04

 誰かに呼ばれているような気がする。誰だろう。とても懐かしい声だ。ゆらりゆらりと揺れる蜃気楼のような姿を確かめたくて手を延ばすが、するりとすり抜けて掴めない。とても大切な人だった気がする。遠い昔、ずっと一緒にいたような、隣に立っていることが当たり前になっていた、そんな人だったはずだ。
 その人は私のことを「愛子」と呼んだ。私はベガであって愛子なんて名前ではないはずだ。だけど、どこかで聞いたことがあるような、懐かしい名前だった。

「愛子、愛子、ねえ起きてよ」

 急に声が鮮明に聞こえた。
 呼ぶ名前も、呼ぶ声も、すべて懐かしい。その声を聞いた瞬間、私の頭の中に様々な景色が流れ込んできた。
 ある日、突然ただの女子高生だった私が千年前のイギリスの森に飛ばされ、そこで四人の魔法使いと出会った。その四人は、私が昔から読み親しんでいた児童小説に名前だけ登場する人たちだった。私は小説の中に来てしまったのだと思ったがそうではなく、実は私は元々この世界の人間だったというのだ。驚いたけれど確かに私は魔法を操れて、それも普通の魔法以外の力も使えた。そうして彼らとともに喧嘩したり笑い合ったりしながら過ごし、当時迫害の対象であった魔法使いたちを保護し、正しい魔法を使えるように魔法学校を創設した。
 そんな私を日本の女子高生の時代から隣で支えてくれたのが――。

「……ソウ」

 目を開ければ、相変わらずな優男が私の顔を覗き込んでいた。

「愛子! やっと起きた! 俺がどれだけ暇だったかわかるか? もう千年だぞ。そんな長い間待たせるな」

 黒髪の青年はわかりやすく怒ってますと顔をしかめている。懐かしい顔だ。それに懐かしい部屋だった。ともに魔法学校を創設した四人のうち、一番気の強かったゴドリックという男から譲り受けた部屋だ。私はその部屋にあるベッドで寝ていたようだ。
 あの頃と何も変わっていないソウを見ていると、自然と涙が零れてきた。嗚咽を漏らしながら泣く私にソウは驚き、顔が隠れるように布団で覆ってくれ た。

「泣くなよ。愛子が泣いたら俺が怒れなくなるだろ。……ったく、お前が泣いたら困るんだから」

 呆れた風に言うが、私の頭に置いた手は優しく私の頭を撫でていた。おもむろにソウは水が入ったコップを魔法で出した。その魔法は最後に見たときより何倍も巧くなっていた。当たり前だ。――私がいない長い間もソウはここに存在し続けていたのだから。私と一緒にこの世界に来てしまったせいでソウは実体を失ってしまった。私の持つ魔法とは違った力のおかげで存在が消滅することはないが、その代わり亡霊として存在し続けなければならなくなってしまった。
 ソウは水を入れたコップを起きあがらせた私に渡しながら「愛子様、おはようございます」と含み笑いで言った。また、じわりと視界が歪んだ。それはこの世界に来る直前のまだ女子高生だったときの朝と、そしてこの世界に戻ってきて初めて迎えた朝にソウが言った悪ふざけの言葉だった。

「その水を飲んだら、今までのことも、これからのことも話すから」

 とても真面目な顔で言うので水を一気に流し込むとソウは苦笑した。ソウは私の手から空になったコップを抜き取りサイドテーブルに置いた。

「まず、愛子がいなくなって少ししてからロウェナが亡くなった。愛子がいたときから病気がちだっただろう? もちろん愛子のせいなんかじゃない、だからそんな顔をするな。……ああ、そうだロウェナ病気で部屋から出られないようになってから、前から作っていた組分け帽子を使って組分けをすることになったんだ」
「そっか、組分け帽子ちゃんと使えるようになったんだ」

 脳裏に静かに微笑するロウェナの姿が浮かんだ。四苦八苦しながらゴドとロウェナが頭を悩ませていた組分け帽子が、ロウェナが生きているうちに使えるようになってよかった。

「ヘルとゴドリックは長生きした。それはもう『みんなの分までホグワーツを見守るんだ』って言ってしわしわになるまで生きてたよ。まあ俺はロウェナが亡くなってから暫くして、ヘルたちと離れて生活することにしてたから詳しいことはわからないけど」
「え? 離れて生活って何か問題でもあったの?」
「いや、特にそういうわけじゃないけど、……なんて言うかな、俺は人間じゃないのにみんなといたら人間だと思ってしまうときがあるから」
「そんな……そんな言い方」
「ちょっと待て、たぶん誤解しているだろうけど、悪い意味で言っている訳じゃないんだ。生徒の中にも友達だと言えるやつらはいたさ。そいつらとは一緒にいた。卒業して、そいつらが死ぬまで友達だと言える関係でいたけど、ゴドリックとヘルは違うんだ。二人といると愛子やサラザールと一緒にいたことを嫌でも思い出すんだ」

 サラザールと仲の良かったソウが、サラザールがホグワーツから去るときにどれほど悲しんだか思い出した。本当に私はソウに酷なことをしている。私のせいで消滅しない身体になったために、長い間私たちの代わりにホグワーツを見守っていてくれたのだから。

「ありがとう、ソウ」
「俺がやりたくてやってるだけだから気にするな」
「でも、本当にありがとう」

 照れ笑いを浮かべるソウに釣られて私も笑顔になった。

「最近胸騒ぎがしていて毎朝この部屋に来てたんだけど、今日来たら愛子が寝てたっていうわけだ。……で、これからのことだけど」
「ちょっと待って、その前に私の今までのことを話しておきたいの」
「愛子の今までのこと?」
「そう。私、どうやら時代を越えるときの影響か、今の時代に来たとき子供になってたの。昔の記憶もなくなっていて、魔法使いの夫婦に助けられて五歳まで過ごしていたんだけど、その家に私が昔かけた魔法がかかった物があって、それに引きずられてここに戻ってきたの」
「それにしては中途半端な大きさだな」
「元は二十代、この時代に来て五歳で記憶が戻ってここに飛ばされたはずなのに、今の姿は……小学校高学年?」
「だな。あれじゃねえ、ホグワーツに生徒として入学してみろっていうお告げ?」
「それも面白そうだけど」

 果たして今更、魔法を勉強する必要があるのだろうか。そんな疑問を抱いたが、みんなと作り上げたホグワーツに生徒として通ってみたいという気持ちの方が強かった。その気持ちをソウに伝えると、ソウは「じゃあ、俺から校長に言っとくから」とあっけらかんと言った。昔からこういうやつだったけれど、長い時間生きることによって図太さも身につけたように感じた。

ヒトリヨガリ