見るのか」
ジンがゆっくりと目を開き、じろりと私を睨んだ。
蛇に睨まれた蛙のように、ビクリと肩が揺れた。睨む目から目をそらせずにいると、だんだん冷たく無機質な灰色の瞳の奥に懐かしい赤い瞳が見えた。
――ザンザス。
音のない声が出た。
訝しげに私を見るジンに気づいて、笑ってなんでもないと首を振った。もう怖い人という印象は消え去っていた。
「寝てるみたいだったから、疲れてるのかなって思っただけだよ」
「ふん。そんなこと気にしてる暇があったら寝てろ」
「じゃあ、ここで寝てもいい?」
ジンの横の席を指差した。
急に慣れ慣れしすぎたかな、さすがに怒られるかと怖くなってジンを見たが私のことを気にした様子もなく、ただ無表情のまま「俺はガキのお守りはしねえ」と言った。
まあそうだろう。これで「よしよし、横で寝てろ」なんて言われたら顔と性格が合ってなさすぎて怯える。
しかたないから「はーい」と軽く返事をして自分のソファーに戻った。
ジンがむやみやたらに私を殺そうとしないとわかったから安心だ。今はそれだけわかればいい。
安心したら眠気がやってきたので、ジンに言われた通り日本に着くまであと十時間以上を寝て過ごすことにした。