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今日は朝から嫌な予感がして、もやもやした気持ちが晴れることがなかった。何も起こらないようにと細心の注意を払って午前の授業を受け、昼飯を食べようと一人で長屋を抜け食堂まで歩いていると、食堂の近くの物陰から険しい顔をした天女が歩いてきた。最近、天女からあまりよく思われていないようなので、何も起きないように顔を反らし素知らぬ顔をして通りすぎようとしたが、天女の向かって右側を素早く通ったとき、強い力で左腕を掴まれた。
顔を天女に向けると、憎悪を表した天女の顔と向き合ってしまった。
普段にこにこと笑っていた天女がこんな顔をするなんて、やっぱり俺は何かしてしまったのだろうか。祟られやしないかと心臓が痛くなる。
「市蔵、くん」
「……はい、何かご用でしょうか」
「ちょっとだけでいいの。時間ある? 市蔵くんに確かめたいことがあるの」
「昼飯を食べないといけないので、食べる時間さえ残していただけたらありますよ。『ちょっと』というのはどのくらいでしょうか」
「四半刻もかからないわ」
「そうですか……。それでは大丈夫ですよ」
「よかった。じゃあ……あそこの部屋を使いましょ。今の時間なら誰も使わないはずだから」
指差された長屋の部屋に入ると天女は障子を背に立ち俺を睨んだ。しばらく見つめあったが、天女が嘆息した。眉間をきゅっと歪めると、哀愁を漂わせて俺に一歩近づいた。
「市蔵くんは、本当に、男なの? 本当のこと教えて? いいの、市蔵くんが女でも。ただ知りたいだけなの」
「……どうして優子さんは俺の性別を気にするんですか? 俺が女だったら何か問題があるんですか?」
「問題……。そうね、問題があるってことになるのかもしれないわ。私は十日ほど前から市蔵くんが女かもしれないって思って、市蔵くんが男か女か考えているとだんだん何を信じればいいかわからなくって……疑心暗鬼になるの」
十日ほど前といったら、ちょうど天女が先輩方に俺の性別を聞き回っていると言っていたころか。
苦しそうに目を細めた天女はまた一歩俺に近づいた。
「ねえ、本当のことを言って」
「本当のことって言われてもですね……」
何やら良くないことが起こりそうな雰囲気に、そろりと天女から遠ざかろうとしたがそれは叶わず、天女の小さな手が俺の胸ぐらを掴んだ。天女が怪我でもしたら大問題だから無理に力づくで離すこともできない。どうにか穏便に済ませたいが、考えを巡らすが何も思い付かない。そもそも、どうしてそんなに俺の性別を気にするのか、天女が何に苦しんでいるのか、何もわからないんだから解決策なんて見つかるはずがない。
ぎゅっと天女が手に力を込め俺に体を近づけたそのとき、閉ざされていた襖が開いた。
「ゆ、優子さん?」
「留三郎くんっ! ……文次郎くんに立花くんも……」
天女は先程までの強張った表情から一転、生気の抜けたような表情になった。俺の胸ぐらを掴んでいた手はだらんと力なく落ち、よろよろと俺からも先輩方からも遠ざかっていく。
「どうして、そんな……」
まるで今から裁かれる罪人のような様子に、ますますわけがわからなくなった。食満先輩も江先輩も、天女に盲目的なほど惚れている。いくら俺の胸ぐらを掴んでいるところ見られたからといって、天女が責められはしないだろう。なんなら、先輩方なら俺に「優子さんに悪戯したのか!」と言ってきそうだ。それなのに、天女の顔には恐怖の色がはっきりと表れている。
「どうしてって……。俺たちは今朝、優子さんが『市蔵に呼ばれた』と言っていたと聞いて、心配して探していたんですよ。市蔵は悪いやつではありませんが、悪戯小僧ですからね」
「そして滝夜叉丸に市蔵がまだ昼餉を食べていないと聞いて慌てて探したわけですが、いったいどういうことですか。なぜ優子さんが市蔵を掴みかかっていたんですか。なにか市蔵にされたのですか?」
食満先輩と潮江先輩が心配そうに尋ねるが、天女は力尽きて地べたに座り込んでしまった。いったい天女はどうしたというのだ。