09
一年は組のよい子たちの遊ぶ声を聞きながら木陰で目を閉じて寝転がっていると、ザザッザザッと足音が近付いてきた。うっすら目を開けると近付いてきたのは天女で、それはつまり俺のつかの間の平穏の終わりを意味する。
「市蔵くーん! こんなところにいたんだ。今、時間ある?」
また今日も天女に引き留められる。毎日毎日、いったい何が目的なんだ。「時間ある?」と聞いてくるが、いつも何も用がないときに話しかけてくる。事前に俺の予定を聞いているのだろうか。
「はい、今日はもう授業がありませんから、しばらくなら大丈夫ですよ。何かご用ですか?」
「あのね、今日は市蔵くんのためにボーロを作って来たの!」
「本当ですか! 嬉しいです!」
天女から受け取ったボーロは見るからに失敗しました! とわかる物に顔が引きつる。だけど面倒を起こしたくないので口に含む。ぬちゃっとした食感に吐き出したくなるが我慢して唾液を含ませ数度咀嚼して飲み込む。
俺は天女に嫌われているのだろうか。思わずそう考えてしまうボーロだ。だけど実際は嫌われてはいないのだろう。それは天女の溢れる笑顔を見ればわかる。天女から質問攻めを受けているうちに、だんだん天女は俺に懐いていた。自分のことを好いているか邪険に扱うかの両極端な生徒ばかりだから、俺みたいに適当な距離で応じてくれるのは珍しいのだろう。
「いつもね、市蔵くんにお世話になっているから、そのお礼なの!」
「お礼をいただくほどのことはしていませんよ。……でも、ありがとうございます」
頑張って笑顔を作る。まだ口の中にボーロの残骸が残っているから、いつものように自然と笑えない。天女は「えへへ」と照れたように笑う。やっぱり悪意があったわけではない。だが、これは許されることじゃない。ボーロに対する冒涜だ。俺に対する暴力だ。
無理だ。これ以上は食べられない。「勿体無いのであとで食べます」なんて言って懐紙で包んだ。あとで竹谷先輩にでもあげよう。
「ねーえ、市蔵くん。……市蔵くんは恋人いないの?」
上目遣いで俺を見る。俺はすぐさま周りを見回した。こんなところうっかり天女に惚れている先輩方に見られたら殺されかねない。
「恋人、ですか。……恋人はいませんね」
「『恋人は』って言い方が怪しーい!」
「あくまで友人ということですよ」
友人というよりも幼なじみであるけれど。俺には周りからよく恋人かと訊かれる幼なじみが一人いる。
しかしあいつは悪友であって恋人ではない。幼なじみはくのたまなのだ。
「そっかー。安心した!」
何に安心したかはわからないが天女がそう言うなら別にいいや。踊り出しそうくらい幸せそうだ。「ねえ、明日もお喋りしましょう」と両手を合わせて楽しそうに笑う。
「市蔵くんと一緒にいたくて。市蔵くんと一緒にいると落ち着くんだよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
口から出任せ、社交辞令、八方美人。そんな今の状態を忍者らしく言うと喜車の術をかけていると言う。喜車の術、相手を喜ばせて思い通りに操る術。なんて素敵な術だ。
俺は喜車の術や怒車の術など、所謂相手を口車にのせて有利に事を進めることを得意としている。
「市蔵くん……」
呟くように俺の名前を囁くと、天女が俺の肩に寄りかかってきた。どういう状況だと驚いて首を捻ると、どうやら天女は寝ているらしい。
年ごろの女ならこんな場所で寝るなんてはしたないが、口うるさくしたところで俺が疲れるだけなのだろう。まったく世話の焼ける天女だ。肩に寄りかかったままでは疲れるだろうと天女の肩を掴んでゆっくりと体を横に倒す。天女も悪い奴ではないから膝枕くらいは許してやろう。