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早くターゲットが来ないかなと、千里眼も双眼鏡も使わずに目を凝らしてレストランの方を見た。サングラスで視界が悪くなっているのもあって、全然見えない。でも手持ちぶさたでつい見てしまうのだ。
おもむろに、握っていた私の手を離したバーボンは流れる動作で腕時計を見た。
「そろそろだ」
その声につられるようにバーボンに近づき、ぐいっとバーボンの腕を引き寄せて腕時計を見た。蛍光塗料が塗ってある時計は六時少し前を示している。結婚記念日のディナーにしては随分早い時間だ。このあとどこかに移動するつもりだったのかな。まあ、それは叶わないんだけど。
バーボンは私たちの名前を呼ぶと、「もう一度計画を説明します」と言ってゆっくりと私たちの顔を見た。
「ターゲットの藤原は六時に予約しています。到着したら僕が知らせます。夫妻はさっき確認した道路に面した窓の席に座るので、スコッチとライは注文を終えてウエイターが一度下がったあと狙撃してください。愛子は今日はこのビルの周辺を警戒してください」
キリっとした表情で私を見たバーボンは、続けて「今日は遠くまで見る練習をしててくれ」と言った。それに頷いてから遠くに小さく見えるレストランを見やった。レストランはここからだと遠くて、私が自己申告している千里眼の範囲外だ。だけど、すごく離れているわけではなく、前に私が無理だと言った100メートルくらいの距離。おそらく組織としては100メートルは見えるようになってほしいんだろう。
ターゲットの顔はバーボンが把握しているし、狙撃主は二人もいる。取り逃がすことはないだろうから私は練習しているフリでもして時間をつぶそうか。帰りのコンビニで買うものをでも考えようと思った瞬間、何か引っ掛かるものを感じた。しかしそれが何かを考えるのを阻むかのようにバーボンが「藤原夫妻が来た」と小さく呟いた。
バーボンは双眼鏡を覗きながら夫妻の行動の実況を始めた。
「今、店に入りました。すぐに席に着くと思います。……準備はできていますか」
「ああ、もちろんだ」
「俺も問題ない」
スコッチとライは窓際の席に照準を合わせたまま、じっとスコープを覗いている。
「ねえバーボン。ターゲットって男だけじゃないの?」
緊迫した空気の中、どうしても気になったことをバーボンに尋ねた。ターゲットが男だけなら狙撃主は一人で十分のはず。それなのにスコッチとライの二人がいるということはターゲットの奥さんも同時に殺されるということじゃないか。
私の予想通りバーボンはあっさりと奥さんも同時に始末することを告げた。
「じゃあ奥さんも裏切り者なの? でもターゲットは男って言ってなかったっけ」
「裏切り者は男だけだ。だが男が奥さんに何か話している可能性もあるからな。……まあ十中八九、あの男なら何も話してないだろうが」
それじゃあ一般人を一緒に殺すの、と言いかけた口を両手で押さえた。バーボンは双眼鏡を覗きこんだままで私の様子には気づいていない。
関係のない人を一緒に殺すのはダメだ。可能性だけで殺されるなんて、ボンゴレとして見ないふりできない。でも狙撃を止めることはできない。下手な動きをすれば私が怪しまれてしまう。どうやって助ければいいだろうとパニックになりそうな頭を抱えて思考を巡らすが、思いつく前にライが「来た」と呟いた。
夫妻が席に着いてしまった。もう猶予は残されていない。
とりあえず分身を飛ばそうと意識を集中させたとき、スコッチの肩が揺れた。寒いのかと思ってスコッチを見れば、狙撃直前だというのにスコッチはスコープから顔を離して私を見ている。その顔には困惑の色。
「スコッチ?」
「あ、いや、なんでもない」
なんでもないと言う様子ではない。スコッチはしきりに私とバーボンとを見比べている。バーボンもその様子に気づき、双眼鏡から目を離した。
「どうしたんですか」
「いや、なんでもない。……いや、バーボン、奥さんの方は本当に何も知らないのか?」
「おそらくは。ですがジンから二人とも始末するように言われているので、奥さんには申し訳ありませんが……」
「そうか……。ああ愛子、このビルの裏にある公園を見張っていてくれないか。もしかしたら不良が溜まっていて、誰かがこのビルに入ってくるかもしれないからな」
無理矢理、レストランから意識を逸らそうとしているのを感じた。
「ウエイターが戻ったぞ。バーボン、合図を」
ライの報告でバーボンが再び双眼鏡を覗いて、カウントダウンを始めた。
おかしい。バーボンはともかくスコッチが狙撃現場を見せないようにするとは思えない。もう何度か殺しの任務に同行しているんだから今さらありもしない裏の公園に意識を剃らせる理由はない。あるとすれば――。
バーボンがカウントダウンを終えたのと、私がレストランに分身を飛ばすのは同時だった。
「大月さん!!」
分身の目の前で、ターゲットの男が大月さんのことを愛おしそうに「楓」と読んだ瞬間、二人の額から血が噴き出した。二人の身体は同時に椅子から落ちた。
「大月さん」
今度は力なく彼女の名前を呼んだ。気づけば分身は消えていた。意識が乱れたから幻術を使っていられなくなったのだろう。
バーボンが驚いた顔で私を見たが、バーボンが動くより先にスコッチがライフルから離れて私のかけているサングラスを外して、大きな手で私の両目をふさいだ。
「忘れろ」
「大月さんはきっと何も知らないよ。いつも旦那さんが仕事で忙しくて寂しそうだった」
「愛子」
「旦那さんが仕事のこと何も教えてくれないけど、でもそれでも好きだって言ってたよ。幸せそうだった」
「愛子、何も考えるな」
大月さんはただの一般人だった。それなのに殺されてしまった。私が何か動けば助けられたかもしれないけれど、今さらそんなことを言ったってしかたがない。しかたがないことなんだ。
スコッチの手でバーボンがどんな顔をしているかわからない。ライはたぶん片付けをしているのだろう。そんな音がする。私を気遣うスコッチよりライの行動が正しい。早くこの場から離れる必要があるのだから。だから私も「大丈夫」と言って、目を覆うスコッチの手を外した。
「愛子」
「バーボン、大丈夫。大丈夫だから、早く帰ろう? 体が冷えちゃったよ」
「……ああ、そうだな」
関係のない人が巻き込まれることがあることなんて前から知っている。ここはボンゴレじゃないんだから、こういうことがたくさん起きるだろう。少し忘れていたから気が動転しただけ。大丈夫。
スコッチがベースケースにライフルを片付けたのを見計らって、バーボンが私の手を握った。「寒いんだろ?」と聞いてきているが、有無を言わさぬ顔をしている。無言で頷くと、もう片方の手をスコッチが握った。
「お前たち」
あぶれたライが呆れ顔で、私の頭上にある二人の顔を見た。けれど何も言わずに「さっさと帰るぞ」とギターケースを背負って屋上の扉を開いた。扉を出る前に、少しだけレストランの方を見た。ここからじゃ何も見えないし両手が塞がっているけれど、手を繋ぐ二人にバレないように目を閉じた。そして大月さんに黙祷を捧げた。
大月さんとの別れは少しつらいけれど、それ以上に両手が暖かい夜だった。