09

 すぐに行動したのが功を奏したのか、あれから恵子ちゃんはあまり落ち込むことなかった。それでも様子が気になって時間があれば会いに行った。
 話し合いは延期になったけれど、恵子ちゃんが自由を手にしたわけではない。混乱を生まないためにも、恵子ちゃんは一人で学園内を歩き回ることができなくなったのだ。それに事務や食堂の手伝いも制限されて一人ぼっちで暇を持て余していた。
 これは俺が一肌脱がねばならないと意気込んだ。なんたって俺はいたずら好きと悪名高い北野市蔵。こういうときに人を楽しませなかったら、その名が廃る。
 手早く女装をしてから、獲物を探して学園内をうろついた。そして、凛とした後ろ姿を見つけ、すぐに食堂に寄って道具を手に入れてから恵子ちゃんの部屋に飛び込んだ。

「恵子ちゃん! 今すぐ中庭に来てください!」
「え、市蔵くん? な、なにが……」
「ほら、早くしないとどっか行っちゃうから」

 困惑している恵子ちゃんの手を掴み、問答無用で外に連れ出した。
 頭の中で獲物が歩いているだろう場所を割り出し、先回りして大きな木の裏に恵子ちゃんと一緒に隠れた。

「恵子ちゃんはここで見ていてくださいね」
「な、何をするの?」
「俺の十八番、いたずらですよ」
「わざわざ女装して?」
「そう。ただ、今日の女装はおまけでしかないですけど」

 こそこそと説明していれば、微かにジャリッと砂を踏む音が聞こえた。
 そっと木陰から顔を出せば、思った通り久々知先輩が通りがかった。きっと火薬倉庫に行くところだ。

「えっ、久々知くんにいたずら仕掛けるの?」

 目を見開いた恵子ちゃんが「女装? 色仕掛け? 引っ掛かるの?」と、たくさんハテナを飛ばしている。
 俺はニヤリと笑うと、懐から食堂で拝借したブツを取り出して恵子ちゃんに見せた。まさかという顔をした恵子ちゃんだったけれど、すぐに破顔して頷いた。
 そして距離を見定めて、ブツを掴んだ右手を振り上げて久々知先輩の前に躍り出た。

「幸せを届けに来ましたー!」

 きょとんとした久々知先輩の顔に、ブツを叩きつけた。
 先輩の顔が白に染まり、静寂が訪れた。時が止まった。
 しばらくしてようやく先輩が「食堂の豆腐かあ」と、のんきに声を上げた。途端に木陰から恵子ちゃんの噴き出す声が聞こえた。止まっていた時間が動き始めた。
 俺が久々知先輩の顔から手を離すと、先輩はぱくぱく顔に付着した豆腐を食べだした。

「そ、それも食べるんだ……」

 木陰から出てきて驚く恵子ちゃんに、俺の「久々知先輩ですからね」と久々知先輩の「食べ物を粗末にしてはいけないだろう」が重なった。それにまた恵子ちゃんが笑った。

「それで、どうして北野が食堂の豆腐を持っていたんだ?」
「え、久々知くんは顔にぶつけた理由よりそっちが気になるの?」
「無断で持ってきていたら問題ですからね」
「久々知先輩、それは人聞きが悪いですよ! 恵子ちゃんに誤解されたらどうするんですか。……その豆腐は前に食堂のおばちゃんに頼まれごとをしたときのお礼としてもらったんです!」
「わざわざ豆腐を?」
「わざわざ久々知先輩にぶつけるための豆腐を、です」

 俺と先輩のやり取りが面白かったのか、それとも真面目な顔で喋りながらも豆腐を食べ続けているのが面白かったのか、恵子ちゃんは「ふふ」っと頬をゆるめた。

「用事がこれだけなら、俺はもう行ってもいいか?」
「はーい」

 ちゃんと豆腐が地面に落ちないように、食べ物を粗末にしないように考えて絶妙な力加減で叩きつけたおかげで久々知先輩が俺にとやかく言うことはなかった。

「久々知くん、まったく怒らなかったね」
「怒るわけないじゃないですか。俺は先輩に幸せを届けたんですから」

 胸を張って言うと、恵子ちゃんは「そういえば、どうして女装したの?」と首を傾げた。
 先輩がまったく触れてこなかったから、すっかり女装していたことを忘れていた。ぱぱっと女装を解いてから、「油断を誘うためというのが建前で、本当のところはどうせ顔面豆腐を受けるなら可愛い子にやってもらいたいかなっていう親切心です」とキリッと答えた。

「久々知くん、全然気にしてなさそうだったけどね」
「ですね。さすがに驚きました」
「でも久々知くんらしいね」

 くすくす笑う恵子ちゃんに一歩近づいて顔を覗き込んだ。
 顔色良好。表情も明るい。

「ど、どうしたの?」
「いえ、元気そうで安心しました!」
「……市蔵くんのおかげだよ」

 嬉しい言葉に満面の笑みを浮かべると、恵子ちゃんはたじたじと着物の袖を手で弄った。
 一つ修羅場を乗り越え、なんだか前よりも仲良くなれるような気がした。

ヒトリヨガリ