10
夕食後、五年生の見知らぬ先輩に呼び出された。呼び出されたと言っても先輩の口調は軽く、てっきり女装についてのレクチャーか何かをしてほしいのかと思ってついていくと、使われていない教室には小田真希さんと三人の先輩がいた。俺を案内した先輩は、俺が教室に入った後、扉を閉めて小田さんの近くへ歩みを進めた。
小田さんからは、ものものしい雰囲気が感じられる。立花先輩の言っていた不穏なことが起こるのかと僅かに緊張したが、その近くにいる先輩方の表情はゆるく、いったい何の用があるのか皆目検討もつかない。
「あのね、北野くんにちょっと言いたいことがあって来てもらったの」
「何ですか?」
「……北野くん、ちょっと調子に乗ってるんじゃないの?」
「調子? 別に乗ってるつもりはありませんが」
「嘘よ!」
ずいと近づき下から睨み付けた小田さんは、ちらりと後ろにいる先輩方に「ねえ?」と同意を求めたが、肝心の先輩方は「え? そうだっけ」と首を傾げている。
「乗ってると言えば乗ってるんじゃない?」「いや、それなら他のやつだって」「確かに北野が特別ってわけじゃないな」なんてごちゃごちゃ言っている。まるで食堂か長屋で雑談している雰囲気で、小田さんとの温度差がすごい。
「なっ! だって私が北野くんのこと聞いたら『先輩に対して礼儀がない』とか『何度か悪戯された』って言ってたじゃない!」
「あー……それも含めて可愛い後輩だと思ってるんです。な?」
「そうそう。俺たちは真希さんが北野のことで愚痴を言いたそうだったんで、とりあえず話を合わせてたってところです」
「だよな?」「なー」と仲良さそうに先輩方が頷き合う。
一年は組のよい子たちがとんでもない失敗をしても先輩方は怒りこそすれ嫌わないように、喜八郎が大量の落とし穴を作っても後輩や先輩方が叱りこそすれ嫌わないように、七松先輩が無茶なことをしても後輩たちが困りこそすれ嫌わないように、俺はこの学園のみんなから嫌われてはいない。怒られるけれど。
一向に味方をしない先輩方にしびれを切らせて小田さんはぷるぷると震え、ゆっくりと俺に近づいてきた。そのまま軽く手を伸ばせば触れ合うほどの距離まで詰め、止まった。顔は表情を欠落しており、瞳からは憎悪と少しの不安の色が読み取れた。
嫌な予感がする、と思い半歩後ろへ下がったのと同時に小田さんは隠し持っていた小刀を俺に向けてきた。しかし素人と忍たまでは差がありすぎる。いくら距離を詰めていたとはいえ、遅すぎる攻撃。小刀を持つ手を叩くと簡単に手から滑り落ちた。
「真希さん、さすがに天女様といってもそんなことをなさると忍術学園にいられませんよ」
「そうですよ。北野は立花先輩と仲が良いんですから立花先輩が怒りますよ」
「落ち着いてください!」
先輩方が小田さんを宥めるように言うと、小田さんは「あんたたち、このことを誰かに言ったら……わかってるでしょうね?」と睨みつけた。だけど迫力はない。小田さん自身もどうしていいかわからないという様子だ。衝動的な犯行というやつか。それにしたって考えがなさすぎる。実力を見誤るのもダメだし、味方選びもなっていない。小田さんは忍者になれないな。なりたくもないかもしれないが。
そんなことを考えている間に、小田さんは小刀を拾って懐にしまい、力ない足取りで部屋から出ていった。
「いやいや、真希さんがどうやったって忍たまには勝てないぞ」
「だよなー。そんな脅しが効くわけないよ」
「なー」と、またしても仲良さそうに頷き合ってから俺に向かって「心配するな」と言った。
先輩方は相変わらず緊張感のない顔をしている。
「確かに北野のことは、先輩に対して悪戯仕掛けるなんて礼儀がないなとか思ってるけど、それでも可愛い後輩だからな。ちゃんとこのことは立花先輩に報告してどうにかしてもらうさ」
「まったく、私の可愛い後輩をばかにして。あの天女には少し灸を据えなければならないな。なあ? 市蔵」
随分と馴れ馴れしい先輩だ。そう思って先輩をじっと見つめると、「わからないのか?」と笑われた。
「え、あ、まさか……鉢屋先輩ですか?」
「だーいせーかーい」
そう言いながら先輩は気の抜けた声とともに顔をべりっと剥がし、いつもの不破先輩の顔になった。いつ見てもあっぱれだ。
「というわけで、天女の所存はこれから先輩方と決めるから、市蔵はのんびりとしておきなさい」
「はーい」
じゃあ、と部屋から出ていく先輩方を見送った。
一人になった教室で、俺は天女に嫌われる運命なのかと少しだけ落ち込んだ。仲良くしたいと思っているのに。