08
朝、タカ丸を起こして一緒に食堂に向かっていると、同じく食堂に向かう滝を見つけて合流した。宿題は終わっているか、今日は焼き魚の気分だとか、とりとめのない話をする。頭がまだ完全に覚醒していないから、みんな返事も適当だ。
「あ、天女がいる」
廊下の前方に天女を発見。一本道のため回避はできない。
「なんだか困ってるみたいだねえ」
天女は紙を握りしめて、ふらふらと進んだかと思うと立ち止まって立ち去ってはくれない。
「どうする? 市蔵」
「滝はどうしたい?」
「見なかったフリ、……にはできないだろうな」
はあ、と嘆息をもらす。
まあまあ、そんなに嫌がらなくても。そう思うのは俺に何の被害もなく、且つなぜか好かれているからだろう。好意的な態度を示されて嫌な気はしない。
滝は引き返りたそうだったが、残念なことに踵を返す前に天女が振り返った。あたかも、たった今天女の存在に気がついたように「あ! 天女さま」と声をあげてから駆け寄る。
「どうしたんですか?」
「市蔵くん……。滝夜叉丸くんとタカ丸くんも」
「何かあったのですか?」
泣き出しそうな天女に、滝もさすがに良心が痛むのか心配そうだ。
「じ、実はね、こんなものが部屋にあったの」
天女が見せたのはずっと握っていた一枚の紙だった。そこには天女の一日の行動が書いてあった。起床時間から、行動やら誰と何をしているかまで。ここ数日のことが、ぎっしりと書き連ねられている。一つひとつは簡潔だが、余白がないくらい書かれていると恐ろしい。こんな紙が部屋にあったら怖いだろう。
「見張られていますね」
俺が言うと天女の顔は真っ青になった。
「なんで! 誰が!?」
きんっと悲鳴のような声。
そんなこともわからないのかと言いたげな滝が、渋々天女に「天女さまのことを気に入らないと思っている人ではないでしょうか」と教える。
「私のことが気に入らない人? で、でも、わ、私何も悪いことしてないのに。気に入らないようなことしてない」
「……そうですよねえ」
タカ丸、顔が半笑いだ。本気で悩んでいる天女に失礼だろ。
俺たちは紙を見ただけで犯人の目的はわかった。天女は、ほとんど先輩方と行動を共にしている。天女がたまに手伝いをさせてほしいとウロウロしているが、天女に何かさせるなんて畏れ多いことできない。することがなくて暇だから、相手をしてくれる先輩方のところに行ってしまうのだろう。だけど、そのせいで先輩方は委員会に顔を出さなくなり、下の学年が苦労している。まったく。先輩方が悪いのか、天女が悪いのか、特別な力も持っていない天女に過剰に気を使いすぎる我々が悪いのか、だんだんわからなくなる。
話が脱線したが、とりあえず犯人は天女に「こんなにも先輩たちを拘束しているんだ」と気づいてほしくてやったんだろう。だが、可哀想なことに天女はそんなことに気づかない。
あまり不安がらせてもいけないと慰めると、天女はぱっと顔を明るくさせた。
天女は喜怒哀楽がはっきりとしていて、そして気分の移り変わりが激しい。もう手紙のことは頭になさそうだ。安心するが、何日も見張っていたやつのことを思うと、もう少し悩んでやってほしい。
「そ、そうだ! 市蔵くんに言おうと思ってたことがあるの。私のことを名前で呼んでほしいなって」
そう言われて、瞬時に頭のなかで天女の名前を検索する。俺の周りはみんな「天女さま」と呼ぶ。だからすんなりとは出てこない。だけど、この前見かけた先輩が呼んでいた――。
「優子さん、ですか?」
「うん! 天女さまって呼ばれると距離を感じるからね」
花が咲いたように笑った。そして俺の両隣にも顔を向ける。
「滝夜叉丸くんとタカ丸くんも私のこと名前で呼んでね」
二人ともしかたないと天女のことを名前で呼ぶと、天女は「嬉しい!」と無邪気に跳ねた。
おっと、そろそろ朝餉の時間がなくなりそうだ。天女に一言挨拶して足早にその場を去った。授業のない天女は食事の時間をずらしているから、俺たちと一緒に行く必要はない。
十分に距離が離れると、「ぷはーっ」とタカ丸が息を吐いた。
「緊張したよ〜」
「俺もタカ丸が変なこと言わないかひやひやした。よく我慢したな」
「俺だってやればできるよ」
思ったことが口から溢れるタカ丸にしては頑張った。
何か言いたそうな滝に気づいて「なんだ」と尋ねると、「随分と天女さまと仲がいいんだな」と嫌みっぽく言ってきた。さっきの紙のことだろう。あの紙には俺の名前も何度も出てきていた。
「理由はわからないが好かれているんだよ」
嬉しくはない、と肩をすくめてみせた。
俺が天女に惚れていないことは百も承知だろうが、それでもわだかまりはあるのだろう。それは仕方がないことだ。自分の苦労の原因と仲良くしているのだから。だけど俺が天女を拒絶できないのも仕方がないことなのだ。わかってほしいとは言わないが。