06

 準備は整った。あとはターゲットを待つだけだ。
 息を殺し、着物の袷を直していると、障子に人影が浮かび上がった。

「竹谷八左ヱ門です」
「待ってたわ。どうぞお入りになって」

 ゆっくりと開く障子から顔を覗かせた竹谷先輩の顔は緊張の色に染まっていた。そして差し出された文は確かに俺が竹谷先輩の部屋に忍ばせたもの。

「やはり、この文は……小田さんが?」

 そう、俺が、小田真希さんのふりをして。竹谷先輩は、目の前の小田さんが変装した俺だと気づいていない。
 竹谷先輩に小さく頷いてから先輩にしなだれかかると、なれたように肩を抱かれた。まったく、なぜ小田真希さんはこんなことをしないと気づかないのだろうか。顔が隠れているのをいいことに呆れた顔をしていると、急に顔を上げさせられた。
 さすがに気づかれたかと焦ったが、竹谷先輩の顔は完全にこのあとのことしか考えていない顔だった。

「今宵は、竹谷ではなくハチと呼んでくれませんか?」
「なら、私のことは真希と呼んでください。今夜だけは天女ではなく、ただの女でありたいの」
「はい、……真希さん」

 目を潤ませ、じっと竹谷先輩もといハチを見つめると少しずつ近寄るハチの顔。「だめ」と顔を背けても、「何を今さら恥ずかしがっているのですか」と返された。口吸いくらいしてもいいが、そのあとに言われた「恥ずかしがる真希さんも……可愛らしいですね」という言葉に鳥肌が立ち、うっかり先輩の腹に一発打ち込み気絶させてしまった。

「あっちゃー、やっちゃった!」
「やっちゃった! じゃないだろう市蔵」

 天井板がずらされ華麗に降りてきた鉢屋先輩は竹谷先輩の様子を確かめ、起こさずそのまま部屋の中心部にある布団に寝かせておいた。

「尾浜先輩! 早く降りてきてくださいよ。賭けは俺が勝ったんですから約束通り天乱子堂の団子買ってきてくださいね!」

 未だに降りてこない尾浜先輩に声をかけるが、笑いが止まらないようで、喘ぐような笑い声が聞こえる。

「それにしても、引っ掛かるとは思っていたが、ここまであっさりいくとは思わなかったな」
「竹谷せんぱ、おっと……ハチには理性ってものがないんじゃないですか? さながら動物のように」
「くっくく、本当にな」
「三郎三郎、さっきの八左ヱ門の真似して!」
「うーん? 『何を今さら恥ずかしがっているのですか。……恥ずかしがる真希さんも……可愛らしいですね』」

 さすがは鉢屋先輩。一瞬で竹谷先輩に変装すると、さっき俺に迫ったときと同じ顔、口調で竹谷先輩を演じた。するとまた尾浜先輩は息も絶え絶えに笑いだし、床にうずくまった。

「やばいっ、それやばいよ。あ、明日、他のやつにも見せてやってよ!」

 笑いから解放された尾浜先輩は上機嫌で竹谷先輩を叩き起こすと、「本当に八左ヱ門はバカだね」と言って颯爽と部屋から出ていった。
 状況が掴めていない竹谷先輩の顔をこちらに向けて、くるりと回り素顔の俺に戻ると竹谷先輩は目を見開き崩れ落ちた。

「お、お前か北野!」
「やだー、今夜は真希って呼んでくださいよ、ハチ先輩」

 誰が呼ぶかー! という叫び声に笑いながら鉢屋先輩とともに部屋を後にした。
 単に竹谷先輩で遊んでいたのではなく、変装の練習の一貫だ。鉢屋先輩は道すがら俺の変装のダメ出しをする。
 俺は、架空の女性に化けることに関しては忍術学園一だと自負しているが、実在する人物となると先輩方には敵わない。そこを強化したくて竹谷先輩には犠牲になってもらった。

「観察が足りないところがあるから、今度、乱太郎に教えてもらうといい。乱太郎は素晴らしい観察眼を持っているからな」
「はーい」

 忍たまの友にたくさんメモが増えた。俺だけの教科書に仕上がっていく。大切なそれを懐に仕舞った。

「市蔵、今日は仕方ないにしてもあまり天女の変装はしない方がいい。また面倒ごとに巻き込まれるからな」

 鉢屋先輩は心配そうな顔で俺に釘をさした。俺が小田さんに変装したいと言ったときも、鉢屋先輩は乗り気じゃなかった。尾浜先輩に押しきられたし、やってみたら鉢屋先輩もノリノリだったがやっぱり引っ掛かるところがあるのだろう。
 俺だって天女を怒らして天罰を受けたら困るが、小田さんはたぶんこういうことでは怒らない。その自信があったからお願いしたのだ。だけどそれは、俺ほど小田さんと仲良くない鉢屋先輩ではわからないこと。
 だから俺は鉢屋先輩の心配を素直に聞き入れ、「わかりました」と頷いた。それで先輩が安心するならお安いご用だ。

ヒトリヨガリ