20
虚ろな目の天女が畳の上に座り込んだまま、俺の足に掴みかかって来た。力はあまり入ってないので痛くはない。
「だって、だってだって! 市蔵くんが男か女か正直に言ってくれないのよ」
だから、俺の性別がいったいどう関係するのだ。自分で先輩方がここへ来るように仕向けておいて驚いているし、天女は錯乱しているのか。
一生、堂々巡りをしそうな天女の様子に立花先輩は嘆息をもらした。
「優子さん、私たちは何度も市蔵は男だと言いましたが?」
「本人から直接聴かないと信用できないわ! ……それに市蔵くんが女じゃなかったらおかしいもの」
俺が男だとおかしい? 今まで生きてきて、そんなことを言われたのは初めてだ。先輩方も意味をわかりかねているようで、顎に手をあて考えている。
「どうして優子さんは市蔵のことを邪険に扱うのですか? 市蔵は委員会は違いますが俺の後輩に違いはありません。意味もなく大事な後輩のことを嫌ってほしくはないです」
「留三郎くん……。だって、市蔵くんは私のこと嫌いなんでしょ?」
「は?」
呆けた声が出た。いやいや、誰が天女のこと嫌いだって? 俺は別に嫌っていないし綺麗な人だ程度にしか思っていない。面倒だと思うことは多少あるけれど。今だってそうだ。
どこで誤解したのかはわからないが、とりあえず俺は天女が嫌いではないと説明すると、カッと恐ろしい形相で天女に睨まれた。
「そんなわけないじゃない! 今さらそんな嘘つかないでよ。あなたは男のふりしてて、後から来た私がみんなに好かれているのが許せなかったんでしょ!」
「え、いや、俺は正真正銘男で、別に優子さんが好かれていようと俺は特に何も思ってない、です」
「嘘よ。私のことが許せないから、みんなの補整を解いていったんでしょ! だからみんな委員会に戻ったんでしょ」
「ちょっと待ってください優子さん。落ち着いて話し合いましょう」
いくら優子さんに詰め寄られても、優子さんの言っていることが一つも理解できないのだからこの問題は解決しない。先輩方も同じ考えだったようで、一先ず場所を変えてきちんと話し合うことにした。
話し合いの場に選ばれたのは作法委員会の活動場所だった。距離が近いのとゆっくりと話せるからだ。
立花先輩が人数分のお茶を配り、一息ついてから俺は天女に向き合った。先手を打たねば。
「まず、前提として俺は男です。そして優子さんのことが嫌いでもなく、危害を加えるつもりもありません。これは嘘ではありません」
「優子さん、市蔵の言うことは私たち六年生が本当だと保証します。なあ、文次郎」
「ああ。市蔵はいたずらは好きですが、危害を加えることはしないやつです」
立花先輩と潮江先輩の助け船のおかげか、天女は何も言わない。
「では優子さん、私からあなたに訊ねたいことがあります。先程の補整が解けてみんなが委員会に戻ったとはどういう意味ですか?」
「……みんなが私に夢中で委員会に行かなくなったから、市蔵くんが怒ってみんなの補整を解いて委員会に戻したんでしょ? だからみんな急に冷たくなったんでしょ」
まだわからない。天女が何か――天女の言うところの補整――をしたために先輩方は天女のことが好きになった? そして委員会に来なくなったのに腹をたてた俺が、先輩方の補整を解いていって先輩方は天女に興味がなくなり委員会に来るようになった? 天女の言っていることを考えれば考えるほど頭が混乱する。
「ふむ、補整を解くということがわかりませんが、こいつらが委員会活動を再開したのに市蔵は関係ありませんよ」
「どういうこと?」
「学園長先生が思いつきで委員会の最上級生に休みを与え、そして上級生が卒業したときに困らないようにと下級生だけで委員会をするようにというお達しが出ていました。優子さんがいらっしゃった日の前日の朝のことです」
立花先輩が説明を始めると天女は「え?」と、わけがわからないと言いたげな顔をした。俺も同じ顔をしている。なんだそれは、聞いてないぞ。
「しかし、ただでさえ人手が足りない委員会。朝の時点ではみな反対しておりました。そこで少しの手伝いならしてもいいという許可が下りたのですが、優子さんがやってきて事態は一変しました。これ幸いと最上級生が下級生に助言しか行わず、優子さんと共にいようとしたのです。急なお達しで先生方も手が回らなくて大変なことになりましたよ」
処分を下さないから、何かあるんだということは感づいていたけれど、そんな理由があったとは。なんで下級生に内緒にしていたんだ、と先輩方を恨むのこもった目で見ると、食満先輩が「優子さんがいらっしゃる前に知らされていた委員会の生徒は知っているんだ」と笑った。つまり恨むなら、ややこしいことになる前に最上級生の有給休暇を連絡しなかった鉢屋先輩を恨め、ということか。
「とは言っても、最上級生が抜けるというのは痛手なので、これ以上は持たないと思った委員会から最上級生の活動が再開され、そしてもう十分だと学園長が判断されたときすべての委員会が通常の活動へ戻るという仕組みになっていたのです。わかっていただけましたか?」
天女は目を回している。その目には、じわっと涙が浮かんでいる。
「そ、それじゃあ、みんなは私のこと好きじゃなかったの?」
「なっ、俺は優子さんのことが好きですよ!」
「お前より俺の方が優子さんのことが好きに決まってるだろう文次郎!」
「なんだとぉ!」
「でも、私より委員会の方が大事なんでしょ」
潮江先輩と食満先輩がぽかんと口を開け天女を見た。
「どちらが大事とかではなく、委員会は忍たまとして当然のことですから。用があって数度休むことはできても、そのような私情で委員会を疎かにすることはできません。学園長先生からのお達しで優子さんと一緒にいられると喜びましたが、これ以上後輩に無理はさせられません」
きっぱりと潮江先輩が言い切ると、急に天女が立ち上がった。そして大きな声で「帰る」と叫んだ。いきなりのことで固まる俺たちを尻目に「一番に愛されてないなら帰る。市蔵くんにももう嫌われただろうし、今さらここにはいられない」ときっぱりと言い放ち障子を開け、外に飛び出した。慌てて追いかけて外へ出ると、天女が透けていた。
「天女」と信じていなかったわけではないが、摩訶不思議を目の当たりにして、ようやく本当に天女だったのだと息を飲んだ。そして足がすくんだ。
「は、え? 優子さん?」
「文次郎くん、いろいろありがとうね。留三郎くんも。もう嫌われちゃったかもしれないけど、この一カ月間楽しかったよ。みんなにもごめんとありがとうって言っといて。私はもう帰るね」
「帰るって……」
「元の世界よ」
すうっと消える瞬間、天女は「市蔵くんルートでいきたかったなあ」と謎の言葉を残して、跡形もなく消え去った。その最後の天女の顔は、俺が今まで見てきた天女の中で一番きれいに笑った顔だった。